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縄文人

『月と蛇と縄文人』と題されたとても面白い本を見つけた。

縄文文化をネリー・ナウマンなどの日本研究者や宗教学者のミルチャ・エリアーデ、心理学者のユングを使って解釈しようとしている。

マルクス・ガブリエルによると、彼ら外国人は「全く他人のことを気にしない」といわれている。他人の考えを考慮する日本人(縄文人)の特性を読み取れるのか興味がある。

縄文に類する本を乱読しているので、頭が混乱しているが、大島直行氏の視点は非常に興味深い。

特に目を引く記述があった。

結論ー縄文土器は鍋ではない
縄文土器の鍋としての機能を否定するわけではありませんが、おそらく土器の本質は呪術宗教的な造形物であったのではないかと思います

月と蛇と縄文人 大島直行

これには深く同意する。

縄文土器は薪で焼成されるので800℃程度の温度しか設定できない。つまり縄文土器は素焼きの状態なのだ。
縄文土器は、焼き・炒めには使えても水分を多量に含む煮炊きには不向きだと考えていた。

縄文土器を焼いた後に大量にできた炭を利用して焼いたのが弥生式土器だと考えられる。炭で焼くと1300℃の高温が出せる。高温で焼くと土が厚いと割れてしまうので、薄く整形する。
生地が薄いと縄文のような大袈裟な模様がつけれなくなる。
高温で焼き締めた弥生式土器を使うと煮炊きも可能である。

弥生式土器を焼成すれば、1300℃の高温の環境ができる。
この高温の作用で、土に鉄や銅が含まれていれば、自然に餅鉄なども出来たのではないだろうか。

最近のDNA(Y染色体)の解析で弥生人はいなかった。などの新説が出ている。年代から考えて銅や鉄が日本で出来ていたと考えられる。

『縄文土器を焼いた後に大量に出来た廃棄物の炭を再利用したら銅や鉄までできてしまった』と言う新説が出そうだ。



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