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うだつ

岐阜県美濃市の『うだつ』を見に訪れた。何度も来ているので、見慣れた風景だ。町並みをブラブラ歩きながらコーヒーを飲んだり時間を潰していた。話の種に写真を撮ってきて『うだつ』のことを書こうと情報を集めたところ、徳島県美馬市脇町にも『うだつ』の街並みがあることに気づいた。

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「うだつの上がる町並み」とは かつて美濃和紙で栄えた問屋街。 関ヶ原の合戦で功績を挙げた飛騨高山の城主、金森長近が徳川家康より拝領した美濃の地へ移り住み、河原にあった町並みを水害から守るために小高い丘の上を城下町として整備し、各地にあった市場をこの町並みに集約しこの地域のハブ拠点としたた事で富が集中した。 「うだつが上がらない」の語源にもなった「うだつ」がたくさん上がり当時の繁栄を物語っている。 うだつとは防火壁のことであり、水害から逃れた事で水利が悪く火災が起きると燃え広がってしまう。江戸時代には大火に何度も見舞われたため防火壁の機能を持たせたうだつが造られた。 うだつを作るにはお金がかかるため当時でもお金持ちしか作ることは出来なかった。そのため、お金のない人、甲斐性のない人などを「うだつが上がらない人」と呼ぶようになった。その語源になったものである。(美濃市観光協会HP)

成り立ちから読み取ると、どちらも深い関係がなく独自に成り立っているように見える。

「うだつ」とは隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁のことで、これを造るには相当の費用がかかったため、裕福な家しか設けることができませんでした。 すなわち「うだつが上がる」ということは富の象徴であり、「うだつの町並み」は当時の繁栄を物語っています。 各家々のうだつには家紋や細工が施され、その豪華さが商人の権威を表しています。それは見事な芸術品といってもいいほどの手の掛け様です。(徳島観光情報サイト)

全く知らなかった事実を発見してしまったようで、また訪問してみたいところのメニューが一つ増えたみたいだ。早くこのパンデミックが収まることを望んでいる。


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