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過剰品質社会が生むひずみ

以前暮らしていたある国で、いわゆる宅配便が指定日時に本当に届いてとても驚いた経験がある。宅配便の日時指定はもとより、公共交通機関の時刻表も、基本的に存在しないか、信用できない国の方が圧倒的多数だろう。その日も、どうせ待てど暮らせど届くわけないとたかを括っていた。

日本の宅配便は時間枠まで細かく設定されている。たしかに便利だが本当にそこまで必要だろうか。「さすがにそこまでしなくても社会」の象徴である。1時間に一本しかない路線なら別だが、都心のバスに時刻表が必要だろうか?あれば所与の条件としてそれに期待するから、ズレが生じたとき責任問題になる。最初から期待値をコントロールしておけば、カスハラも自ずと抑制できるのではないだろうか。

群馬県でGWに起きた傷ましい事故が飲酒運転によるものだったという報道を見て、なぜ飲酒運転がなくならないのか、理解に苦しんだ。雇用主は事故を起こした運転手の日ごろからの素行の悪さを認識していたにも関わらずだったという。そんな運転手でも雇い続けなくてはならない事情があったのだろう。自動運転の方が飲酒運転より安全だ。そこまで技術的に至らないなら、せめて自動”不可”運転の仕組みを導入すべきだと思う。

物流問題はまず過剰品質を止めることが第一歩だ。いまの時代に1時間刻みで受取り時間を指定しなくてはならないほど大切なものなら、自分で取りに行けば良い。きっとそうして急いで運ばれるものほど、実は再配達されていたりするのではないか。

最近、街中を猛スピードで走り去る原動機付自転車は歩行者にとって凶器でしかない。あれを野放しにしておけば必ず傷ましい事故が起こる。しかもきっとあの危険極まりない自転車で運搬されているものは、せいぜい数百円の誰かのランチである。もし自分や家族が事故の被害者になって、誰かのランチを運んでいただけの事実上の違法車輌がその原因だとわかったら、永久に浮かばれない。ましてや飲酒運転など言語道断である。

過剰品質が日本の良さだった時代は確かにある。便利になったことは間違いない。しかし、これからは諦めるべきところは諦めるべきタイミングに差し掛かっていると思う。新幹線はとても便利だが、あそこまで細かく時刻表通りに運行するためにかかっているコストは、社会全体として本当にペイしているのか、一度ゼロベースで見直すべきだと思う。

今回の台風で、リニアモーターカーという代替交通手段の意義を一部の利害関係者は図らずもアピールできたのかもしれないが、東京から名古屋まで45分でしょっちゅう移動しなくてはならない人が、今の日本の人口のいったい何%存在するのだろう。本当にそこまで必要なのか、社会全体としてペイするのか疑問に思う。

過剰品質に慣れた一部の人たちを満足させるために、社会が支払う代償として本当に妥当なのか私にはわからない。

犯罪被害者等の権利利益の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律
第1条 
この法律は、犯罪により害を被った者(以下「被害者」という。)及びその遺族がその被害に係る刑事事件の審理の状況及び内容について深い関心を有するとともに、これらの者の受けた身体的、財産的被害その他の被害の回復には困難を伴う場合があることにかんがみ、刑事手続に付随するものとして、被害者及びその遺族の心情を尊重し、かつその被害の回復に資するための措置を定め、並びにこれらの者による損害賠償請求に係る紛争を簡易かつ迅速に解決することに資するための裁判手続の特例を定め、もってその権利利益の保護を図ることを目的とする。


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