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東京に来た意味

  小学校の時も、中学校の時も、高校の時も、それなりに勉強はできたほうで周りから割とチヤホヤされる成績だったと思う。うまくいってるわけでもないけどまあ悪くはない、ただ真面目に生きてきた、そんな人生だったかな。

 大学への進学を機に居心地の良い地元を離れ上京した。東京の大学を選んだり理由は、好きなサッカーチームの応援に行けることと男なら1回は東京を経験したほうがいいっていう父親の思い、それだけ。でもそれだけの理由で来た東京は田舎でのんびり過ごしてきた自分には刺激的すぎることばかりだった、本当に。地元にはいなかったような人にはいなかったような変わった人にたくさん出会って、ちょっとしたご縁から結構すごい人にも出会えた。その出会った人の中でも特にお世話になっている方からの「いろんなところに行っていろんな人に会ってきなさい、人生変わるから」という言葉を機に自分が東京に来た意味を考え始めた。 

 自分の地元と東京の違い、それは圧倒的な機会の差だと思う。東京にいればいくらでもチャンスが転がっている。東京のひとはそれに気づいていないかもしれないけど。自分はそれを逃したくない、そう思った。そう考えていた矢先にゼミ募集が始まった。

 長岡ゼミの第一印象は経営学部っぽくない、なんなら大学っぽくない、この言い方上があっているかわからないけど勉強しないゼミっていう感じだった。せっかく大学に来て経営学部に入ったんだから、マーケティングとかマネジメントとか会計とかそういうゼミに入るのが無難、そう思っていたから。でも今自分が考えていることにマッチする、そう思ったから入った、正直直感だったと思う。

 でも入るのが決まってから後悔した。冷静に考えれば、例えばマーケティングとかのゼミに入ったほうが絶対にスキルとして強みになるし就職した時に会社にコミットしやすい。今までみたいにに机に座って勉強して資格とかとったほうが絶対に確実だし。実際に統計学だったりとか行動経済学だったりとかいろんな学問を普通に勉強したいっていう気持ちもある。寮の東大法学部の先輩はいかに数学がビジネスに応用できるか力説してくれて勉強って面白いじゃんって素直に思った。だからこのゼミでこのままやっていくっていうことに正直少なからず不安というか迷いというかそのようなものがある。

 でももう1度、自分が東京に意味を考えたときに、長岡ゼミが掲げている越境というのは東京だからこそできることだと思う。新しいことに挑戦している人、いい意味で変わっている人、そんな人たちがたくさんいる。そんな人たちにたくさん出会えて、たくさんの最先端に触れれて、そしてこんなにたくさん機会が転がっているのはここしかない。つまり自分が東京に来た価値を見出すためには、このゼミで越境しまくること、それしかないと思った。

 第一回目のゼミで先生の長岡先生の話を聞いて少しだけモヤモヤしていたものはなくなった。でもまだまだ迷いはある。簡単に拭えるものではないと思う。でもそんな思いとうまく付き合いながらも、ゼミ活動に取り組むことでみんなとは違った考え方もできるようになるんじゃないかな。そう簡単には変われないだろうけど、卒業する時に、あの頃の自分から大きく変われたなって思えたらいいな。

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