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口伝鈔 第十章 「略せらるる条、もつともそのゆゑあるか」ポルトガル語、日本語原文 朗読動画あり。

おはようございます。 Bom dia a todos!

『大無量寿経』(巻上)
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%8F%E8%AA%AC_%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C_(%E5%B7%BB%E4%B8%8A)
『大無量寿経』(巻下)
http://labo.wikidharma.org/index.php/仏説_無量寿経_(巻下)


O Sutra Maior Sobre o Buda da Luz Infinita (1)
https://www.dropbox.com/s/4jizvk1admnv3rm/sutra%20Buddha%20vida%20infinita%20-%20parte%20um.doc?dl=0
O Sutra Maior Sobre o Buda da Luz Infinita (2)
https://www.dropbox.com/s/o1uj62burt5yizf/sutra_Buddha_vida_infinita_-_parte_dois.doc?dl=0

BU" SE' MU RYÔ JU KYÔ (Pronúncia japonesa)
https://www.dropbox.com/s/jb3zfnv4qhzoya0/BU%22%20SE%27%20MU%20RY%C3%94%20JU%20KY%C3%94%20KAN%20J%C3%94.pages?dl=0


Em vez de lê-lo como, "Este Buda está agora presentemente na budeidade", claramente soa melhor, e de um ponto de vista da lógica e da ideia-chave expressa, este ideograma "mundo" literalmente não tem lugar. Ao discutir este ponto defendido por ambos os patriarcas, Mestre Hônen o mais sábio de todos os nomes famosos das Oito Escolas (especialmente aquelas que tomam a posição dos Três Tratados), disse: "Embora nenhuma linhagem exponha o Voto desta forma, a interpretação do Verdadeiro Ensinamento da Terra Pura faz mais sentido para mim."


Google翻訳 (少し訂正)
「この仏陀は現在成仏している」と読めば、明らかに良く聞こえ、論理と表現された重要な考えの観点から、この「世界」の表意文字は文字通り場所が必要ありません。 両方が持っているこの点について議論する際に、8つのすべての宗派を学び終わっている有名な(特に3つの宝物の位置を占めるもの)の中で最も賢いマスターりょうねんは、次のように述べています。真宗の考え方は私にとってより理にかなっています。」


原文

この道理によりていまの一字を略せらるるかとみえたり。されば「彼仏今現在成仏」とつづけてこれを訓ずるに、「かの仏いま現在して成仏したまへり」と訓ずれば、はるかにききよきなり。義理といひ文点(もんてん)といひ、この一字もつともあまれるか。
 この道理をもつて、両祖の御相伝を推験して八宗兼学の了然上人(りょうねんしょうにん)[ことに三論宗]にいまの料簡を談話(たんかい)せしに、「浄土真宗におきてこの一義相伝なしといへども、この料簡もつとも同ずべし」と[云々]。

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

義理
ぎり
  筋道。書かれている意味。道理。(口伝鈔 P.892, 一代記 P.1260,一代記 P.1301)
文点
もんてん
 文章構成。文体。(口伝鈔 P.892)


両祖
りょうそ
  源空上人と親鸞聖人。 (口伝鈔 P.892)

了然上人
りょうねんしょうにん
 『最須敬重絵詞さいしゅきょうじゅうえし』巻六によれば、光明寺の自性房了然。京極中納言定家の嫡子家光の子。 (口伝鈔 P.892)
料簡
りょうけん
 Ⅰ 道理を考え、選び分けてあらわすこと。教義的解釈の意味で用いられることもある。(口伝鈔 P.892, 真要鈔 P.981 , 安心決定 P.1407)


現代文
だから「彼の仏は今現に仏と成って在します」と続けて、この文をよむときに「かの仏はいま現においでになって仏と成っておられる」とよめば、遥かに聞き易いわけである。意味内容からも、文章の構成からも、この一字はもっとも不必要ではないか。この道理によって両祖師の伝えられたお考えを推しはかって、八宗兼学の了然上人(とくに三論宗〔を学ばれたひと〕)にいまのような理解をお話ししたところ、「このことについて教えを受け伝えてはいないが、浄土真宗において理解されたところが、わたしには一番同意できる」と言われた。


ウィキペディアより
誕生[編集]
文永7年12月28日(1271年[2] 2月16日[4] )、京都に生まれる。幼名は、「光仙」。
文永9年(1272年)、母と死別する。
文永11年(1274年)、5歳。この頃より仏門の道を志すようになる。
建治3年(1277年)頃、隣房の慈信房澄海(ちょうかい)の元、内外の聖典の修学に励み、天台宗「初心集」を伝受される。
弘安5年(1282年)(弘安7年〈1284年〉とも)、延暦寺の宰相法印宗澄(しゅうとう)に入門。天台の教えを受ける。
弘安6年(1283年)、興福寺一乗院の信昭に入室し、法相の教えを受ける。信昭没後は、弟子の覚昭に付いて学ぶ。
この間に、八宗兼学の自性房了然について三論教を学ぶ。


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