見出し画像

口伝鈔 第12章 「鸞上人(親鸞)の御本地のやうは」ポルトガル語、日本語原文、現代文 朗読動画あり。

おはようございます。 Bom dia a todos!

『大無量寿経』(巻上)
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%8F%E8%AA%AC_%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C_(%E5%B7%BB%E4%B8%8A)
『大無量寿経』(巻下)
http://labo.wikidharma.org/index.php/仏説_無量寿経_(巻下)


O Sutra Maior Sobre o Buda da Luz Infinita (1)
https://www.dropbox.com/s/4jizvk1admnv3rm/sutra%20Buddha%20vida%20infinita%20-%20parte%20um.doc?dl=0
O Sutra Maior Sobre o Buda da Luz Infinita (2)
https://www.dropbox.com/s/o1uj62burt5yizf/sutra_Buddha_vida_infinita_-_parte_dois.doc?dl=0

BU" SE' MU RYÔ JU KYÔ (Pronúncia japonesa)
https://www.dropbox.com/s/jb3zfnv4qhzoya0/BU%22%20SE%27%20MU%20RY%C3%94%20JU%20KY%C3%94%20KAN%20J%C3%94.pages?dl=0



Quando Eshin-ni perguntou ao Mestre Shinran, este disse-lhe: "É esse o caso. O grande Bodhisattva Mahasthamaprapta é o avatar da sabedoria. Assim, sua sabedoria é expressa como Luz e é por isso que sua forma é apenas um corpo de Luz. As pessoas dizem que Mestre Genkū era um corpo de transformação55 do Bodhisattva Mahasthamaprapta".

Ela não disse ao Mestre Shinran que ele havia aparecido transformado como Bodhisattva Avalokitesvara em seu sonho.
Mas depois desse sonho, sentiu profundamente em seu coração uma reverência calorosa por ele durante meses e anos. "Ao ouvir que ele faleceu depois de retornar a Quioto, eu disse em uma mensagem para você: ´Saiba bem que seu pai era um ser iluminado, um Buda manifestado" disse Eshin-ni à sua filha Kakushin-ni em sua carta enviada para Echigo56 na primavera do terceiro ano da era Kōchō57.


Google翻訳
恵信尼が親鸞師に尋ねると、親鸞師は「そうです。偉大な菩薩勢至菩薩は知恵の化身です。だから彼の知恵は光として表現され、それが彼の形が単なる光の体である理由です。マスターゲンクは菩薩勢至菩薩の変容体だったと言われています。」

彼女はマスターシンランに、彼が夢の中で菩薩菩薩として変身したように見えたことを伝えませんでした。
しかし、その夢の後、彼女は何ヶ月も何年もの間、彼への温かい畏敬の念を心の奥底で感じました。 「彼が京都に戻った後に亡くなったと聞いて、私はあなたにメッセージで言いました:「あなたの父が悟りを開いた存在であることをよく知ってください、顕現された仏」は彼の娘の覚信尼に送られた彼の手紙の中で恵信尼を言いました覚信尼時代3年春の越後。


55
Em sánscrito,[Nirmanakaya]

56
Atual prefeitura de Niigata

57
Ano de 1263


原文

 このことを聖人にかたりまうさるるところに、「そのことなり、大勢至菩薩は智慧をつかさどりまします菩薩なり、すなはち智慧は光明とあらはるるによりて、ひかりばかりにてその形体はましまさざるなり、先師源空聖人、勢至菩薩の化身にましますといふこと、世もつて人の口にあり」と仰せごとありき。鸞上人(親鸞)の御本地のやうは御ぬしに申さんこと、わが身としては、はばかりあれば申しいだすにおよばず。かの夢想ののちは、心中に渇仰のおもひふかくして年月を送るばかりなり。すでに御帰京ありて御入滅のよしうけたまはるについて、「わが父はかかる権者にてましましけると、しりたてまつられんがためにしるしまうすなり」とて、越後の国府よりとどめおきまうさるる恵信御房の御文、弘長三年春のころ、御むすめ覚信御房へ進ぜらる。

世もつて人の口にあり
よもって ひとのくちにあり
  世間の人々の評判になっている。(口伝鈔 P.894)
ぬし
  夫。親鸞聖人を指す。 (口伝鈔 P.895)
渇仰
かつごう
 のどの渇いた者が水を切望するように、仰ぎ尊ぶこと。(口伝鈔 P.895,改邪鈔 P.919,御文章 P.1143,一代記 P.1275、要集 P.858、法事讃 P.532)
越後の国府
えちごのこふ
現在の新潟県上越市。(口伝鈔 P.895)   越後国国府 (御伝鈔 P.1054)
恵信御房の御文
えしんのおんぼう の おんふみ
  親鸞聖人が入滅された弘長二年(1262)十一月二十八日のことを、娘の覚信尼公が恵信尼公尼に通知されたお手紙に対して、弘長三年二月十日付で返信されたもの。(口伝鈔 P.895)
弘長三年癸亥
(弘長三年から転送)

こうちょうさんねん みずのとのい
  1263年。別筆であり、覚如上人の筆かと見られている。(恵信尼 P.815)〕


現代文


 このことを〔恵信尼が〕聖人にお話しになったところ、聖人は、「世間でいわれているのはそのことである。大勢至菩薩は智慧を象(かたど)っておられる菩薩である。すなわち智慧は光りとなってあらわれるから、光りだけで、そのお姿はおありにならないのである。先師源空上人が勢至菩薩の化身でおいでになるということは、世間のひとの口にうわさされている」と、仰せられた。親鸞聖人のご本地の様子は、主人にお話しすることが、恵信尼自身としては遠慮されることであったからお話しするには至らなかった。その夢を見てからは、ますます心中に渇仰の思いの深いまま、ただ年月を送るばかりであった。すでに京都にお帰りになっておなくなりになったことをうけたまわって、「わたしの父はこのような菩薩の化身でおいでになったのだ、とご存知なさるようにと考えて、このことを記したのです」と書いて、越後の国府より、書き留め置かれた恵信尼のご房のお手紙を、弘長三年の春の頃(注3)、娘の覚信尼(注4)のご房へお送りになったのである。


弘長三年の春の頃
恵信尼の手紙は、親鸞がなくなった弘長二年(一二六二)十一月二十八日のことを娘の覚信尼が書き送ってきた、その返事で、娘が出した十二月一日付けの手紙をその月二十日に受けとったあと、五十日後の弘長三年二月十日に書いたものである。恵信尼は五十日の喪に服してから、この手紙を書いたのであろう。



覚信尼
親鸞の末娘で、親鸞没後の大谷本廟の草創は覚信尼によってなされたから、事実上、本願寺の基礎を確立したものといってよい。かの女ははじめ日野広綱と結婚して覚恵を生み、広綱の没後、禅念房と結婚して唯善を生んだ。覚如は覚恵の長子である。


https://amzn.to/2Vp6yP0

歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版
親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)

please subscribe to my channel
Inscreva-se no canal Por favor!
↓いいね評価、チャンネル登録よろしくお願いします↓
https://goo.gl/iVwh85

SMSもやっています(^^) フォロー大歓迎です。

➡Bloggerブログ
 https://www.brasilsanpo.com/

➡アメブロ
 ‪https://ameblo.jp/ishui/

➡Twitter
https://twitter.com/ishui

➡Facebook
 ‪https://www.facebook.com/shu.izuhara‬

➡Instagram
https://www.instagram.com/izushu/

よろしければサポートをお願いいたします。頂いたサポートはクリエータ費として活用させていただきます。