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口伝鈔 第16章 「これみな本願にそむくがゆゑなり」 ポルトガル語、日本語原文・現代文 朗読動画あり。

おはようございます。 今日も一緒にお参りをいたしましょう!
Bom dia a todos! Vamos juntos rito matinal.

『大無量寿経』(巻上)
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E4%BB%8F%E8%AA%AC_%E7%84%A1%E9%87%8F%E5%AF%BF%E7%B5%8C_(%E5%B7%BB%E4%B8%8A)
『大無量寿経』(巻下)
http://labo.wikidharma.org/index.php/仏説_無量寿経_(巻下)


O Sutra Maior Sobre o Buda da Luz Infinita (1)
https://www.dropbox.com/s/4jizvk1admnv3rm/sutra%20Buddha%20vida%20infinita%20-%20parte%20um.doc?dl=0
O Sutra Maior Sobre o Buda da Luz Infinita (2)
https://www.dropbox.com/s/o1uj62burt5yizf/sutra_Buddha_vida_infinita_-_parte_dois.doc?dl=0

BU" SE' MU RYÔ JU KYÔ (Pronúncia japonesa)
https://www.dropbox.com/s/jb3zfnv4qhzoya0/BU%22%20SE%27%20MU%20RY%C3%94%20JU%20KY%C3%94%20KAN%20J%C3%94.pages?dl=0



Uma pessoa que morre enquanto dorme - a mente básica inconsciente de respirar naquele último momento - não pode exercer intencionalmente nenhum esforço final, nem dizer o Nembutsu.
Novamente, uma pessoa morta por alguém - além de pensamentos odiosos preenchendo sua mente e afastando todos os outros pensamentos - não tem tempo para o Nembutsu. Confiar em ações futuras antes de morrer é impossível.
Em outras palavras, as pessoas que enfrentam a morte pensam que fazer algo diferente do que normalmente fariam dificulta o Ir-nascer.
Mesmo um candidato que idealiza o Voto Original comete tal erro, que é virtualmente impossível de corrigir.
Aquele que é obrigado no fim da vida a dizer o Nome através do Auto Poder nasce, em última análise, nos arredores da Terra Pura.
Na verdade, este problema surge porque é difícil evitar as condições kármicas passadas. É a mais difícil de todas as dificuldades enfrentadas neste ponto da jornada.
Além disso, mesmo a nossa aspiração de Nascimento no reino dos devas ou na região periférica dos indolentes não pode ser concedida porque nos afastamos do Voto Original.


Deep L 翻訳
睡眠中に亡くなった人は、最後の瞬間に呼吸をしていない基本的な心は、意図的に最後の努力をすることはできませんし、お念仏も言えません。
繰り返しになりますが、人に殺された人は、憎しみの念が頭の中に充満し、他の念を追い払っていることを除けば、念仏を唱えている暇はありません。死ぬ前に未来の行動に頼ることは不可能です。
つまり、死に直面している人は、普段と違うことをすると念仏ができないと思っているのです。
原初の誓い」を理想とする候補者でさえ、このような間違いを犯してしまうのですから、修正することは事実上不可能です。
人生の最後に自力で名前を言わざるを得ない人は、最終的には浄土のはずれに生まれます。
実はこの問題は、過去のカルマを回避することが難しいために生じるものです。この時点で直面する困難の中でも最も困難なものです。
さらに、悪魔の領域や無常の周辺領域に誕生したいという願望も、元々の誓いから離れているために叶わないのです。


原文
また寝死においては、本心、息の絶ゆるきはをしらざるうへは、臨終を期する先途、すでにむなしくなりぬべし。いかんしてか念仏せん。またさきの殺害の機、怨念のほか他あるべからざるうへは、念仏するにいとまあるべからず、終焉を期する前途またこれもむなし。仮令かくのごときらの死の縁にあはん機、日ごろの所存に違せば、往生すべからずとみなおもへり。たとひ本願の正機たりといふとも、これらの失、難治不可得なり。いはんやもとより自力の称名は、臨終の所期おもひのごとくならん定、辺地の往生なり。いかにいはんや過去の業縁のがれがたきによりて、これらの障難にあはん機、涯分の所存も達せんことかたきがなかにかたし。そのうへは、また懈慢・辺地の往生だにもかなふべからず。これみな本願にそむくがゆゑなり。
先途
せんと
 目的。最も重要な課題。次々行の「前途」も同じ意。 (口伝鈔 P.903)

仮令
けりょう
 「たとひ」と訓読する。 (真要鈔P.989)
難治不可得
なんちふかとく
 免れることができない。 (口伝鈔 P.903)

業縁
ごうえん
 業の因縁のことで、善悪の行為が苦楽の果を招く因縁となること。(口伝鈔 P.903、要集 P.1149、要集 P.1177)

涯分
がいぶん
 Ⅰ 分相応。(口伝鈔 P.903)
 Ⅱ 自分の力の及ぶかぎり。(一代記 P.1275)

   器量。才能。(口伝鈔 P.873)

東本願寺聖典 ふりがな付き
https://shinshuseiten.higashihonganji.or.jp/contents.html?id=1&page=668

現代文

 また床の中で死ぬ場合は、心に息が絶えるという瞬間がわからない以上は、臨終を期して〔浄土に〕生れようとあてにしていたこともすでに無意味になることだろう。そのときどのようにして念仏するだろうか。またさきの殺害にあうひとは、怨みのほかにはなにもない以上、念仏するひまはあるはずがない。臨終において期する前途は、この場合もまた空しい。かりにこのような死に方に遇うひとが、日頃思っていることと達うならば、浄土に生れることはできない、と思うのである。たとい阿弥陀仏の本願にかなったものであっても、このようなあやまちは、ついに改めることができない。まして、自力による称名念仏は、もとより臨終においてかねて期するところを思い通りになしとげることができるだろうが、しかしそれも辺地に生れるのである。まして過去に犯した罪の深さは逃れることができないから、これがもたらす障得にあうようなひとは、分相応の思いさえ達するということは、とても困難なことである。そのうえまた辺地・解慢に生れることさえもかなえられない。これらはすべて阿弥陀仏の本願にそむいているからである。


歎異抄・執持抄・口伝抄・改邪鈔 (東洋文庫0033) Kindle版
親鸞 (著), 石田 瑞麿 (翻訳)

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