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ひとりぼっち

こんな保護者に会った

自分自身が父親に暴力をふるわれ

母親は新しい男性のところに行く

妹と2人残されたが、時々妹だけ母親の彼氏と出かける。

本人は連れて行ってもらえない

本人が中学に入り、母親は再婚し妹と3人で仲良く暮らした。

本人は、家出どころか家に帰っても居る場所させなかった。夕食も3人分で座る場所も無かった。

本人は友達の家を転々とした生活をした。髪は茶髪や金髪にし男の子にはモテたというか、交際相手ではない相手の家にも泊まった。

家に帰る場所がなかったからだった。

高校もなんとか卒業して県外に就職。

地元にいるのが嫌だったから出た。

19歳で妊娠・結婚・出産 夫からの暴力 離婚

子どもを連れているので実家に帰るしかなかった

実家に帰っても居場所は無い。小さな子どもがいるので、働くことは難しく水商売についた。夜間だけは母親がみてくれていた。

お金もたまり、子どもと2人での生活ができるようになった時には彼氏がいた。同棲生活が始まり妊娠・結婚したが5年程でうまくいかなくなった。

化粧品販売をしながら、2人の子どもを育てていたが、時々子どもを母親に預けて出かけるようになった。彼氏ができた。彼氏と会っている時に母親から電話が鳴った。続けての電話を無視していたが、あまりにも多いので電話をすると、子どもが発熱しているとの連絡。とりあえず帰ることにした。

発熱した子どもの熱は下がらない。病院に行き解熱剤を飲ませるが、熱が下がらず痙攣を繰り返している。夜中に大きい病院に受診。

医師が休憩中でいないと言われたが、その間も痙攣と意識が無いような状態が続く。2時間以上たってから医師が到着した時には、子どもの意識は無い状態だった。医師はこのまま意識がもどるかわからないと言った。

しかし、他の医師が来て1つだけ処置方法はあるが、現状よりよくなるかわからないと話した。本人はそれをして欲しいとお願いした。

渋々、医師は処置を始めた。意識は戻らない。戻らないまま3日が過ぎた。

3日目にかすかに指先が動いた。医師を呼び処置をしてもらうと意識は戻ったが、障害が残った。片麻痺。言語にも少し残っている。

それからは医療機関に入院 車で2時間かかるところだったが、しっかり運転手という名の彼氏はいた。

その後、子どもは退院。しかし、夜は眠らないし食事も食べない等は度々あった。疲弊していると母親が手を貸してくれるようになった。

しかし、この手伝ってくれるのがチャンスになった。母親に預けお金は払うからと隣接市に水商売の仕事をしに行った。子どもの医療費といっていた。きっかけはそうだったのだろう

隣接市に最初は車で通勤したが、そのうち帰りが遅いのでとアパートを借りると言い出し、マンション暮らしで週末のみ帰って来るようになった。

帰りの頻度が減ってきたと思うと妊娠・結婚・出産

母親は、養育できていないことを叱り反対したが、本人には届かなかった。

出産前にその男性が本人の預金を使っていたことが発覚した。家族ぐるみで話し合いがあったが、離婚し支払うということで決まった。

出産した時にはすでに離婚が成立していた。

3人の子持ち 店は辞め実家に帰ることになった。

母親と義父との関係はとても悪かったが、仕方なくお互いが受入るようになっていた。

本人は何を考えたか急に会社を立ち上げた。福祉の仕事だ。障害のある子どもの為に作ると1年がかりで作った。

社員は全員パートで水商売しか経験していない人だらけ、資格者は1人紹介してもらい雇用した。その中に1人本人とは15歳程離れた男性が入って来た。 設立し懸命に取り組むが・・・また始まった。

その男性との恋愛だ。その男性を自宅に呼び一緒に書類作っているとほとんど出社もしない状態が続き、妊娠 出産。

今回は入籍もしなかったが、その若い男性に4人の子どもの養育費として月に30万を要求した。払えるわけがない。彼は県外に働きに行くことになった。半年程は支払いがあったが、現在は行方不明状態だ。

下の子が1歳になる頃会社は火の車どころか、給料の支払いさえもできない状態になった。

本人は切迫していたが、気を紛らわすためにまた夜の街を歩いていた。幼い子どもは母親に預けており、週に1回程度会う程度だった。

そんな夜の街で飲食店と営む1人の女性に会った。彼女は同性愛者だった。

そこにのめり込むまでに時間はかからなかった。

翌週からその彼女は店が終わって来るようになる。必然的に生活のリズムは変わった。また、仕事には行かない日々が始まった。


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