ヨルシカ「晴る」から『葬送のフリーレン』を読む

邂逅 〜葬送のフリーレン〜

 最悪だ。出遭ってしまった。
 単行本1巻の第一話を読み終わった時に思った感想を嘘偽りなく語るなら、これしかありません。最悪でした。元々薦めていただいて作品で、アニメから始めた作品でした。BGMに最適。フリーレンをはじめ声優さんの声もいい、淡々と話が進んでいくのもいい。第一シーズンはなんだか面白いなー久しぶりに時間潰しに最適なアニメだなあと思っていました。いや、そうであって欲しかったんですよ。Amaz◎n prime会員の私にとってアニメは時間潰し。仕事終わりの暇を潰すためのツールでしかなかったんです。ただ、ヲタクの皆様…皆様でしたらわかっていただけると思うんですが…
友達の推しは私の推し
この理論が当てはまりました。やっちゃった…やっちゃったよ…ハマる気はしてたんだ…読めば読むほど、フリーレンかわいい!穏やか!最高じゃん!
 僭越ながらこの思考に至った私自身の解説をすると、30代前半まで激しく尖った内容のものが好きな私。そろそろ穏やかな心で過ごしたい私。最近は美味しいご飯の描かれる漫画しか読まなくなった私。尖った自分を回顧するのが楽しい私。ハマらないはずないんだよ!!!もう好きなものが引退とか退場とかしてほしくないんだよ!!!みんな幸せになってほしいんだよ!!!だからこそ、この作品は見たくなかった。漫画は買いたくなかった。きっと皆が幸せに過ごしているから。Xでも面白い内容がどんどん投稿されているから見ないようにしていた。好きなものや人が多すぎて、見放されるし見放してしまう自信があった。悔しい。大好きだ。
 と言うことで、久しぶりに漫画で面白いと思った作品でした。多分それだけならここまでぶち上げパーリーピーポーにはならなかったなって思うんです。問題は、2期OPのヨルシカさんの『晴る』でした。ヨルシカさんは時々好きな曲がリリースされるので注目してました。好きな曲は『ただ君に晴れ』です。光の指す曲が好きです。で、で、OPみて聞いて、ああいいじゃん!YouTubeとかに無いかな…あるな…サムネ可愛いやん聞くか。までならよかった。珍しくコメント欄を見たのが間違いだった。忘れもしないそのコメントにはこう書いてあった。
晴るをドイツ語に訳すると、ヒンメルになるのが流石すぎる。
 へぇぇぇぇぇぇどういうことぉぉぉぉ?!!ヒンメル?!?ヒンメルの歌なの?!は?!どう言うこと?!もうやだ調べたい!!調べさせて!!お願い私に時間を下さい!!!
 と言うことで、気の向くままにやりたいことをやることにしました。調べて考えて見てもらう。今年はアウトプットをやって見たかったので、これでいこう。これをやろう。皆様には私の独りよがりにお付き合いいただくことになりますが、どうぞよろしくお願いします。

「勇者」から考える 葬送のフリーレン

 『葬送のフリーレン』の考察はおそらく沢山の方がされているでしょうし、「聴く小説」と名高いヨルシカさんの歌なので歌詞考察は沢山の方がされていると思います。と言うことで、私は『晴る』の歌詞から『葬送のフリーレン』とどう物語が繋がっているのかを考えていきたいと思います。と言うことを書くと、「第1期OPの考察でないのはなんでや?せんのか?」と、思われるかもしれませんね。ええ、私ならそう思います。もともとヨルシカさんが好きっていうこともあるのですが…結論から言うと、 歌詞考察ではなく答え合わせになるから です。見てもらった方がはやいですね。まずはYOASOBIさんの「勇者」の歌詞の冒頭をご覧いただきたいと思います。

まるで御伽の話
終わり迎えた証
長すぎる旅路から
切り出した一節
そこはかつてこの地に
影を落とした悪を
打ち取りし勇者との
短い旅の記録

第一話冒頭の「葬送のフリーレン」の始まりのきっかけのきっかけが読み取れる一節。本編も歌詞にある通り、勇者が10年をかけて魔王を倒す旅の終わりから始まります。
パーティーは
勇者ヒンメル(人間=短命種)
戦士アイゼン(ドワーフ=比較的長命種)
僧侶ハイター(人間=短命種)
魔法使いフリーレン(エルフ=長命種)
の、4名で魔王討伐を達成。「短い旅の記憶」とあるのは長命種エルフにとって10年は瞬きをするように短い時間に過ぎない。作品中でも「エルフの感覚はわかりませんね。」「まったくいつから生きているのやら」(第一巻p16 1コマ目)の会話にもあるように、パーティーメンバーからも短命種との時間感覚との違いが示されており、この違いが物語を始めるきっかけになっていますね。というのも、

物語は終わり
勇者は眠りにつく
穏やかな日常
この地に残して

第一巻p30 1コマ目より勇者ヒンメルの葬儀が始まる。魔王討伐の旅から50年後、半世紀彗星(エーラすいせい)をパーティーメンバーと観に行った後まもなく亡くなってしまった。彼の葬儀中フリーレンは大粒の涙を流しながら「…人間の寿命は短いってわかっていたのに……なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう…」(第一巻p34 6コマ目)という長寿種あるあるの大変印象的な台詞を紡ぎました。その時ふと思い出したのが、1番サビの

同じ途を選んだ
それだけだったはずなのに
いつの間にかどうして
頬を伝う涙の理由をもっと
知りたいんだ

というフレーズ。初見アニメ勢からすると「ああ、この歌詞はフリーレンを表していて、この歌詞に繋がるのか!」と、大変納得しました。

今更だって
ともに歩んだ旅路を辿れば
そこに君はいなくとも
きっと見つけられる

「きっと見つけられる」対象は、「頬を伝う涙の理由」であることが考えられます。これに関してはヒンメルの葬儀後すぐにフリーレンが「私はもっと人間を知ろうと思う。」(第一巻p38 2コマ目)とあるため「人間を知るたびに出る」ことは容易に予想できましたが「ともに歩んだ旅路を辿れば」に関しては、本当にふんわりと「ヒンメルたちとの旅路を一人で行くのかな?」と、気にしていなかったのですが、第一巻p189 2コマ目のアイゼンの台詞に「フリーレン。魂の眠る地(オレオール)を探してヒンメルと話すんだ。」オレオールは魔王城のあるエンデに存在し、そこまでの道のりはフェルンの言うように「ヒンメル様達が魔王城を目指した道のりと同じなんですね」に繋がるということでした。ここに気づいた時、声出た。「あああそういうこと!なるほどね!ほーん!」ってリアルで言いました。長い前振りの前振りとなりましたが、ここからがまとめです。

アニメから入った勢にとってのYOASOBIさんの『勇者』は、「マンガ勢による答え合わせの歌」です。

 OPの歌詞がそのうちアニメに出てくる!という感覚で観ていました。歌詞中にある「百分の一の旅路」も、フリーレンの年齢が本人の口から出てくる「アウラ、お前の前にいるのは、1000年以上生きた魔法使いだ。」(第三巻p94 5コマ目&p95 1コマ目)が確か最初だったような気がする…「私が未来に連れて行くから」はアニメ第二クールではあるものの、作品中にがっつり出てくる大変印象的なフリーレンの台詞でした。(第四巻p112 1コマ目)
 曲調もコロコロ変わって飽きずに最後まで聞けるので「なんかいいな、歌詞見てみよう」で、答え合わせができる感覚がありました。きっと漫画勢の方々は「なんだよYOASOBIめっちゃ作品好きじゃんわかってるじゃん」と、ニマニマOPをご覧になっていたことと存じます敬服します。
 これ以上書くと本当に前振り以上に「勇者」の考察に入ってしまいそうなので、皆様はぜひ「勇者とは、葬送のフリーレンの内容に関する答え合わせの歌である」ということを覚えていただければと存じます。

まずはヨルシカさんについて知ろう

 前振りまでで3000字は正直反省している。しかし後悔はしていない。ここからの方が遥かに長くなる自信があります。バリ楽しい。さて、まずはヨルシカさんのことを知ることから始めましょう。

コンポーザーの”n-buna”がボーカル”suis”を迎えて結成したバンド。
ヨルシカ メンバー:n-buna[ナブナ](Guitar / Composer)、suis[スイ](Vocal)
サポートメンバー:下鶴光康(Guitar)、キタニタツヤ(Bass)、Masack(Drums)、平畑徹也(Piano)

ヨルシカ HPより

 いやまて、サポートメンバーにキタニタツヤさんいるじゃん。呪術廻戦2期OPの「青のすみか」の人じゃん。ベーシストじゃん。ビビるわ。そしてボーカリストさんの名前の読み「スイ」さんなんだ。ずっとスイッスさんって読んでたわ。教養のなさ出ちゃったじゃん。
 さて、繰り返しになりますが、ヨルシカさんの曲は「聴く小説」としてファン(ファンネーム=夜行性)の間では語られているそうです。ヴォイストレーナーの方でヨルシカさんファンを公言している「おしらさん」曰く「ヨルシカは『間』の使い方が上手!」ということだそうで。ああ、それも確かにそうかも。と、ヨルシカに明るくない私でも思い浮かぶ箇所が数個はあります。
ということで、できる限り歌詞を小説として捉え「葬送のフリーレン」を考える。き、期待しないで!考える程度だから!これを読んだ皆さんにとって「葬送のフリーレン」が楽しめる材料になれればいいなって思います。

「晴る」から「葬送のフリーレン」を考える。

 というわけで、前提から行きましょう。「この文章は、ヨルシカさんが意図していてもいなくても、私が勝手にフリーレンになぞらえて歌詞が作成されていると思って解釈する!」ということです。なので多少無理やりな場面が出てくると思いますが、できるだけ『葬送のフリーレン』作品になぞらえて考えていきたいと思います。できるだけ歌詞のみで考察し、歌詞そのものを考えていくことをしたいと思います。何せ私は頭でっかちの文法オタクなもので。
 歌詞を見ると、比較対象であるYOASOBIさんの「勇者」とは明らかに違いがありますね。「主体がわからない」ということです。「勇者」の場合は冒頭の歌詞から「ああ、勇者が死んだ後の話で、それを悲しむ人がいるのか」と、歌詞を読めばわかります。なんならその人類は長命で涙を流して人のことを知りたいと言います。ここまでわかるのに…「晴る」はなんもわからん…
 ということで原点回帰して考えてみよう。「そもそも私はなぜ歌詞について考えようと思ったのか」を思い出すと「タイトルがヒンメルって意味になるヨルシカやばい(意訳)」だったなと。じゃあまずは「なぜ晴る=ヒンメルなのか」を考えればいいわけだ。皆さんはどうぞ「葬送のフリーレン」を最新巻まで読んでアニメを最新話まで読んだのち、あることに気づいてくださいね。そう、この作品、登場人物や土地の名前に「ドイツ語」が多用されているんです。ちなみに登場人物の意味などのまとめサイトがあります。ありがとう先人!まじで先達はあらまほしきことなりだわ。

ヒンメル
Himmel(空・天国)。
※亡くなって天国にいる人ということか。

とあります。ついでに

ハイター
heiter(朗らかな)。
※性格にもづくネーミングだろう。

 とも。いやあ、本当にそうなんか?どうなんやろ?と深掘りしたいなと思って検索エンジン使ってみました。その検索候補に名高い「花王」さんの洗剤「ハイター」の名前の由来が出てきたことが今回一番驚いたことかもしれない。

Q.【由来】「ハイター」のブランド名の由来や意味を教えて?

A.ドイツ語の『Heiter(晴れた、澄んだの意』から名づけました。

 は?!ちょっと待って?!ハイターって晴れたなの?!嘘でしょ?!ってことは「heiter himmel」って青空じゃん?!ちょっと待ってよ私勝手にヒンメル限定やと思ってたけどこれハイターでもあるの?!まじで?!と、ぶち上がってしまいました。花王さんまじかよ…と脳内夏祭りになったので、一旦落ち着こうと思います。
わかってますよ、花王さんにそんなつもりがないこと。ドイツ語の辞書をパラパラ調べてみると、 blauer himmel=青空 ということで記載がありました。青空=ヒンメルでしょう。ヒンメルの髪の色が青色なのもそんな意味があるのかなあと思っています。そして青髪ってヒンメル以外作中にはいないんじゃないかな。マンガ作者の方も、それほど青と空には重きを置いているように思います。わかっているけど…わかっているけど、ハイターが出てきたら出てきたで、テンション上がるよね。
 とりあえず、この歌詞を考えるときは、ドイツ語を意識しながら考えるって言うことが必要になってくるのね。うんうん。でもなー、もう一個気になるのがタイトルの「晴る」という聞き慣れない言葉なんですよ。多分これ、古語だわ。古文の言葉だわ。私の古文センサーに引っかかったわ。と思ったのでもののついでにweblioで検索かけました。

は・る 【晴る・霽る】
自動詞ラ行下二段活用
活用{れ/れ/る/るる/るれ/れよ}
①晴れる。
②憂いや悩みが解消する。心がはればれとする。 出典源氏物語 賢木
③広々とする。 出典源氏物語 末摘花
④広く開ける。見晴らしがきく。 出典方丈記

うーん、①の出典がない。ということは、字面として意味がわかるでしょ?天気とかで「晴る」とかみたらもう「晴れる」という動詞なのもわかるでしょ?ということかなあと。古事記にも「晴る」に近い表現があるっぽいので、やはり天気の「晴れの状態になる」ということかと。(因みに古事記は日本で最も古い書物なので適当に引用)
ついでに難しい漢字の「霽」ですが①晴れる。雨や雪が止む。晴れ渡る。類語=晴 ②さわやか。心がさっぱりする。 とあるので、「晴」と同じ意味の漢字と考えられます。古文として考えなくてもいいのかなあ…と思いつつ、古文大好き女なので随所に古文や古典知識を踏まえていきたいと思います。

そしてもう一つ、ヨルシカさんのコメントがアニメ「葬送のフリーレン」サイトにあったので引用。

◆作詞・作曲・編曲:n-buna
◆コメント
「徐々に晴れていく空を見ると、よくスクラッチカードを連想しました。コインで銀の部分を擦って模様を出す遊びです。晴れに押し出され削られていく雲が、コインの縁に盛り上がる銀色のくずと似ていました。徐々に銀の面積は減っていって、運が良ければ太陽が見えます。この曲は晴れを書いた曲です。正確には晴れではない状態から晴れを願う曲です。この曲がフリーレンの世界と彼らの旅に花を添えられるものになっていれば幸いです。」 n-buna(ヨルシカ)

 はいここみてくださいね。「この曲は晴れを書いた曲です。正確には晴れではない状態から晴れを願う曲です。」まじで?そもそもこれって人間を知りたい=わからない状態から、わかる状態になりたいフリーレンを中心に織りなす伝説の勇者パーティーの後日譚ということを忘れてはいけないですとね。
 わからない=雲がかかる わかる=晴れる と考えるのが美しいのではないでしょうか。なぜなら晴れる(=わかる)と空(=ヒンメル)が見える。ということで、雲が晴れて空が見える のは、フリーレンがヒンメルを(ひいては人間を)わかる状態になることを暗示していると考えるのが、主題歌のテーマとしては妥当なのではないかと。もちろん、人気キャラクターのためのエンディングがあることは重々承知しています。チェンソーマンのように毎回EDが変わっている場合、人気キャラクターにスポットを当てた映像と曲があるのも承知してます。(姫野せんぱああい!)が、今回は、とりあえず、フリーレンが中心となっていることを前提に進めていきたいと思います。ここまで来てやっと歌詞考察に入ります。長くなりましたが、やっとここから歌詞考察です…

それでは歌詞から考えてみよう!

貴方は風のように
目を閉じては夕暮れ
何を思っているんだろうか

「何を思っているんだろうか」はやっぱり、フリーレンがヒンメルのことを思っていて欲しいんだよ私は!そうであれヨルシカぁ!フリーレンの根幹にある「人間を知りたい」という感情にもつながっていく言葉なので、私が大切にしたいし、きっっとヨルシカも大切に思うはず。ということで、ここでの貴方=ヒンメル で一旦固定します。
ちょっと助詞が足りないので補ってみようかな。
貴方は風のように目を閉じて(は)夕暮れ時 何を思っているんだろうか。
「風のように」は、どこにかかるんだ…?原則【名詞】のように【形容詞/動詞】という使い方をするのが適当なんだけど…(例:石のように硬いパンだ。)文章的には【風】のように目を【閉じて】というつながりか?いやでも風のようにという比喩表現って「すぐに」とか「急速に」とかのイメージが強いですよね。「疾きこと風の如く(ごとく)」というのが「風」に対する一般的なイメージだと思います。ならばここは 風 そのもののイメージが春という季節を連想するものではなく、何かを動かすきっかけ である可能性が高いかなと。というのも、

もう忘れてしまったかな
夏の木陰に座ったまま 氷菓を口に放り込んで風を待っていた

『花に亡霊』

風が吹いた正午、昼下がりを抜け出す想像

『だから僕は音楽を辞めた』

 上記の歌詞は歌の冒頭に置かれていて、風が吹くことによって状況の転換を期待しているものとして捉えることができます。「追い風」なんて言葉も実際に「背中を押すように吹く進行方向と同じ風」であり「目の前の事象の好転を表す」場合にも使われますからね。この作品にとっても同じように「現在あるものの状況からの脱却」として捉えることもできるかなと。
 もしくは!ヒンメル=風(もしくは春風)として考えてみましょう。で、歌詞にフリーレンの作品を後付けしてみましょう。ちなみにヒンメル=春 のイメージは皆さんお持ちだと思います。フリーレンという名前は(凍る)などの意味があり、そのフリーレンの心を溶かす存在であるヒンメルは暖かな存在、春の日差しを与える存在のように思います。個人的には雪や寒さの描写が多い北側諸国を旅してエンデに向かうフリーレン一行を、春の存在であるヒンメルが待っているの…とっても好きな展開です。
 スルーしてしまいましたが、夕暮れって勝手に時間だと思っていましたが、時間じゃないかも。2番で詳しく述べますが、夕暮れの空に にした方が都合がいいので、一旦そのように解釈します。

貴方(=ヒンメル)は(春)風のように(存在し)
(ある日)目を閉じては夕暮れ(の空に)
何を思っているんだろうか

 在り方は正直この時点ではわかりませんが、状況ははっきりしました。フリーレンたちが魔王討伐の旅をしている時の描写ですね。「思っているんだろうか」の時制が現在形だし。魔王討伐直後から物語が始まることも相待ってそう考えてしまいます。
 因みに第一巻の表紙のヒンメルって目を閉じているので、もしかしたらそのことも関係しているのかもな。物語の始まりの(表紙)のヒンメルは目を閉じている。ことにも関わっていたら楽しいな。楽しいだけだよ!

目蓋を開いていた
貴方の目はビイドロ
少しだけ晴るの匂いがした

「開いていた」で時制が過去になっていますよね。オレオールでヒンメルとの再会を目的とした旅の途中である「今の」フリーレンの視点に変化している可能性があるかなと。ヒンメルが夕暮れに目を閉じていたところと同じ場所でのフリーレンが旅を思い出すシーンであってほしい。ビイドロの目 というのは、美しすぎて人間ではない等、人間の気持ちがわからない際の比喩表現として使われることが多いので…でも最近では吸い込まれるような美しさを表したり、美しさの比喩として使われることもあるので、一概に言えないのかも。
 旅をしている時のヒンメルは、諦めることなく、絶望することなく魔王討伐を目指し、人々を助け、ダンジョン攻略に目を輝かせる青年でした。そんな、夢や希望あふれるヒンメルの瞳には、世界の美しさが映っていたようにも思います。そんな彼の目をビイドロというのは、ありだろうな。
 少しだけ晴る=春の匂いがした ということは、春=ヒンメル(人間)のことがわかってきたフリーレンの気持ちのことではないかと。ヒンメルを春風として捉え、また、ヨルシカのクリエイターは春と夏が好きという前提から、きっとビイドロの目は、美しいものを映すはずなので。ということで、ビイドロの目はヒンメルであり、前節の閉じた目を開く対比、時間経過とともに少しずつヒンメルの気持ちがわかってきたフリーレンの気持ちを表しているように思います。

さて、ここまで書いて、ヨルシカがyoutubeでラジオを放送していたことを知りました。アーカイブがあったので確認しました。今作に関わる内容で特に重要そうなところを抜き出しますと、

曰く、タイアップする時は相手の世界観を壊さず自身の世界観を大事にすることを意識して曲を作る。
曰く、この曲はヒンメルについて書こうと思っていた。だからタイトルは空が晴れる的なものにしようとしていたが、色々削って 晴る になって、ヒンメルという意味が残った、副産物的なものだった。

 他にも有益な情報は沢山ありましたが、一旦ここまでにして考えてを改めていきましょう。寄せすぎず、離れすぎずの距離感をいくということは、私が好きに解釈してもいいと言うことですね?ありがとうございます!!!という知識(幸せ)も踏まえながら以後も考えていこうと思います。

晴れに晴れ、花よ咲け
咲いて晴るのせい
降りやめば雨でさえ
貴方を飾る晴る

 あれ、これ、1行目の「に」は多分古文の「に」の使い方だ。動詞を重ねて強調している使い方ですね。ということで「ひたすらに晴れて、花よ咲け」と、晴れの日やその景色を強調しています。次の歌詞との兼ね合いも見て考えたいので、まずは2行目いきましょう。うん、これ、「咲いて」の「て」もおそらく古文の「て」の使い方。おそらくクリエイターが好きな万葉集で引用されている順接の仮定条件「…たら、…なら」と訳したいし、ここまできたら晴るは掛詞的使い方をしたくなっちゃう!「咲くならそれは春の晴れのせい」までいきたい!ので、そうしよう!(掛詞は「ひらがなだったら掛詞だ!みたいな印象がありますが、漢字表記でも掛詞として考えられる場面が多く出てきます。」)
ただ、1行目とのつながりを考えると「て」の用法にもう一つ逆接の確定条件「…のに、…ても、…にもかかわらず」も、捨てがたい。そうなると「咲いてもそれは春の晴れのせい」と訳しますね。仮定条件と確定条件の違いは文字の通り、「まだ起こっていないことは仮定条件、すでに起こっていることは確定条件」ということで、「花よ咲け」と呼びかけているのは、花が咲いていない(もしくは咲いているという状態には足りない)ので、順接の仮定条件「咲いたらそれは春の晴れのせい」説を推します。春の晴れの日があまりにも暖かく、花が咲いてしまう…この花はぜひヒンメルの故郷の花の「蒼月草」であってほしいですね。蒼月草の元ネタは「ネモフィラ」が近いと言われています。ネモフィラの咲く季節は「4月中旬から5月中旬」なので、春です。キュンです。
 3行目「降りやめば」は、多分、今時の言葉で考えたら「雨が降り止んだら」になるけど…古典だろうな…古典で考えてみましょうか。

や・む 【止む】[一]自動詞マ行四段活用{ま/み/む/む/め/め}
①おさまる。やむ。
のため、「やめば」は已然形+接続助詞「ば」の「順接確定条件(…と、…ところ)」で訳してみましょう(もう考えるじゃなくて口語訳になってきた…)「降り止むと雨でさえ」が、しっくりくるかなぁと思います。
 4行目はそのまま「貴方(=ヒンメル)を飾るような晴れの日になる」この4行、並べてみると起承転結の美しさが際立ちますね。起の1行目で歌いおこし=何の話をするのかを定義し、承の2行目でこれを受け発展させて=歌詞の内容の幅を広げ、転の3行目で場面や視点を変えて結の4行目で全体を締めくくる という、理想の話の展開になっています。具体的には、1行目=春の晴れの日に咲く花よ咲け 2行目=その花が咲くのは晴れの日だから、晴れの日を喜ぶ 3行目=春の雨が降って晴れていない日であっても、その雨でさえ(晴れの日に対する障害でさえ) 4行目=貴方を飾る晴れになる と、解釈しました。この4行だけでも十分詩としての完成度が高いです。これ2期OPじゃなかったら、蒼月草の花畑でキャラクターが戯れていて欲しい。
 そういえばこの曲のジャケットで女の子が抱えている花はずっと椿だと思っていたけれど、もしかして白のネモフィラ?いや流石に葉のつき方が違うのでこの案は却下。ジャケットまで考え出したらキリがないので置いておきましょう。

胸を打つ音よ凪げ
僕ら晴る風
あの雲も越えてゆけ
遠くまた遠くまで

 胸を打つ音は ドキドキ だといいな。不安や恐怖でも胸を打つ音はしますが…いや待て。一旦胸を打つ って多分古文のほうの慣用句としてみますか。
① 悲しみや嘆きや無念さから自分の胸をたたく。 自分の胸をたたいて嘆き悲しむ気持を表現する。 ② びっくりする。 はっとする。
  なるほど、意味が変わるのか。場合わけしてみよう。①の場合、悲しみや嘆きからくる自分の胸を叩く音よ静かになれ という解釈ができます。②の場合、はっとするなら、 ドキッ かなあ。ただ、②を選択する場合、2行目と繋げるなら倒置が必要になると思います。
「僕ら晴る風」 風=個人的に風を事態を好転するきっかけ だと思っていたのですが…晴る風はヒンメルのことに聞こえるんですよ。晴るという言葉そのものももちろんヒンメルを表すのですが、作品中、フリーレン、ハイター、アイゼンは「ヒンメルならそうする」と、言っています。ここ、1行目と2行目を逆にするといいのかなあ。「ヒンメルならそうする」というヒンメルに対する尊敬や敬愛を含んだセリフを聞いたフリーレンやそのセリフを聞いた人たちがハッとするのではないかと。もっと言えば、原作を読んだりアニメをみたりしている我々の気持ちの代弁にも聞こえます。ここはもう、ずーっと考えてました。文脈通りに理解できなかったから、倒置することにしました。①の場合「悲しむことはもうやめよう。僕らのヒンメルならそうする。」ですし、②の場合「僕らのヒンメルならそうする。 という言葉を聞いてハッとする僕たち。」になります。どっちも好きだけど、せっかくなので②にしようかなあ。
 ここまで書いておいてなんですが、ここはシンプルに「感動する」の現代語的胸を打つが一番美しいのは存じております。「胸のドキドキよ静まれ」ですよね、わかっています。僕ら晴る風も「僕らは春風=僕らもヒンメルのように」ですよね、わかっています。わかっていても、なんとなく考察っぽく考えましたっていうアピールがしたかったんだごめんなさい!!
 3行目は、ヒンメルに思いを馳せるという表現だろうなあと思います。雲を越えた先の空=ヒンメル かな。ただの空ではなく、タイトルのように青空が広がる状態や様子をヒンメルの比喩としていいのではないかと思います。なので、雲を越えていく先にいるはずのヒンメルを思ったり、作品の目的地であるエンデが、はるか遠くにあるということもかかっていたりするといいなと思います。そうすると、4行目との倒置関係も成り立つのでは?成り立ちますね。ここは倒置ですね!それならばいいですね!「遠くまで あの雲を越えて行け」いいですね。フェルン=遠い と、意味があります。が、ここにフェルンを意味する必要はあるのかな…ヨルシカさんが ヒンメル を歌うと言っております。ヒンメルとフェルンが繋がるとたら、フリーレンが必要です。フリーレン主体の歌であればフェルンが出てくるのは当然ですが…ここは単純に雲を越えるほどの遠くにいる ヒンメル を強調するための 遠く だと考えていきたいです。おそらく視点はフリーレンかな。雲を越えていくとヒンメルが見えるからね。風が吹くのは、青空を見せるため…?ここは2番と一緒に考えていきましょう。

しっかし、クリエイターのナブナさん、古典お好きな方だな…?そういやラジオでも高校教科書の作品「四面楚歌」の話とか「万葉集第2巻の116番の句がモチーフの曲がある」とも言っていたし。なんだか好きだとずっと思っていた理由がこの辺りで腑に落ちました。そうか、古典というジャンルが好き同士の感性が少し似通っていたのかなって思うと嬉しいな。これヨルシカ歌詞探究もできるな楽しいな。それはまた別の話にしよう。(脱線こそ考察の醍醐味派の私)

貴方は晴れ模様に
目を閉じては青色
何が悲しいのだろうか

 2番に突入したら明らかに1番対比というか…押韻してる?!まじ?!ちなみに押韻とは並べた二つの言葉の母音が同じであることを言います。ラッパーさんあたりが「韻を踏む」という表現をします。早速並べてみましょう。
風のように kazenoyouni
晴れ模様に haremoyouni
全部踏んでる、びっくりする。こんな綺麗に踏むのはラッパーなのよ。個人的に、歌は音の並び(韻だけでなく、57調なども含める)の美しさがあればあるほどいいんですよね。「よくわからないけどいいリズムだな」と「ああ、これ韻を踏んでいるから気持ちが良く感じるのか」と、どっちも同じだけど違うんですよね。わかる人にはわかる美しさって、最高ですよね。ザットイズジャパニーズトラディショナルオモムキ。さて、対比の続きといきましょう。

1番は 夕暮れ 何を思っているんだろうか

2番は 青色  何が悲しいのだろうか

なんですよ。何 で始まって だろうか で終わっていて統一感のある歌詞になっています。夕暮れの赤と青色の対比も見えますね。美しいな。夕暮れと言うと時間に焦点が当たりがちなのですが、青色=昼の空の色 夕暮れ=赤色=夕方の空の色 ということで、意図としては時間に重きを置いているのではなく、色に重きを置いているのではないかと考えられます。と言うことで、1番の「夕暮れ」の後に来るのは「空そのもの」であることを協調し、この青色も「空そのもの」であることを協調します。
 次は内容を考えてみましょう。1番では「貴方(=ヒンメル)は(春)風のように(存在し)、(ある日)目を閉じては夕暮れ(の空に)何を思っているんだろうか」晴れ渡る青空のもと目を閉じるヒンメル。それをみているフリーレンがヒンメルに対して「何が悲しいのだろうか」と考えているといいなあ。(願望)でもなーフリーレンですよ?10年旅をしてもヒンメルのことを(ひいては人間のことを)理解できなかったはずのフリーレンが、悲しんでいるヒンメルのことを、表情を見ただけでわかったのか甚だ疑問が残ります。フリーレンが悲しみを察することが出来るとするならば、 青色=涙 つまり、涙を流している人間は悲しんでいる と、辞書的な内容でフリーレンでも悲しんでいるということをわかる可能性はあるかなあ。状況的には成立しますよね……でもなーー『葬送のフリーレン』において、主要キャラで涙を流す場面があるのって、おそらく第一話のフリーレン(第一巻p39 5コマ目、同巻p77 2コマ目)だけなんですよ(最新第12巻現在、デフォルメ含まず)。なのでこの考察では「泣くのはフリーレンだけ」であってほしい!と言うことで、2行目「青色=涙」ではなく、青色=空 でいきましょう。

貴方(=ヒンメル)は晴れ模様に
目を閉じて(=いるの)は青色(の空に)
何が悲しいのだろうか(=フリーレン視点)

 ヒンメルと旅した時を思い出して「あの時のヒンメル、何が悲しかったのかなあ」と、思いを馳せている…うん?なんで私ここで突然過去形にした?時制は現在形じゃない?……文脈ぶったぎりでびっくりするほど突然浮かんだのは、ヒンメルの死です。え、待って、ここ、え?やばまって、語彙どこにある。そういうことじゃない?!そうか、そういうこうとか!!!ヒンメルがなくなった日、青空なんです(第1巻p31 1コマ目)。目を閉じているのは、なくなっているから。お葬式の始まり、人々は泣いているんですが、フリーレンやアイゼン、ハイターは涙を流していないんですよ。「だって私、この人の事何も知らないし…」そう、知らないもんね。周囲の人がなぜヒンメルが死んで泣いているのかわからないもんね。

目蓋を開いている
貴方の目にビイドロ
今少し雨の匂いがした

 亡くなったヒンメルとの対比として生きている=目蓋を開いているフリーレンを取り上げたいです。1番は過去の回想ということで考えました。そうか、旅をしていたあの時のことを思い出している。2番は物語の始まり、ヒンメルの死からスタートするのであれば、話は早いですね。しかし…同じような歌詞であなたの目にビイドロ…?そして1番の歌詞は「貴方の目はビイドロ」2番の歌詞は「貴方の目にビイドロ」の対比も考えたい。ということで、貴方の定義からいきましょう。

あ‐な‐た【貴=方】
[代]《「彼方 (あなた) 」から》二人称の人代名詞。
1 対等または目下の者に対して、丁寧に、または親しみをこめていう。
2 妻が夫に対して、軽い敬意や親しみをこめていう。
『デジタル大辞泉』(小学館)より引用

 今、おそらくこれはフリーレンがヒンメルをみていることにしても問題ないかと。「夢や希望あふれるヒンメルの瞳には、世界の美しさが映っていたようにも思います。そんな彼の目をビイドロというのは、ありだろうな。」1番での考察にこのように書かせていただきました。歌詞の「目に」の「に」は格助詞の対象の用法ですね。「私は友に反対した。」のように、主語が「に」の後にある述語をする際の目的語になる「に」です。「誰に」とか「何に」に当たるやつです。歌詞の後に動詞を補うとしたら以下のように「その目にビイドロ(=美しいもの)が映っている」と考えるのが美しいかと。そしてそれを隣で見ていたフリーレン…そんなことを思い出していたら、自然と涙が溢れてきますよね。その様子を3行目「今少し雨の匂いがした」という比喩表現で表されているのであれば、その美しさは格別ですよね。

泣きに泣け、空よ泣け
泣いて雨のせい
降り頻る雨でさえ
雲の上では晴る

2番に関して繰り返しになりますが、『葬送のフリーレン』において、主要キャラで涙を流す場面があるのって、おそらく第一話のフリーレン(第一巻p39 5コマ目、同巻p77 2コマ目)だけなんですよ(最新第12巻現在)(2回目)。だから泣いているのはフリーレンです(震えながら断定)(2回目)。ということで、使われている文法は1番と同じものが使われているとして、できるだけ1番に沿って解釈していきますね。
 1行目の「空よ泣け」の空はヒンメル…ヒンメルなのですが、今はヒンメルが泣くことはなしで!作品中泣くのはフリーレンだけと仮定して、起承転結の流れとサビ前の解釈も踏まえて、ここは1番との対比を意識したものにしてみて「ひたすらに泣け、空(=ヒンメル)を思って泣け」という流れだといいな。現状は「現在のフリーレンが過去のヒンメルを見て(思って)しきりに泣いている。」
そうだとしたら、2行目も「泣いているのは雨のせい」であるということですね。でもなあ…「なんでもっと知ろうとおもわなかったんだろう」と泣くフリーレンが「泣いていない」なんていうのは少し違う気がするんだよなあ。泣いてほしいな、人間のことが、ひいては自分のことが少しわかったフリーレンの成長を感じ取りたい!という私の願望も込めて泣かせておこうと思います。泣いてはいない。ないているように見えたらそれは雨が降っているからだ…ここまで考えて思い出すのは、「いや、雨だよ。」でおなじみ『鋼の錬金術師』のロイ=マスタング様の有名な台詞ですよね。雨のせいなんです。泣いていないんです。雨=雲が空を隠しているから泣いているんです。そうだといいなあ。
 3行目も「降り頻る雨という、空(=ヒンメル)を隠す障害でさえも」とすんなり考えていたんですが、違うな。ヒンメルを隠しているんじゃなくて、感情の発露である涙を暗示していてほしいな。「降り頻る雨=涙を流すフリーレン でさえ」で、よくない?だって4行目は「雲の上ではヒンメルが笑っている。」んだよ。なんで笑っているんだろうなあって思ったんですが、多分、フリーレンが泣いているからなんですよね。感情をあまり出さない&理解しようとしなかったフリーレンが感情の発露として涙を流しているんですよ。ヒンメルはこの上なく嬉しいんじゃないかな。人のことをわかろうとしなかったフリーレンが、人のことをわかろうとして泣いているんですよ。こんなに嬉しいことはないよね。ということで文法そっちのけパッション丸出しでまとめます。
1行目=ひたすらに泣け、空(=ヒンメル)を思って泣け
2行目=泣いているのは雨のせい(フリーレンが少し人間のことがわかってきた。感情を理解するようになってきた)
3行目=(だから、)フリーレンが涙を流す行為でさえ
4行目=ヒンメルにとっては嬉しいことである

大分パッションで解釈しすぎ?でもこのまま行っちゃう!乗っているままいっちゃう!

土を打つ音よ鳴れ
僕ら春荒れ
あの海も越えてゆく
遠くまた遠くまで

対比の相手は「胸を打つ音よ凪げ」の箇所ですね。
音よ凪げ=otoyonage
音よ鳴れ=otoyonare
晴る風=harukaze
春荒れ=haru  are
はちゃめちゃ踏みまくっています。意味内容もほぼ同じかと思います。ちなみに春風には晴る風の意味もかかっているのかなと思います。
 土を打つ…1番との対比かなあとも思ったのですが、私の古文センサーが働きます。絶対これ古文だ。ということで調べました。春で土を打つなら、畑打(はたうち)という表現があるそうです。春の季語で、春になってから、種撒きなどのために畑の土を掘り返すことを言うらしい。固くなっている土を起こす感じです。でも、音が鳴るっていうのがわからない…色々調べてみたら、松尾芭蕉の句に近しいものがありました。

畑打つ音や嵐の桜麻 (yamanashi-ken.ac.jp)

畑打つ音や嵐の桜麻 (yamanashi-ken.ac.jp)

いま盛んに百姓たちは田起しの農事作業をしている。その鍬を打つ音は嵐(=荒らしの掛詞)のように大きく響いている。春たけなわの田園では桜麻が緑のじゅうたんのように芽吹いている。

 いや待って、n-buraさんこんなところもカバーするの?嘘でしょう?古典の先生になってくれ。そうしたら爆速で教えを乞いに行く。さて歌詞に戻ります。なんで荒れるなんて言葉を使ったのかと思ったら1行目=「土を耕す際に大きく響いている音」と2行目=「1行目の音が春嵐のように響いている」と言いたかったのかと。松尾芭蕉のように掛詞を用いたかった可能性が高いですね。因みに「春嵐」は「春に吹く強い風。春荒れとも」有るので、確定かな。そう思うとあながちヒンメル=風 としてあらわしたのは間違いじゃないような気もしてきました…因みに1番では「僕らのヒンメルならそうする。 という言葉を聞いてハッとする僕たち。」という解釈をぶちかました手前、普通に解釈していいものかと思ったのですが…行けるところは行きましょう…!是非!
 繰り返しになりますが、ヒンメルはきっと、フリーレンにとって心に吹く暖かな春風でもあると思うんですよね。そのことが一番顕著に表れているこの部分だとしたら、美しいですよね。
 3行目「あの海も越えてゆく」のは、おそらく1番の「あの雲も越えてゆけ」との対比ですが…なぜ2番は終止形なんでしょう?1番と対比して考えると「遠くまで 海を越えてゆく」になります。1番では遠くにいるヒンメルを思っての歌詞かな?と考えたんですが…本編の話の中では海を越える話はありません。一番近い表現はコリドーア湖を渡るお話でしょうか(第9巻p3〜)。ということで海は渡らないので本編に通じた表記ではない。文法上、海を越えていくのは春荒れ=春嵐なんですよね。うーん、わからん。活用形の意味を踏まえて考えてみましょうか。1番の「越えてゆけ」は命令形です。これは、誰かが誰かにその動作や状態を強制する形です。「晴る風よ越えてゆけ」という1番の歌詞では、遠くにいるヒンメルの様子を表す言葉だと思っていましたが、どうやら浅かった…どっちもフリーレン目線なのかなと思いますが…単純に、1番は「フリーレン目線で」で2番は「フリーレンが、自分の意志で遠くに行く=旅に出る」でもいいのかなあ。
そろそろ逃げていた晴ると春の違いを考える時が来たのか…

閑話休題 〜晴ると春〜

今まで春=晴るだと考えていました。晴るは、タイトルにもある通りヒンメルを表す言葉だと仮定しましょう。
では、春は?歌詞考察では個人的に「春=ヒンメル」だと思っていましたが、若干ニュアンスが変わってもいいのではないかなと思います。というのも、1番では「晴る」が多用されており、2番後半からラストにかけて「春」と「晴る」の混在が見受けられます。1番はヒンメルたちと旅をしている(もしくはその時のことを思い出している)時のフリーレン視点と仮定し、2番はヒンメルの死後のフリーレンの視点と仮定しました。ということから晴る=生きているヒンメル(もしくは直接的にヒンメルそのもの)を表す
春=死後のヒンメル(もしくはヒンメルの意志等)を表す
で、分けて考えてみるのもありかもしれません。

通り雨 草を靡かせ
羊雲 あれも春のせい
風のよう 胸に春乗せ
晴るを待つ

靡く ってなんだろう。辞書を調べたら、
①風や水の勢いに従って横にゆらめくように動く。②他の意志威力などに屈したり、引き寄せられたりして服従する。また、女性が男性に言い寄られて承知する。「威光に—・く」「いくら口説いても—・かない」[動カ下二]「なびける」の文語形。 ということは、下二段活用なので使役の意味が入ります。靡くようになせる、なびかせる、ですね。風の印象が強すぎて知らなかったんですが、水にも靡くんですね。通り雨が草を靡かせる…うん…どういうことだろう…?もっと気になるのは2行目「羊雲 あれも春のせい」…なにがよ。普通に解釈したら「羊雲が発生するのは春が原因だ」としたらいみがわからん。そもそも羊雲って秋の季語なんよね。ここでまさかの「実は舞台は日本じゃありませんでしたー!」なんてことはないはずなので、もう少し考えてみましょう。羊雲は天気が雨に移り変わるときに出てくる雲 とか、羊の毛を刈るのは晩春の季語とか考えるとそもそも羊のことを考える必要はなさそう。では、羊雲の作り方か…?ここで、ふと気づく。
空気が動くのか、空気の動きを表しているのか。雨が降ると風が吹いたように空気が動きます。別に風なんか吹いていないのにまるで風が吹いたように動くよね…同じなのか?これは季節を表すというよりも、空気が動く=心が動く のニュアンスを暗示しているのかも。

羊雲は空気の暑い季節から寒い季節への変わり目の時期に、ベルーナ対流というものが発生します。これは、上空の空気が冷やされて降下してくる現象です。このベルーナ対流によって、小さな塊のような雲が連なる羊雲ができます。

羊雲とは?読み方・意味・季節・季語にも?天気や地震との関係は? | トリビアハウス (xn--ccki1dxctbw4n.com)

春風…とまではいかなくても寒暖差が起きる=空気が動く ことを暗示したいのかもしれない。もしくは、羊雲=雨になる ということで、今は晴れていても雨になるという将来が待ち構えている、とか…?
3行目は、風のよう…やっぱり、ヒンメルのように って解釈したいな。胸に春乗せ=心の中に暖かさを持って と2行目の「春のせい」と「春乗せ」で韻を踏んでいるのかと。ここ実際の歌唱では「むねにはるのせぇ~」と伸ばしているので、聞こえようによっては「はるのせぇ~い」とも聞こえるので、押韻重視で歌詞が決められているのかも。
晴るを待つ=空が見えるのを待つ の、そのままでもよさそうだな。夢希望を込めて「今、あなたの心には雨が降っているかもしれないし、将来的に雨が降る可能性があることもある。どんな時でもヒンメルのように暖かいここををもって、晴れるのをまとう。」だったら、きっと、ラスサビ前としては、強いメッセージ性もあっていいなって思います。また、閑話休題での 晴る=ヒンメルそのもの として考えるのであれば、旅の終わりのエンデで待ち受けるヒンメルと会えるのを待つ。そこにたどり着くまでに様々なことがあった(もしくはある)ように捉えて差し支えないかなあとも思います。晴る=ヒンメルそのもの だったらね!前提が違ったらごめんね!
 もう一つ考えられるとしたら天気の移り変わりです。n-buraさんもこの作品について「だんだんと晴れていく様子を表している」と前述しているので「雨→曇り→風で雲をどかす→晴れを待つ」ということでもいいのかも。シンプルイズベスト。ここも妄想爆発パッショニズムでした。そんな自分も大好きだぜ!

晴れに晴れ、空よ裂け
裂いて春のせい
降り止めば雨でさえ
貴方を飾る晴る

「晴れに晴れろ、空よ割れろ」前段の天気はきちんと青空に雲がかかった状態で、それを晴らすために「雲を割け」という激しい表現を使っていますね。お気づきの通り「裂け」は1番の「咲け」との対比ですね。そうなると2行目は「雲を裂いててもそれは春の晴れのせい」ということになります。全部ヒンメルのせいだ!(言いたいだけ) 雲を裂く=雨が止む ということなので3行目の「降り止むと雨という障害でさえ」4行目=「貴方(ヒンメル)を飾るような春の晴れの日」ということですか。晴る=ヒンメルそのもの という解釈をしましたが、全部が全部じゃなくてもいいですか…私は作者じゃないので…余力が欲しいです…ごめんなさい…しかしラスサビまじでヒンメルじゃん。やばすぎ。(尚既に語彙は失われているものとする)

胸を打つ音奏で
僕ら春風
音に聞く晴るの風
さぁこの歌よ凪げ!

勿論1番との対比になっています。1番は「音よ凪げ」…今回は「音奏で」…
音よ凪げ otoyonage
音奏で  otokanade
ほぼ踏んでるな。それなのに内容は真逆のこと言ってるな。すごすぎる。
今回の胸を打つは現代でよく使われている「とても感動し、心を動かされること。」で、いいのかなって思います。n-buraさんも言うように、「晴れる歌」なので、ラストに近づくにつれて、晴れのわくわく感があったらいいなと思います。その音を奏でる=感動していきましょう ということだといいですね。「僕ら春風」も、同様に1番の意味に近づけていくと、「僕らのヒンメルならそう感じる」だといいなあ。ヒンメルの暖かさをみんなで感じましょう。
3行目の「音に聞く=噂になる、評判になる。」ですが…1行目の「音奏で」に呼応した表現になっているとするならば「心を打つ春の晴れの日に吹く風」としてもいいのかもしれない。歌詞をそのまま解釈するならこれが一番美しい繋がりかと。
個人的にはこの流れをぶった切って、この3行目からメタ要素を入れてもいいかも!と思っています。「音=BGM」の入った状態の「晴る=本作品」を聞いてもらっていたけれど、4行目「さぁこの歌よ凪げ=BGMを切れ」で、ラストのBGM無し大感動!!!…という流れの可能性が高いですね。この方が面白い…気がする。笑

晴れに晴れ、花よ咲け
咲いて春のせい
あの雲も越えてゆけ
遠くまだ遠くまで

 アカペラで歌い上げる、涙が止まらなくなる部分です。1番との違いは、晴るの部分が春になっています。ヒンメル自体はなくなってしまったけれど、その思いを受け継ぐフリーレンという存在が、ヒンメルを覚えている限りヒンメルはあり続ける…ってことだといいなと思っています。素敵ですよね。ただただ、美しさを享受しましょう。それだけでも意味があるので。

終わりに

おそらくまだまだ考え続ければ、もっといい内容になりますし、もっといいことが浮かぶような気がします。浅薄な『葬送のフリーレン』に対する知識や私の貧相な思考力で考え抜くのは、ここらが限界なように思います。
 最近とある哲学者さんの本に、「哲学の本を出版するということは、思考を断念することと同じである(意訳)」ということが書いてありました。ああなるほど、哲学のように考える学問に近いことが出来ていたのかな、と喜びつつ、なんでここまで本気で頑張ってんねん私…(遠い目)という呆れ果てつつも頑張りぬいた自分を褒めてあげたい…
 ということで、いったんここで考えることを終えます。断念…に近いかもしれませんが、私は満足です。何せそろそろ終えておかないと、フリーレンのアニメが終わる!(切実)
 1月から始めて早2か月、まさか2万字になるとは思っていませんでした。大学の卒論かなって思いました。なんなら卒論より書いてる私の作品が、誰かの笑顔になったらいいなと思いつつ、文章を終えます。
 ここまでよんでいただきありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?