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わがままってなに

不登校を選択し生活していると、たまに、「いつも好き勝手にばかりさせていて我が儘に育つと思うよ。」と言われることがあります。私は、「我が儘」という言葉が大好きです。本人の意思が感じられる言葉ですから。

でも、上記の様な使い方は好きではありません。相手の生活のごくごく一部しか見ずに何かをジャッジしてしまうという行為と、人が意思を持ち行動することを、「自分のことしか考えられなくなる」という視点で受け取られてしまうことを残念に思います。

子どもは、子どもの都合だけで全て思い通りに生きられるでしょうか。そんなことはあり得ません。ほとんどの子どもは、親の都合、大人の都合に合わせて生活しています。例えば、学校に行かない選択をしたところで、親のリズムに合わせて日常生活をおくることになりますし、兄弟などがいれば、自分中心の時間にばかりなるはずもありません。外に出れば社会のルールを守る必要もありますし、お金だって自分の意思で使える額は限られていることでしょう。ほしいものだって、ほしいタイミングで手に入れられるとも限りません。

「我が儘になるよ」と言う大人に、むしろ、子どもが大人の都合で生活してくれていることに慣れすぎてしまっているんじゃないの?と言ってしまいます。子どものどこが、子ども都合で生きているのか、本当にやりたいことに全力で向き合う時間を、日本中の子どもたちの何%が毎日持つことができているのか。大人たちは、今の子どもたちと同じような生活をおくって、本当に幸福感を得られるのか?と疑問に思います。

子どもは確かに、自分で稼いだお金で生活はできませんが、だからといって大人に従って生きなくてはならないわけではありません。大人も子どもも対等な命です。子どもにも権利があるのです。

学校では同級生と競争させられ、点数で評価され、その競争相手と仲良くしろと教えられます。競争させることにはリスクが伴うのです。競争では学力向上はしません。生まれるのは格差だけです。

ある学校では、近年の子どもたちは集中力も理解力も低い。立ち歩きも多いと会議の議題になっていました。こういった子どもたちにどう対処すべきかと何時間も話し合ったそうです。なぜ、自分たちに問題があるとは考えないのでしょう。なぜ、子どもたちを取り巻く環境に問題があると思わないのでしょう。「問題」なのは本当に「子ども」なのでしょうか。

いつも誰かに評価される。そんなギスギスした生活の中で、子どもが自信を失っていったり、新しいことに挑戦しなくなったり、人と自分を比べることで心のバランスをとっている面を目の当たりにしてしまうと、もう何とも言えない歯がゆさに襲われます。生き苦しさを感じます。

むしろ今の子どもたちは、もっともっと「我が儘」になるべきだと思います。素直で真面目故に苦しんでいる子どもたち。そんな素晴らしい才能を持って生まれた子どもたちを潰す日本のシステム。一体いつまで続くのでしょう。一刻も早く、若者の自殺者世界NO1の状況から抜け出すためにも、幸福感を感じられない国から抜け出すためにも、今日は自分に何ができるのかを考えます。

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