国旗という権威

 今はどうか知らないけど、某TKS院長(もしくは頭Qのハゲ小説家)がツイッタープロフィールの位置情報(?)のところに「日本の国旗の下」ってあって、そん時はなんとなく文学的(謎)な表現だなぁ〜って思った。

 国旗って言語以外での国の表現として非常に優れていると思う。日本の国旗とか最高じゃん、白地に赤丸がデン!とあってスタイリッシュで粋な感じがするし。

 まぁ本題は日本の国旗の素晴らしいデザインではなくて、国旗がどう使われているかなんだけどね。

 なんとなく権威の象徴として使われている節があって、不思議に思う。例えば国旗に向かって敬礼したり、嫌いな国の旗破いたりするのって凄く馬鹿馬鹿しくない?(旭日旗とかセンシティブな話題はさておき...)。

 国旗を国家(ひいては民族)と見立てるのもアホくさいと思う。絵とか字とかを紙や布や板に描いただけで描いたものそのものとして扱わなきゃいけないわけがない。

 そういう理屈が通じない国って、嫌だよねぇ。習近平の写真貼りまくって建物の立ち退きを防ごうとしたおっさんが中国にいたけど、究極的にはこういう形で悪用されるだけだと思う。

 悪用されやすい権威ってのは恐ろしい。カントが純粋理性批判で、神の存在証明は不可能!終わり!閉廷!ってしたのも結局「神」の権威の危うさを感じていたからなのかなぁ。(まぁ神の存在証明はカントの主義主張ありきと言うには余りにも理知的に導き出されてるんですけどね。純粋理性批判に対する批判について詳しくないのでこれ以上は何も言えない泣)。

 話は最初に戻ってTKS院長は日本って国の権威を悪用する外道だと思った(小並感)。さっさと捕まれ悪党。


 

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