全ての人が幸せだと感じる世の中になりますように♪ マヤ暦カウンセリング夢現 代表 泉ユミ(夢実ぴぃ)さん
泉ユミさんプロフィール
活動地域:全国
経歴:大手前女子大学文学部英米文学科卒。OL時代はSEIKOグループ会社にプログラマーとして従事。結婚後は専業主婦が夢だったが、娘が生まれつきの心臓病で生まれたため、生活が一変。ヤクルトレディ、お料理ブロガーのち、親と子のコミュニケーションの場を提供するために親子クッキング主宰。一般社団法人マヤ暦セラピスト協会認定 ソウルナビゲーター&マヤ暦占星術師として鑑定人数700人以上 アロマ検定1級 フードコーディネート3級 ハーブアドバイザー レシピブログスパイス大使 大阪ガスサポーター等経験あり
現在の職業および活動:マヤ暦ドリームナビゲーター&天使のメッセンジャー 心臓病の娘を12歳で亡くしマヤ暦占星術師に。鑑定セッション・イベント出展依頼受付中
2019年11月『空の上から見ているよ』出版「全国の主要こども病院に著書を寄贈」活動開始。2020年3月 全国学校図書館協議会選定図書に選定される。
親子クッキングYummy Yummy キッチン主宰。
座右の銘:①為せば成る、為さねば成らぬ、何事も
②ケ・セラセラ
子ども達が夢や希望を持って幸せでいられる、温かい社会を築きたい
記者:マヤ暦占星術を用いたカウンセリング、お料理教室「Yummy Yummy キッチン」を主宰されたり、絵本を出版されたりと活動が多岐に渡る泉さんのバイタリティに感銘を受けます。そんな泉さんが描く、夢やビジョンを教えてください。
泉ユミさん(以下敬称略):健常児と病児2人の子育てをした事によって「子ども」が私のテーマになっているのです。この社会には優しい人もたくさんいるのですが、子育てに優しくない事があると感じました。それによって制限がたくさん生じています。だから私は子ども達が夢や希望を持って幸せでいられる温かい社会、そういうのを導いていきたいと思っています。
今までやってきたこととして、先天性心疾患の娘を持ったことで家でやれる事を考え、当時流行りだしたblogを「ゆみぴい日記」として書き始めました。そこからお料理ブロガーとして活動しはじめ、そしてご縁でお料理教室の講師となる中で親子のコミュニケーションの場を提供したいと思い、「Yummy Yummy キッチン」というお料理教室を始めました。今は年に1度、コミュニティセンター主催の夏休み親子クッキングを開催しています。子どもとの関りがわからないというお父さんお母さんも多いので親と子の関わりのある場を作ってあげたいとの思いや、子どもが家ではなかなか体験できないことや食に触れることによって興味を持ち、自分で作れる大人になってほしいなあとの思いからやってます。
娘が亡くなってから「私の使命は何だろう?」と探し始めました。もともと若い時から本は書きたいと思っていましたし、娘も絵本が大好きだったので、まずは娘のために本を残そうと思い「空の上から見ているよ」をクラウドファウンディングで出版しました。
記者:泉さんの熱い想いが伝わってきますね。泉さんの夢を具現化するための目標と計画を教えてください。
泉:娘が亡くなった事で彼女の使命が終わり、私に全部受け継いだと言われているんですね。その使命が何かと考えた時に、娘のお陰で病院や病気と関わる事ができ、入院してるお子さんやそのご家族の状況がわかったので、そういう方々の支えになれたらと思っています。今の段階では夢物語のように感じますが、将来は財団を作りたいと思っています。お金の稼ぎ方が上手くないけど志高く社会貢献できる人と、お金を稼げて興味はあるけど自分でやるのは躊躇するという人が繋がって一緒にやっていけたらと思ってますし、繋がる仕組みも作っていきたいです。
あと50歳までには本を書くという目標はクリアしたので、これからは絵本を創作したり自叙伝や占い本も出したいですね。
そして最終的には癒しのペンションのオーナーになりたいと思っているんです。1日数客しか取らないような、売り上げよりは癒しメインのペンションが出来たらいいですね。
新型コロナウィルスの影響で、今年やりたいことが後ろ押しになるかもしれませんが、具体的な目標計画というところでは、去年はクラウドファウンディングで子ども病院に寄贈するという活動をはじめたので、今年中に残りの子ども病院に届けたいです。できればその場にエネルギーと一緒に届けたいという想いで何箇所かは行きましたし今後も行きたいです。マーキングみたいに(笑)。あとは全国展開のビジネス交流会に参加し、縁がある人と繋がって全国に発信していこうと思っています。もう一つは40代最後でもありますし、ミセス日本グランプリにチャレンジしようと思っています。それを通して私が夢にチャレンジする姿を見てもらいたいと思いますし、そのミセス日本グランプリというのは社会貢献がテーマなのでそこでファイナリストに残ったら私のしている活動も注目されやすくなると思って成し遂げたいです。それが今年の目標です。
記者:向かいたい方向性に対してやる事がはっきりしているのですね。泉さんの活動指針や大事にしていることはありますか?
泉:自分で思う通りに表現していきたい気持ちがありますし、一度始めたら最後までやり遂げるところもありますね。
娘が小学校6年生で亡くなった後、彼女に絵本を残そうって思いました。もともと絵本って孤独な環境でも楽しめ、字が読めなくても絵からストーリーが入ってきて人を温かくする物だとも思っていたので、よく娘に絵本を読んでいました。そのおかげか娘も絵本が大好きになり、自分で絵本を作ったりしていました。私が手づくりの絵本を作ったとき、とても喜んでくれたのを思い出したのもあり、彼女のために本を描こうと思ったんです。そのあと数か月で文章はほとんどできていましたが、絵も自分で描きたいと思ったんです。画材を選ぶ時に、いわさきちひろさんみたいな滲んだ感じにしたかったけど、うまく表現できなかったので、そこから日本で一番使われてる素材のパステルがいいなと思いました。出会いの連鎖でパステルを教えてくれる方に出会い、やり始めたら最後までいってしまい、インストラクターにまでなりました(笑)。そしてその勉強会をしている時に、マヤ暦に出会ったのです。その頃、まだマヤ暦はそんなに知られてなかったので先駆けになると思いましたし、力を引き出していく何かツールが欲しかったんですね。マヤ暦は見えない力を引き出していけるものだ!と思いました。
あとは出会いやご縁も大事にしています。人の気持ちを大事にしたいとも思っていますね。感受性が強いので、相手の感情が伝わってくるんです。人の気持ちがわからない人は「なんで分からないんやろう?」と思いますね。感受性が強いが故に、傷つけられることもあるので余計に人の気持ちを大事にしたいと思うのかもしれません。
記者:泉さんの自分も人も大切にされる人柄が伝わってきますね。泉さんの「子ども達が夢や希望を持って幸せでいられる温かい社会へ導きたい」という夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?
泉:やはり娘の病気や死が大きいですね。またもともと私が持っている性質や性格を合わせた結果が今かなと思います。若い時から「人は何で生きているのだろう?」と考えていました。25歳の時に本を読んで「幸せになるために生まれてきた。」という一言が素直に入ってきました。それからしばらくは「幸せになるために生きてるんだ。」と思えば良かったのですが、今度は娘の病気や死を体験したんですね。その時読んだ本に「一番しんどい、つらい事に使命がある」と書いていました。それで「私の使命ってなんだろう?」と考え、娘の病院に通う中で、家族へのケアがあまり無い事を感じる事が多かったので、そこに何かできないかを考えました。1歳2ヵ月しか違わないのに、長男の預かり先がなかったので病院のロビーで待たせておかないといけなかったんです。そして周りの同じようなお友達のお兄ちゃんやお姉ちゃんに面倒をみてもらっていました。その環境はあまり彼にとって良くないと思いながらも、そうするしか出来ませんでした。そして娘が病室から出られる時は、病院内で3人で遊ぶことはできましたが、そうでない時や手術後は特にそういう訳にはいかないんですね。私がロビーと病室を行き来して様子をみていました。一方、病気の娘はボランティアの方々が手厚くみてくれ、割と安心できる環境がありました。当時、病気の子どもの兄弟児には焦点が当たっていなかったんです。そこで何事も経験してみないと分からないんだな、と思ったんです。娘の術後、精神的にも体力的にも大変な時に、息子が学校でお友達とトラブったんです。その時に相手のお母さんから「(私が)虐待をしているのかと思った。」と言われたんです。息子に手がかけられてなかったのは確かですが、娘の事で大変な中、そんな言われ方をするとは思わなかったので、本当にびっくりしました。「しんどいんやで」と伝えたかったし、せめて理解が欲しいと思いました。それから病気のお子さんを持った家族の大変さをみんなに知ってもらえるようにするにはどうしたらいいかを考えたり、その家族のみなさんを癒したいと思い、本をクラウドファウンディングで出版しようと思ったんです。
記者:病気のお子さんの家族の事まで想いを馳せたことがなかったので、大変勉強になります。ぜひ夢を持ったきっかけの背景もお聞かせください。
泉:もともとボランティアをすることになることが多かったのですが、好奇心が旺盛なんです。昔から人の役に立つ事が好きだし、そこに存在意義も感じます。私を必要としてくれる人がいると嬉しいんです。たまに自分が我慢しておけばいいんだ、という犠牲心でやってしまうことも多いんですが。。
実家が和歌山県で魚釣り旅館を経営していましたので、小さい頃から色んな手伝いをしていました。お金の計算をしたり、自販機に商品を詰めたり、お客様の洗ったゆかたをたたんだり、帯をくるくるしたり、おしぼりをつくったり...。もちろん無償です(笑)。少し大きくなると、バイト扱いで旅館の料理やお弁当作りを手伝ったり、客室の掃除を手伝ったりしてました。ここでクッキングの基礎的なものができたんでしょうね。
和歌山の実家の周りはお店をしている家が多かったんです。友達の家がお漬物屋さんで、小学生の時に遊びがてら、ツボ漬けをグラムで計って渡すという事をしたりもしてました(笑)。喫茶店のお家やスナックのお家に遊びに行ったりもしてましたね(笑)。うちには大きなお風呂があったのでプール代わりに遊んだり、押し入れでかくれんぼしたり。。外でも家でも楽しかったですね。そして周りが褒めてくれたり、日常生活以上の体験をさせてもらえてましたね。そういうところからも人の役に立つのが好きになっていったんだと思います。
記者:小さい頃から人の役に立つというスタンスが変わらない泉さん。娘さんの死という大変な想いを乗り越えて使命を全うしようとする泉さんの生き方は、多くの方々の心を動かせると思いました。今日は貴重なお話を本当にありがとうございました!
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泉ゆみさんの活動、連絡についてはこちらから↓↓
【編集後記】
お話を伺う事で病気のお子さんの周りの家族へのケアの足りなさを感じ、今もなお、そういう現状があることを知りました。娘さんの死から自らの使命とつながり、力強くすすんでいる泉さんの生き方は、これからを生きる人のモデルになると思いました。貴重なお話を本当にありがとうございました!
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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
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