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無くなっていたまるき

気になって調べてみたら案の定だったのでとてもいたたまれない。

気になったきっかけはこの人の動画だった。

錦市場といえばもはや外国人を中心に観光客でごった返す、台湾夜市ふうの食べ歩きできる食品商店街という印象しかないかもしれないが、少し前まではもうそれこそ落ち着いた、にわかの学生身分には近付き難い、京都という街のなんたるかを理解した人だけが立ち入りを許されているような、通好みの食材の店や飲食店が立ち並ぶ、通りだった。芸人のレイザーラモンHGさんが、同志社大学の学生だった頃、バイトしていた八百屋があるという逸話も残っている。

それがワタクシ、もう7、8年くらい前になるだろうか、京都で人にお勧めできる、美味しい店なり美味しい土産なりを見繕う必要が生じて、観光ガイドを参考に嗅覚で探し当てた結果、ひじょうに当たりだったお店が、何を隠そうこのまるきだったのだ。

その後確か学友を連れて行ったこともあったかと思う。錦市場は場所としては四条烏丸に近く、学生が主に学生生活をする右京区や左京区周辺とはまた少し違う位置にあるため、京都で学生生活を過ごした人間でも雰囲気に馴染めなかったりするのだが、意外と気に入ってくれていたみたいだ。

まるきの何がよかったのか。これを説明するのは涙が出るほど難しい。さっきから書きながらまったくどう説明したらいいかと悩みに悩んでいるわけなのだが、少なくともインスタ映えはしないし、とびきり物珍しい味がするわけでもない。客もそこまで行列をなしているほどでもない(ちょっと待たないと入れなかったりする時はある)。

まるきの木の葉丼は、一言で言えば「普通」なのであるが、こうやって活字で「普通」と書いてしまうと、良いことだとは通常思っていただけない。「まるきの木の葉丼はとっても普通なんです」
「・・・それって褒めてるの?」
そう思われてしまうに違いない。ここが悩ましい。

説明するより食ったほうが早いから、来てみて食べていただければ一番なのだが、もう店が存在しなくなってしまったみたいだからそれもできない。

そう、まるきの看板メニューは、カツ丼でも、親子丼でもなく、木の葉丼だった。肉ではなくて勝負はお出汁だった。勝負はボリュームではなくお出汁の味なのだった。勝負という言い方もまたちょっとよろしくない。正確に言えば、店はあるべきお出汁の味を、淡々と出していただけだった。BGMはかかっていないし、大声で話す人もない。京町家の格子を開けて入り、他のお客さんたちとそういう、しっぽりとした空気のなかで味わう、とにかく普通の木の葉丼だったのだが、なんかもうこれが、体験としてなのか味としてなのかがもうわからなくなるくらいで、いわばなんというか、異世界なのに落ち着きを得る体験のようなものだった。

人間生きていればいろんなことに感動するのだろうけれど、この種の感動というのはやはりまたちょっと一味違う、もしかしたら京都という場所を除いては他ではなかなかできない、種類のものではないのかとおもう。

だから読者の皆様にも一度は味わってもらいたかったのだが、お店はもうやっていないというこの無念よ。観光立国も良し悪しというのも、こういうことをいうのだろうか。


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