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イクイノックスのベストレースを考える

 11月30日、イクイノックスの現役引退が発表され、GI勝利数は6で確定しました。「この6つのGI勝利の中で、最も『ベスト』と言えるレースはどれなのか」と多くの人が考えたと思います。今回はダービー2着以降イクイノックスを追っていた自分の感想を交えつつ、イクイノックスのベストレースについて考えてみたいと思います。

【1】2022年天皇賞(秋)

 記念すべきイクイノックスのGI初勝利。ダービー2着でこの馬に心を奪われ、「この馬が数を使えないのは虚弱なのではなく、馬体が能力に追い付いていないだけ」という説を唱えていた私は、この時点のイクイノックスについて「まだGIを取るには早い」と感じていた。過去のダービー2着の関東馬の3歳時秋天成績から3着以内に入ることを最低限のノルマとして考えていたが、まさか勝つとまでは思っていなかった。

 レースは1000m通過57秒4の大逃げを打つパンサラッサにゴール直前で追い付いて1着。「クラシック善戦マン」と「国内ではツインターボ」という半ばネタ馬扱い寸前だった2頭がお互いに必殺技を繰り出してゴール前の1馬身差に帰結した名レースとして語り継がれていくことは間違いないだろう。

 レース展開や後のイクイノックスの成長を考えると、これがイクイノックスのベストパフォーマンスかと言われると個人的にはちょっと疑問ではある。「究極の逃げvs究極の差し」という非常に分かりやすい構図ではあるが、イクイノックスが上がり3Fで32秒台というタイムを出せた背景には「斤量利」と「(結果論とはいえ)大逃げの過剰放置」がある。とはいえ、「競馬そのものの面白さ」が詰まっているレースであることは間違いなく、これをイクイノックスのベストレースとする人はおそらくそこを考慮しているのではないか。「最も白熱した」という意味ではイクイノックスのベストレースは2022年天皇賞(秋)。

【2】2022年有馬記念

 3歳夏の時点では、「イクイノックスがGIを勝つとしたら早くても3歳有馬」と考えていたが、秋天でまさかのGI勝利。有馬にはタイトルホルダーが出てくるとあって「中山だったらタイトルホルダーの方が強いのではないか?」と考えた諸兄姉も多かったのではないか。かくいう私もその考えがよぎって、イクイノックスについては「2着以内なら上出来ちゃう?」くらいのテンションでいたので、イクイノックスから他の3歳馬2頭に流すワイドで勝負していた。

 結果としてイクイノックスが初めてUMAの片鱗を見せたレースだった。まだこの頃は「天才」呼ばわりにとどまっていたのが懐かしい。4角で先行馬のジョッキーが必死に押しているのを横目に持ったまま進出するさまはサウナ上がりのコーラよりも爽快。ゴール後も止まる気配を見せずグングン進んでいったあの後ろ姿にどれほどの夢を見たことか。

 このレースでイクイノックスが只者ではないことに気付いた人も多かったと思う。「瞬発力だけの東京専用機」なんて語られ方はこの日を境に消滅した。この有馬記念がイクイノックスの馬生における最大のターニングポイントだと思っている。「最もワクワクした」という意味ではイクイノックスのベストレースは2022年有馬記念。

【3】2023年ドバイシーマクラシック

 個人的に戦前最も心配していたレース。エフフォーリアが(事故よるものとはいえ)古馬になってから精彩を欠いてしまったのも不安を大きくした要素だった。同じ外厩で似たようなローテを歩んでいる以上、関東の外どころか海外への遠征に対して「不安を抱くな」と言う方が無茶な話である。ただ有馬のパフォーマンスがドバイへの期待感を高めていたのは間違いないし、コントレイルすら沈めた実績のある縁起の悪い大阪杯よりはドバイに行ってほしいと思っていたのも事実。不安も期待も一番大きかったと思う。

 個人的な話はさておき、ここでイクイノックスは全世界の度肝を抜いた。キャリアで初めて意表を突く逃げを打ち、最後の直線に入ったらノーステッキで世界の強豪を突き放す。セーフティリードを取ったことを確認したルメールがゴール前で緩めちゃうという舐めプをぶっかました挙げ句3馬身半差の完勝。勝ちタイムは従来をちょうど1秒更新するレコード。走る姿はジョギングとも散歩とも形容できるレースぶりだったのにもかかわらずである。ちなみに私はテレビで見ていて直線でぶっちぎった時は安堵のあまり泣いていた。不安で仕事にならないまま過ごした1ヶ月を返して欲しいと思った。

 これをベストレースとして挙げる人は多いだろう。東スポの田原氏もこのレースをベストレースとしている。(以下参照)「最も衝撃的だった」という意味ではイクイノックスのベストレースは2023年ドバイシーマクラシック。

https://www.youtube.com/watch?v=suGVVJLxWuQ&t=4s

【4】2023年宝塚記念

 一歩間違えればスルーセブンシーズに負けていたレース。「ベストレース」の定義に着差やパフォーマンスという概念が大きな影響を及ぼしている人はまず除外するだろう。実際この時のイクイノックスについてデキが良くなかったことを指摘している人もいるし、この年の秋のレースを見れば「宝塚は調子良くなかったんだろうな」という感想がストンと胸に落ちる。

 スタートでやや出負けしたイクイノックスは周りの馬によって前を塞がれまくった。イクイノックスを倒さないことには勝てないからね。人気馬の宿命である。ルメールは「このまま囲まれるくらいなら下げちゃえ」と考えたのか、後方待機を選択した。人生初の阪神競馬場で観戦していた私は「あ、終わった」と思ったものである。

 今にして考えてみれば「並の強い馬」(変な言い方だが)ならここで大敗していたのではないか。イクイノックスのGI6勝の中で最もチグハグなレース運びをしており、それでも直線で詰まったスルーセブンシーズと鞭を落としたジャスティンパレス以外には「勝てたかも」と思わせる余地を与えなかった。またゴール直前にスルーセブンシーズが内から襲いかかって来た時、ルメールが鞭を入れるともう一踏ん張りしている。「最も底力を感じた」という意味ではイクイノックスのベストレースは2023年宝塚記念。

【5】2023年天皇賞(秋)

 ここからイクイノックスは私の想定すら超えた化け物となっていく。有馬記念以降、個人的なイクイノックス評は「瞬発力もそれなりに備えているが、ずば抜けているのは持続力であり、本質的に2000mは短く、スローの決め手勝負では不覚を取られる危険性がある。3歳秋天の勝因は斤量利と展開利であり、馬体が出来上がっていなかったのがかえって奏功した」というもので、「わがままを言うなら京都芝3200でロンスパしているところが見たい」と思っていた。だから私はイクイノックスを本命にしなかった。宝塚の前に「負けるならここ」と言っている人を見たが、個人的に「負けるならここ」を挙げるなら秋天だった。

 また個人的な前置きが長くなってしまったが、それはそれは異常なレースだった。競馬を始めると遅かれ早かれ「スローペースは前有利、ハイペースは後ろ有利」という知識を得る。そして「2000mのレースは最初の1000m通過が60秒だと平均的なペース」という知識も得る。先頭が1000mを57秒7で通過したらよほどの高速馬場でない限り前は潰れる。現に前は潰れた。1頭を除いて。説明がつかない。なぜ粘れる。いや、なぜ伸びる。え?君、電車なん?

 この秋天を見て「史上最強馬」という文字列が頭によぎったのは私だけではないだろう。競馬歴が9年しかなく、「オルフェーヴルすら肌で感じていないのに、安易に史上最強なんて形容詞を使うもんじゃない」と思っていた私の頭にこの5文字がスッと出てきたのである。我に返って「いやいやいや!総合的に見たらもっと強い馬いたって!」と平静を装いつつも、ダービー以降応援していた馬がいわゆる「論争」にエントリーされた瞬間を目の当たりにしてしまった気がした。

 まさしく見てはいけないものを見てしまったような感覚。「最も恐怖を覚えた」という意味ではイクイノックスのベストレースは2023年天皇賞(秋)。

【6】2023年ジャパンカップ

 4歳秋天を見て抱いた恐怖というのは、「どうやったらこんなのに勝てるんだよ!」という畏怖だけはでなかった。「これ以上本気で走ったら壊れちゃうよ~」「反動怖いよ~」という好きな馬に対する純粋な心配も多分にあった。

 内枠から好スタートを切ると3番手。そこからは自分の走りに徹し、パンサラッサの大逃げ以外は特にこれと言った動きもなく最後の直線に入ると、鞭が入ったタイトルホルダーをスーッと交わす。ここからはもう一人舞台。ルメールがおなじみの後方確認ギャグを披露し、最後は流してゴール。さすがにアーモンドアイの異常なレコードには及ばなかったが、東京芝2400で歴代2位のタイム。かつて自分が負けたダービーの勝ちタイムをコンマ1秒だけ上回ってみせた。

 ほぼほぼ予想通りの展開。めちゃくちゃ悪い言い方をすれば予定調和のようなレース。3歳秋天ほどの熱さはなかったし、有馬ほどワクワクしなかったし、ドバイほど衝撃はなかったし、宝塚ほど底力は感じなかったし、4歳秋天ほどの怖さはなかった。でも間違いなくこのレースのイクイノックスは美しかった。4馬身後ろでは国内最強クラスの馬たちが追いつかんとばかりに奮闘しているのに、まるで「後ろでやっているのは別のレースですよ」と言わんばかりの走り。そこには孤高の王者からしか出ない哀愁すら感じた。「これ秋古馬三冠行けるだろ」と思ったし、今でも思っているが、このジャパンカップが集大成ならそれはそれで…という気持ちもなくはない。「最も美しかった」という意味ではイクイノックスのベストレースは2023年ジャパンカップ。

まとめ

 選べません。どのレースのどんなところが良かったのか言語化を試みたらこんな文章になっていました。何ならイクイノックスのベストレースは「最も私の脳を焼いた」という意味で2着に負けたダービーかもしれません。それはドウデュースのベストレースだろって言われたらそうですけど。


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