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手の中見せろ
昨今、自分が若い頃どのような精神状態であったかわかるようになってきて日々考えている。
もう10年ほど前だ。10年ほど経たないとわからなかったのは、適切に病院へかかれなかったせいだと思っている。
わたしが病院へかかったのは、鬱の波を数年繰り返して「さすがにこのままじゃだめだ……」と思い受診したときだけ。中度の鬱病診断だった。
いまでも覚えているのは、カウンセリングの中でわたしはずっと祖母への不満を話していたこと。当時20か21だったか、わたしは母と一緒に認知症の祖母の介護をしていた。
蓋を開けば要介護4でとても家でみられる状態になかったのだが、当時は家でみてしまっていた。母はお金もないし……と言っていた記憶があるが、事実そうだったが、それでもウチらまで疲弊するのは違ったんじゃないかって。いや責めたいわけではないんだけどさ。
そもそもわたしの鬱の始まりはここではなく、その1年前くらいに祖父を亡くしたことにある。わたしは大変祖父っ子であった。共働きの両親に代わって、近所に住む祖父が毎日毎日遊んでくれた。祖父が倒れて入院したときも、放課後毎日のように病院へ行って一緒にリハビリをした。
がんばったのに、それでも死んでしまった。と思ってしまった。とてつもない喪失感だった。
がんばっても無駄なんだって、幼いわたしは思ってしまった。
さらに、始まりと書いておいて申し訳ないんだけど、わたしの憂鬱はもっと前に遡る。
小学校卒業目前でのいじめ。親友に絶交と言われ人間不信になる。
高校入学直後の親の離婚。年齢的なことで父親嫌いが重なり、十分な別れも言えず後悔が残る。(その後現在まで会ったこと無し、消息不明)
父親がいなくなってからのわたしは絵に描いたように父性を求め寂しがり、その寂しさの根源はなんなのか当時はわからなかった、わかりたくなかったのかもしれない、わからなかったから年上の男性とばかり付き合った。
わたしが怖い目にも遭わず死にもしなかったのはただの偶然で、偶然いいひとと付き合えただけだった。(ここでいういいひととは、暴力も暴言もあげなかったひと。わたしを危険な目に遭わせなかったひと)
これがあってからの祖父母の件なので、何重にも絡み合ってわたしの脳はパーンとなった。そりゃあなるよ、わたしを抱きしめたい。
年月の経過と環境の変化で、ここ最近やっと人間不信が消えてきた。あれ?もしかしてみんないいやつ???そう思わせてくれてありがとうマイナウ環境……
わたしがいまこれからできることは、
過去の自分を褒めること
我が娘が健やかに過ごせる環境を作り続けること
当時のわたしのように困っている中高生のほんの腰掛けでもいいから受け皿になること、だと思っている。
父性も母性も、父親母親以外からでも受けられる場所はいっぱいある。適切な環境で大人が、医療が、カウンセリングが、支えていくべきことだと思っている。
わたしは幸せに育ったのでそんなこと関係ありませ〜んって顔してる大人はもう現時点で幸せではないが大丈夫か?お前の手の中にあると思っている幸せはわたしが噛んだガムのゴミだよ。ゴミ箱かと思ったごめん!
急にどうした?怒らないで、ビール飲んで……
わたしと腕相撲しながらビール飲みましょう
だいすきなみんな、おはよう!