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MYSELF

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わたしのニューヨークでの経験をポエムにしています。 興味のある方だけどうぞ☆
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#iloveny

ニューヨーク・ベッドフォード暮らし「アパート崩壊」

私の初めての訴訟体験。 これは私の14年間の ニューヨーク生活で起きた 危機体験のほんの1コマに過ぎない。 ーーー ニューヨークに来て 初めの1年間は アパートを転々とした私。 「自分の心地よい家」を見つけたのは 2002年の12月。 マンハッタンから1駅の、 ブルックリン・ベッドフォード North 7th Street。 駅の目の前にある、 戦前に建てられた古い2ベッドルームを 格安で契約した。 入居前は とても住める状態ではなかった。 それが格安の理由だ

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ニューヨーク・ベッドフォード暮らし「911-映画の中だと信じたかったあの日」

2001年9月11日 今でも記憶に新しい、 あの恐ろしい事件から 19年が経とうとしている。 NY同時多発テロ 私が渡米したのが2001年8月だったから、 ニューヨークに来てすぐに この恐ろしい事件を体験することになる。

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ニューヨーク・ベッドフォード暮らし「ハンマーを持って一夜を過ごす」

重い足を再び家に向ける。 アパートの前で 一度深呼吸。 よし! 私の戦いは始まった。 ーーー 玄関の外には シルビアが投げ出した 私の私物が 家を出た時のまま放置されていた。 恐る恐る家に入る。 キッチンから 大音量のラジオ。 私は急いで自分の部屋に入り 911(警察)に電話をかけた。

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ニューヨーク・ベッドフォード暮らし「警察へ」

私のいない部屋に 勝手に入ってるの…? 不信感が募る。 私のいないときに 何してんの… ーーー 次の日、 私は彼女のブレスレットをひとつ 自分のクローゼットに入れて 家を出た。 徹底的な証拠を 掴むため… 自称、不動産業者のシルビアは 仕事へ出かける気配はなく、 私がアパートにいる時は 必ず彼女もいた。 彼女はいつもキッチンの窓辺で ラジオを聴きながら タバコをふかしていた。 シルビアには フーリオというペルー人の友人がいて、 公務員だった。 私はシルビアを

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ニューヨーク・ベッドフォード暮らし「QUEENSへ、そして訴訟の前触れ」

昼なのか、夜なのかわからない 雨なのか、晴れなのかわからない 窓なしアパートを去り、 太陽のありがたみを感じた私が 次に選んだ場所は、 マンハッタンから北東へ 地下鉄で10分ほどの Queens(クイーンズ)アストリア地区。 駅から徒歩5分ほどの2ベッドルームには ユーゴスラビア人のルームメイトが住んでいた。 名前はシルビア 女性 50歳 職業 不動産業者(自称) キッチン、バスはシェアで 2ベットルームのうちの 1ルームが私の新しい住処。 太陽の光がたくさん差し

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ニューヨーク・ベッドフォード暮らし「アパート確保〜引越」

グラフィックデザインを勉強すべく、 SVAという美大への入学切符を 手に入れたわたしは、 ニューヨークに来てさえしまえば 全てなんとかなると思っていたらしい。 スーツケース1つ。 中身は大学の必要書類、洋服、 そして地球の歩き方。 日本から予約した、 タイムズスクエアから程近い ユースホテルは3泊のみ。 3日を過ぎればホームレス。 無謀きわまりない。 これも若さ故にできたこと。 3日間でこれからの住まいを 確保しなければならない。

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ニューヨーク・ベッドフォード暮らし「はじめに」

2001年8月26日、日曜日。 まだ蒸し暑さが残る ここニューヨーク JFK空港に降り立つ。 6年前と同じ空気がここにある。 これから待ち受ける 新たな困難や苦労をかき消すように 一度大きな深呼吸をした。

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