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水と花

筆者は約50年間水・衛生関連の仕事に携わってきた。

水・衛生の仕事は将に天職なのだ。

それは、中学2年生の時、何でかは未だに分からないが、中東の砂漠の中で水が噴き出ている光景を夢で見た時から。

履歴書上は6回となっているが、実は大学卒業後転職を10回した。

最初の会社は別にして、後は幸いずっと同じ業界であった。
国内だけでなくODAプロジェクトにも26年間携わった。(実際の海外ODA業務は22年間)

ただ、水と言っても夢で見た水の供給というよりは、水の質、即ち水質管理にずっと携わっていた。

海外業務に携わっていた頃は、平均年半年以上は海外で、1回の滞在が長い場合はアパ-トを借り、自分で家事(炊事・洗濯、掃除はアパート契約の時オーナー側に含まれる場合が多かった)を行っていたが、日本の我が家では家事は殆ど何もせず、家内任せであった。

それが4年前から一変した

4年前の4月末、筆者は5月連休中にいい加減な水道プロジェクトでミャンマーに行く用意に忙殺されていた。

ところが家内が“お話の会”の読み合わせ会出席の途中道端で倒れ、近所の方の機転で救急車で病院に運ばれた。
運よく筆者は自宅で出張の用意をしている最中で、会のメンバーが自宅に知らせに来てくれたっため、救急車に付き添えて病院に行った。

家内は病院に着くなり意識を失い集中治療室に入った。
検査の結果くも膜下出血だった。
医者から前のように回復する確率は1/6、死亡確率は1/3と言われ、最悪の事態を覚悟した。

その日からリハビリ病院退院するまでの約半年一日も欠かさず、病院に見舞いに行った。

また、その日から家事を自分で行うようになった。

筆者は男3人兄弟の末っ子で、母親がただ一人の女手であったため子供の頃から母親の炊事・洗濯・掃除の手伝いをしていたし、海外でも自分で家事を行っていたので、自分一人の家事はそれほど苦にはならなかった。

初めての経験はベランダの植木鉢への水やりだった。

大体、それまで、海外で“華”ならともかく植物の“花”など興味なかった。
花や草木栽培などを趣味としてしていた伊豆の田舎の義弟を見るにつけ、若いのに枯れちゃって。と同情していた。

しかし、家内が帰って来た時、枯らしてしまったのでは申し訳ないと、毎朝水やりをするのが、日課となった。

そうしているうち、春にはただの植木鉢に過ぎないのに、いつのまにか、名前は分からないが、様々な色の花が見事に咲いている。
生命の不思議さ、それを育む水の大切さを改めて身近に感じた。


それが面白く、家内が退院後3年半過ぎたが、今でも朝の水やりは筆者の仕事として毎日続けている。

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本当に有難うございます。励みになります。元々書くことは好きなのですが、一旦書き出すと長くなります。こんな時、絵心があればと思います。