チィーの思い出

最近テレビ等でペットのかわいい動画がよく流されていて人気になっている。

それらを見るにつけ、もう28年前に飼っていたセキセインコを想い出す。

チィーの写真

あまり落ち着きがなかった娘が高校生になった頃、娘の情操教育になればと家内が雛のうちから買ってきた。娘は余り興味を示さず結局家内が雛用の餌を与えたり、根気よく言葉を教えたりしていた。名は初め雄雌の区別がつかず、家内がチィー君と名付けた。

成長するにつけ卵を産むようになり雌と分かったが、名前は変わらず。私はは雌なのにチィークンはないだろうとチィーと呼んでいたが。

どこのセキセインコもそうだと思うが、雛から飼えば人間の言葉も覚える。自分でもチィークンと言うようになった。

娘は不注意にも2回も後ろ足でチィーを軽く踏んでしまった。一度はチィーは全く食事取れなくなり、困り果てダメもとで近くの小鳥専門店に連れて行った。そこで人間が飲む栄養剤を飲ませ、ライトで籠を暖めるよう言われた。2日間続けてやっと元気が戻った。

その時ドリフターズの ”カトチャン ペ” という言葉が流行っていた頃で、チィに娘の名前の ”xxチャン ペ”と教え込んだら、娘を見ると暫くの間フンと横向いたり、籠のなかで時々 "xxチャン ペ” と独り言言っていた。

チィは人間が食事していると必ず "チイークン、チイークン”と叫びながら籠の内側の網に足を掛け籠を激しく揺らし、籠の扉を開けるよう催促する。大体家内か自分が扉開けると、勢いよく飛び出す。自分で催促しておきながら時々いざ扉を開けてやっても、照れなのか、一旦止まり木に止まったりして、なかなか出てこないこともあったが、誰かが何度か手を差し伸べると、実は待ってましたとでもいうように、ひょんと手のひらにのり、扉から出ると勢いよく飛び出し、籠から一番近くの人間の肩か頭にまず止まる。その後必ずすぐに私の頭に止まり、何故か髪の毛をいじりだす。チィーは時を重ねるうち私の足音も分かったらしく、マンションの排水路の上を歩いて帰宅する時には、やはり籠を揺すって外に出してくれとアピールしていたという。

我が家では昼はラーメンを食べる機会が多いが、チィーは昼時は特に外に出たがり、一緒によく麺を食べた。我が家ではいくつかの会社の麺を日々変えて食べていたが、チィーは細いちじれ麺が好みのようで、そのラーメン会社の宣伝に使ってくれないかなと思ったこともあった。また、焼いたエビのひげが好きで、細い麵とか、髪の毛とか細いものが好きなのは何か理由があったのだろうか?

食事時以外にも人間が近くに行くとチィーは籠の外に出たくて、自分の名を叫びながら籠を激しく揺する時があり、そのたび外にだしてやる。 だが家内が家事などで目を離した隙に何度か行方不明になり、家内で1時間以上家探しをしたことがあった。1回は押し入れの中で、2度目はなんということか冷蔵庫の中で。家内が開けた時に入ったのだろう。冷蔵庫の中には2時間近くいて、見つけた時はさすがに元気がなかった。先の小鳥屋さんに相談したら栄養剤飲ませ、体を温めるため電灯をあて、籠に毛布をかけるよう指示されたので、そうしたら1日で回復した。一度は家内が開けていた窓からベランダを経て完全に部屋の外へ飛んで行ってしまって家内共々相当焦ったが、この時は無事自力で戻ってきた。

実は我が家にはもう一匹セキセイインコがいた。チィーを育て始めて1年半ほど経った頃、当時小学生だった息子が道端でうずくまっていた緑色の羽のセキセイインコを拾ってきた。どこからか逃げたのか足が少し悪く、クチバシの形も少しおかしかった。そのうち、こっちは雄だと分かったが、家内がミドリと名付けた。

チィーと籠を分けたが、外に出すときはチィーを籠の外に出す時と同じタイミングであった。ただ、ミドリは籠の外に出そうとしても絶対に自分で出ることはなく、手で迎えに行っても、よく噛まれた。ようやく外にでてきても人の肩や頭や膝に止まることはなく、壁に止まろうとしては壁紙をよく破いたり、それをちぎってそこらへん汚した。

何度かチィーとミドリを一緒の籠に入れてみたが、どっちも興味を示さなかった。チィーは元々生まれた時から人間に育てられ、自分をインコと認識していなかったのかも知れない。2匹は性格も全く違い、チィーは水浴び好きなのに対してミドリは一度も水浴びをしたのを見たことがない。またミドリは家内が根気よく人間の言葉を教えようとしたが駄目だった。それと巣には入らず、枝に止まるだけだった。ただチィーのラーメンとかエビの髭好きなのは別として2匹とも殻なしより殻付きのひえ・粟とか固い野菜スチィックが好きだった。

チィーは私の足音も分かるらしく、マンションの排水路の上を歩いて帰宅する私の足音が聞こえた時点で籠を揺すって外にでる準備をしていたという。

よく青い色の鳥は幸せを持ってくると言われる。餌や水の心配もあり、外泊も最大3日しかできかなったが、2匹のセキセインコがいた頃の我が家は、実にそうであった。もっとも娘も息子も親ほど関心がなかったようだが。

ただチィーが成長するにつけ、排卵が困難で苦しそうなそぶりも見られた。その頃の私はよくODAの仕事で海外へ行っていた。現地から家族に電話するとき、必ず2匹の安否を尋ねていた。家内が「おとーさん」と電話口で言うと「チィークン」とか家内が教えた「おとーさん」という声が聞こえた。

そんな折、コソボ紛争の復興支援プロジェク形成調査でマケドニア(マケドニアという国名はギリシャが認めず、現在は北マケドニア)にいた時のこと、丁度ダイアナ妃が亡くなったとニュースを見た時、家に電話した。その時家内からチィーが卵を産めずに詰まらせて死んだという知らせを聞いた。一緒に生活して約4年の寿命であった。死体はマンションの一角に札を立てて埋めたという。

帰国後、時々手をかまれながらもミドリを籠の外に出して自由にしてやったが、なにか家が静かであった。

ある日、ミドリが珍しく籠の巣に入っていて、余り動かないのに気づいた。どうしたのだろうと思って籠に手をいれたら、初めて手を噛まずに私の指に乗ってきた。籠の外に出してやると、あろうことか初めて壁には行かずに私の肩と膝の上に乗ってきた。頭をなでてやって、暫く好きなようにさせて籠の中の巣に戻したら、何か私の方を見て目を閉じた。いつものように夜籠に布をかけ、翌日籠の中を見たらミドリは死んでいた。それまで見せたことのないミドリの異常な行動は、最後の挨拶だったのかも知れないと思うと、今こうしてこの文章を書いていても涙を禁じ得ない。死体は布に包んで丸いカンに入れ、セロテープで蓋を包み、チィーの隣に埋葬した。むしろ、カンなんかに入れずに、そのままの形で埋めてやった方が早く自然に帰れてよかったのではないかという思いが、埋葬場所を通ると今でも頭によぎる。



本当に有難うございます。励みになります。元々書くことは好きなのですが、一旦書き出すと長くなります。こんな時、絵心があればと思います。