“水”が天職!
以前Noteに「諦める事なかれ! くじける事なかれ!」というテキストを投稿した。その中で転職を実に10回した と書いた。
しかしながら、幸いな事に、国内外で一貫して、水道・下水道・工場廃水等 “水” に関わるプロジェクトに約50年関わってこられた。
将に“水”は天職である。
“水”に関心を示したのは、中学生の時見た夢からだった。
何故かは今でも謎ではあるが、中東の砂漠の中で水が噴き出し、現地の人が喜ぶ夢をみたのである。
大学でも“水処理”に関するゼミはあり、興味はあったが、期待してくれた教授への義理で石油化学(高度成長直前の花形産業)の触媒の卒論を選んだ。そして、その教授の推薦で他大学大学院入学が内定していたが、親父がくも膜下出血で倒れ、大学院進学は経済的に無理となった。
先に述べた10社のうち最初の会社はアルミニウム銘板を作る会社であった。
大学院進学と思い込んで就職活動していなかった筆者を見かねて叔父が近所の従業員70人くらいの中小企業に話をつけてくれた。
化学屋の筆者には、アルミ銘板ができる様々な工程が結構面白かった。
その年は、丁度第1回公害防止管理者試験が行われた年でもあった。
工務担当者が水質関係第4種を取得し、工場に手作りの汚水処理装置が設置された。
今考えれば、中和・沈殿だけだから誠に単純ではあるが、汚水が清涼になるその処理工程も新鮮であった。
そんな折、鑿井を主生業とし、当時日本一のポンプメーカーと水処理メーーカー(実際は米国企業から特許取得)代理店の技術人材募集広告を新聞で見て、憧れにも似た感情で衝動的に応募した。
そこでの2名の面接官は生涯の恩師と言っても過言ではない。
当時の担当部署部長の第一声は「君何メーター泳げる」、次長は「僕みたいな文系でもできる仕事」だった。
後で分かったが、当時公害問題で各社汚水処理装置を競って設置していて、特に製紙業界では直径100m以上の沈殿池をm単位で競っていた。
次長は、文系というのは嘘で、その後、公私に渡り可愛がってくれた。
何度か現場で指導を受け、技術屋としての心構え、事の当たり方を徹底的に教え込まれた。その話は、将来の仕事の進め方において自分でも学んだこともあり別の機会に紹介したいと思う。
その方は出会いからわずか4年で水コンサルに転職されたが、一緒に仕事したいと何度か接触を試み、約20年後やっと再開した。
筆者は、その時外資系膜メーカーに在籍し、水道での膜処理の動向を話に行った。
その方は当時「まだ日本では膜なんか早いよ」と余り乗り気でなかったが、昔話に花が咲いた。その直後、海外の話が筆者に直にあったが、諸事情により実現しなかった。
その次年度、国は欧米・オーストラリアの水道プロジェクトで大規模な膜処理施設が次々建設・稼働していると聞き、米国への視察団派遣後、国内で膜処理プロジェクトを立ち上げ、いくつものパイロットプロジェクトを形式的に行い、膜処理による浄水施設も日本で稼働するようになった。
筆者の最後の転職先は、その方が在籍していた水コンサルの海外部門であった。
その方も在籍中に中国で水道全般の技術指導を長年行っていたことを後で文献等から知った。
その方はすでに引退していたが、時々事務所に顔を見せ、折に触れて昔話を楽しんだ。
一方、前述した当時の部長は、お会いして2年後独立して海外の水プロジュエクト専門会社を設立した。
一度初めの水関連代理店に在籍していた時、海外の話が筆者に直にあったが、諸事情により実現しなかった。
その会社を継いだ息子さんとは、就職話含めて何度かお会いした事がある。昔の仲間の一人が現在、その会社に在籍している。
“水”・特に“水処理” が天職となった経緯に話を戻そう。
筆者に ”水” ”水処理”を天職と感じさせたのは、始めての水関連会社在籍時に経験した、特に象徴的な事例3つにある。
1・入社2年目(25歳)で体験した毛織物工場廃水処理装置での試運転調整。
計画・設計は先の当時日本一のポンプメーカーと水処理メーーカー(実際
は米国企業から特許取得)で、施工管理・試運転調整を筆者と、そのメー
カーの若手工事技術者が担った。
そこで、あずき色した排水が最後に殆ど無色透明な処理水になるのを経験
して感激・喜び、現場で、つい2人揃って缶ジュースを飲みながら喫煙し
て工場側に大目玉喰った。
でもそれは筆者にとって鮮烈な印象で、自分で計画・設計したものではないが “水処理” に目覚めた瞬間であった。
2.顕微鏡の世界に触れた
次は、やはり入社2年目の事。
当時団地建設が盛んに行われ、その生活排水処理装置(いわゆるコミプ
ラ)が必ず建設された。生活排水処理は微生物処理で行われる。
筆者は施設の運転状況を確認するため、簡単な顕微鏡と簡易分析計をリュ
ックに担いで1日数か所を回り、顕微鏡で微生物を観察し、簡易分析計で
微生物活動に異常がないかチェックするのをルーチンとしていた。
何か異常があると思われた場合は、機器の調整をして、試料を採取し、会
社の試験室で自分で分析し、顕微鏡での観察と簡易分析の結果と合わせて
施設の機能評価を行った。
簡易顕微鏡の世界は楽しく、特に微生物の種類・活動及び微生物が汚水中
の餌を捕食するミクロな世界にのめり込んでいった。
3.処理試験を行い、また一貫した仕事に関与できた事
最後に処理試験を行う楽しさを知った。
先ほどの日本一のポンプメーカーと水処理メーーカー(実際は米国企業か
ら特許取得)代理店であり、様々な外的・内的制約はあったが、自分で原
水を分析し、処理法の計画、処理実験、施設建設・試運転・機能評価と一
連の作業を自分で行えたことは、その後の自分にとって大きな自信となっ
た。
こうして若い頃は約3-4年毎に転職を繰り返したが、国内外で一貫して、水道・下水道・工場廃水等 “水” に関わるプロジェクトに約50年関わってこられたのは、誠に幸せであった。
本当に有難うございます。励みになります。元々書くことは好きなのですが、一旦書き出すと長くなります。こんな時、絵心があればと思います。