「イントロダクション」と読んでもいいし、

「ついで」と読んでもいい。


これを始めるにあたってわれわれの春で青く塗られたmixi日記を思い返してみると、正直かなり粗かったなあという感想がある。jupiterとかユグドラシルぐらい粗い。や、でもまあなんだかんだ言ってカラオケで一番盛り上がるのって結局天体観測だったりするし。


浸食作用によって角が取れてくると「万障お繰り合わせのうえ」とか「という認識でよろしかったでしょうか」とかどうにもねばついた言葉を使うようになるし、相手の話聞くのもう死ぬほどめんどくさいなって思った瞬間、タイミングよくAボタンを押して「確認して折り返します」を、Bボタンを押して「検討させていただきます」を発音し、この2つを適当に使い分けることによってお茶を濁そうとするようになる。で、チュートリアルのキャラがよくできたわね、その調子で気に入らない上司をキルしてトロフィーを目指してみましょう。とか言ってくる。そんなコマンドゲーから自分自身の語彙能力と、言葉自体が持つ美しさとの間で培われる密やかな蜜月の関係を維持するため、そしてなにより魂の“波動”を守るために、再び書きたいものをちゃんと書こうかなと思った次第です。

それにあたっての目標として、ちゃんと「ぼんやりした」ものをぼんやりしたままにしておかない、明確に自分の言葉で自分で「納得」するという地産地消、あるいは将来自分がゾンビになってしまい主人公に襲いかからんとするまさにその時、ボロボロになった一冊のノートを見つけ、一瞬だけ自我を取り戻して「ア…ア……リ……ガト……」と人間として尊厳を持って死ねるように、ていうかさあ!ゾンビ映画──というよりパニックホラーもので「この子を殺さないで!!」からのただただしょうもない偽善的な綺麗事をご高説散らしながら敵をかばう女性キャラってよく出てくるけどあれなんなの。しかもそいつがその敵に殺されるならまだしも、そいつの周りが大体被害を受けるケースが非常に多くて、マジでイライラするからやめてほしい。ああいう奴が授業中キレて職員室に帰った先生を呼び戻そうとするし、ドッヂボールで間違えて顔面に当ててしまった女子が泣き出してしまったときに「ねえ!!ちゃんと謝りなさいよ!!」と本人になり代わって謝罪を強要してくるし、教育実習生の実習最終日にクラスのみんなでサプライズで寄せ書きやメッセージカードのたぐいを渡すことを提案する。何の話でしたっけ。

そう、「ぼんやりした」もの。

ちなみにこの「ぼんやりした」をきちんと言語化できなかったがために芥川龍之介は自殺したらしいです。あるいはショッピングモールのエスカレータで待ちかまえてチラシ付きのポケットティッシュを配っているソフトバンクモバイルの営業が、前の老人と後ろのカップルには配ったのに自分にだけティッシュを配らなかったからという説もあるそうです。知らんけど。

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