ツアーガイドでモネの家に行った話

印象派の画家モネが好きです。 

モネの家


フランスに一度訪れたことがあるものの前回は遠くて断念した場所がモネが住んでいた家でした。
今回のフランス旅行の一番の目的はそのモネの家に行くこと!(あと美味しいご飯とワイン)

とにかくモネの家はそれはもう庭園は壮大で、しかしながらお家は彩りが可愛らしく所狭しと絵画が飾られ素晴らしかったのですが、異国のツアーガイドの洗礼も沢山受けてきたので書き記しておきたいと思います。

モネの家はノルマンディー地方のジヴェルニーという地にあり、パリから約70km離れています。
そして4月~10月までしか営業していません。
モネの家まで電車とバスを乗り継いで個人で行きたかったのですが、残念ながらオリンピックの影響で電車では行けませんでした(乗り継ぎ駅のサン・ラザール駅はモネも描いているので電車で行かれるなら是非駅舎を見て欲しいです)。
そのため調べた結果、英語のガイドツアーで行くことにしました。
日本語のツアーガイドもありましたが、朝7時集合しかない上に日本円にして約4万円…!
英語のツアーガイドは時間がいくつか選べる上に約1万5千円程だったので迷わず英語のツアーガイドにしました。
実際に行ってみてバスに揺られるだけで目的地に到着するのは楽ちんでした。
ポルトマイヨ駅から歩いて数分のところに集合します。
ポントマイヨ駅からグーグルマップで調べるとモネの家まで67kmでした。
1時間半弱バスに揺られることになります。

集合場所は教会前

このツアーは大型バスで行くのですが、満席でモネの家の人気ぶりが窺えました。

バスに乗ると女性のツアーガイドさんが一組一組どこ出身かを尋ねていました。
黒人のグラマラスの女性で、海外のコメディ番組が現実に行われているみたいでした。
👱🏿‍♀️🎤「あなたはどこから来たの?」
後ろに座ってる人「(声が全然聞き取れない)」
👱🏿‍♀️🎤「え? どこって?」
後ろに座ってる人「(やっぱり聞き取れない)」
👱🏿‍♀️🎤「アッハッハ〜、フフフンからようこうフランスへ!」
ツアーガイドさんはノリノリでした。

バスが10分も走れば建物は視界から消え、田園風景が広がります。
さっきまで街だったのに嘘のようです。
日本の都市部に住んでいると都市から10~20kmで田園風景になるとは信じがたいですが、ヨーロッパは大体こんな感じだそうです。

ツアーガイドさんの話はモネではなくジュリアス・シーザーの話へ。
そんな古代から歴史の話が始まるのかと思えば次は何故か百年戦争の話へ。本当に何故?
英語なのもあってこの辺りで眠くなってきてウトウトして話は耳に入ってこなくなりました。
バスから見える景色は緑一色の畑で、たまにぽつぽつ集落が見えます。
日本の郊外だったら大きすぎるイオンが目に飛び込んできそうな風景ですが、フランスには物流倉庫しか見当たりません。
それでもイル・ド・フランスと言われる都市郊外なのでビックリです。
この辺りに住んでる人達のお買い物は大変だろうなどとボンヤリ考えていました。

ツアーガイドさんの話がようやくモネになった辺りで少し聞き入ります。
モネの生まれや、学生時代に描いていたカリカチュア(有名人の顔の特徴を大袈裟に書いた絵。似顔絵なんかでよく見かける)の話をしていました。
しかし、英語なのでまたウトウトしお話からはフェードアウト。
ちなみにツアーガイド用の冊子なんかは貰えませんでした(これはモネの家に到着しても)。
元々モネが好きなので理解できましたが、地名と人名が多く出てくるので英語が堪能でも理解するのは中々難しいかもしれません。

そしてバスはようやくジヴェルニーへ。
ここで私は重大なことに気付きます。
駐車場に埋め尽くされる車、そして人、人、人。

これは駐車場ではなくモネの家に入るところ


これはもしや、ツアーガイドどころではないのでは?
ツアーガイドといえば、ガイドさんが旗を持ち客をぞろぞろと連れたって一つ一つ説明している様子を思い浮かべるのだけど、なんせ40人以上の大所帯で無理なのでは?
そして私の予想通りガイドさん、それから同じガイドの客たちはすぐに離散していきました。
庭でさえ人がぎゅうぎゅうで鑑賞しているのですから、家の中はガイドどころではないです。
そして庭に反してお家の中のお部屋は思ったよりもミニサイズでした。

ここでお伝えしたいポイントがあります。
これを書くためにこのノートを書いたと言っても過言ではないです。

それは、乗ってきたバスの写真を絶対に撮っておくこと。
そして駐車場からモネの家までの道のりをムービーで撮影しておくこと。

モネの家は家というより大きな公園です。
お家自体は増築されているものの可愛らしいのですが、庭園はどこかの貴族のお屋敷なんじゃないかっていうくらい広いです。
駐車場も広いです。
同じガイドツアーの客とは離散することになるとはつゆとも思わず適当歩いていると帰りにバスまで辿り着けなくなります。

実際に少し迷って慌てました。
それでもバスの中で寝ていたお陰か、バスを降りてから頭は冴えてたので無事に駐車場までは戻れました。
バスが見当たらなくて他のバスの運転手に聞けば待っていたらやってくるらしいと言われポツンと待っていると、同じツアーガイド客が戻ってきてホッとしました。
バスは定刻の10分程前にやってきて無事に乗ることができました。

しかし帰りのバスに辿り着けなかった人達がいたようです。
15分程待っていましたが結局1,2組は戻ってこずにそのまま発車してしまいました。
こんな田舎に置いてけぼりになったかと思うと恐ろしいです。
見る限りタクシーもいなかった(人口が少ない街なのでそもそもタクシーが少なそう)ので絶対に注意した方がいいです。

モネの家に話は戻りますが、庭園に反して家の中は思ったよりもミニサイズでした。
外観はお屋敷みたいなのですが、増築したからなのか一つ一つのお部屋はこじんまりしています。
モネは再婚しているのですが、実子が2人連れ子が6人の大所帯です。
また最初の奥さんと死別する前から元パトロンだったオシュデ家と共に暮らしています。
オシュデ夫人はサロンに入選した新進気鋭の画家モネのパトロンの妻でしたが、夫が破産し蒸発してしまったからです(このあたりのお話は著者・原田マハのジヴェルニーの食卓をぜひ読んでください。お話も素晴らしいです)。
しかしジヴェルニーに移り住んだ頃には子供達も独立していたのか部屋数は少なかったです。
ベッドのある部屋がたしか3つだったような。
また壁にはたくさんのモネの絵やモネのコレクションした絵画が飾られていますが、これらはレプリカな筈です。

他にも浮世絵がたくさん飾ってありました。

お家を出ると別棟にアトリエだったお土産ショップがあります。

こちらはお家と打って変わって天井が高く広々としています。

ショップは高価なものからお手ごろなものまで売っていて日本のミュージアムショップと似た感じです。
日本語の本も売っていました。

それとお手洗いが少ないです。
私が確認した限りだとお土産ショップの脇に一つと、駐車場に一つありました。
そして日本人としては衝撃だったのですが……トイレには便座がない。
私は特にお腹を壊したりすることなく過ごせましたが、もしお腹が痛くてトイレに入ったら絶望していました。

モネの家や庭園についてはネットで検索すると素晴らしい写真が沢山出てくるのでぜひ調べてみてください。
もし元気があればまた別の機会に庭園の写真を載せたいです。
私が行った5月9日はヨーロッパ戦勝記念日で連休だったので人が特に多かったです。
時期的に睡蓮は咲いていませんでしたが、薔薇と藤が綺麗でした。
小ぶりな桜の木には少し花が残っていました。
日本に焦がれ作った緑色の太鼓橋も、睡蓮の池と見事に調和しており実際に見られて感動しました。

そして帰りのバスではツアーガイドさんがまた臨場感ある話しぶりでモネのガイドを始めてくれました。
しかし年代が飛び飛びでわかりづらかったです。
兵役の話をしたかと思ったら友人クレマンソーの話になったり、次は息子の話になったりするので帰りも眠気に負けて寝ていました。

日本だと、モネの友人の中でも特に親しくそして急逝してしまったバジールの話題や、晩年に白内障を患いどんどん色彩が極彩色になっていった話題が豊富ですがそういった話がなかった(寝ていただけかも)ことが印象的でした。

最後に、ツアーガイドは色々と予想外なことだらけでしたが楽しかったです。
もしパリへ旅行する際はぜひ足を伸ばしてジヴェルニーまで行ってみてください。
半日程で一世紀前にタイムスリップしたような体験ができるのでオススメです。

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