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飯豊村山で価値観が変わってしまった話

突然の投稿なのにカレーとは関係ないような投稿になってしまいます。まとまりがなくてすみません。


10/27~11/4にかけて山形県飯豊町と村山市を放浪してきました。飯豊町は研修、村山市はつい先日移住した友達のところに滞在するという感じのスケジュールで、中津川のおばあさんがやっている農家民宿とまったり、芋煮会参加したり、肉体労働系芋ほりをしたりと、澄んだ空気の中のびのびと過ごさせていただきました。お世話してくださった方々誠にありがとうございました。


そんな楽しい滞在、実は結構考えてました。


就活、進路、生活、間借り、人間関係、ADHDの傾向


旅の少し前、これらのことでトラブルが重なり、心がだいぶ疲れていました。

多くの人が集う都市で、多くの人の欲、価値観にぶつかっていくうちに、正解と不正解の大人の世界を垣間見ました。

大人は生きるためにはお金が必要だから働く、働くためには信頼が必要、地位を取るのにも信頼が必要、信頼取らなくちゃ。最低限ライン(不愉快にさせないなど)人に良く思われなくちゃ、生きていけない。


大人は生きるためにはお金が必要だから働く、働くためには仕事が必要、今に仕事はカレー、カレーでお金を得なくては生きていけない、カレーで地位をとりたい、有名になったほうが人に信頼される。(あと普通の仕事できる気がしない)


あぁ、信頼ってなんだっけ。

カネと地位を得るための信頼だっけ。

あれ、私のカレーってなんだっけ?

生きる糧?私そのもの?

カレー以外でもワクワクすることも多くなった気もするよな、カレー以外は求められない存在でいいの?


なんか疲れた。

ずっと子供でいたい、自由にいたい。働きたくない。


そんな思いを持って飛んだ山形。


カレーって肩書をなくしても、「いよちゃんはよく食べてよく飲んで明るいいい子」っていってくれた飯豊町の方々に会えたこと、去年から地域界隈でお世話になっている同じサークルのメンバーから、村山最終日の夜に「いよちゃんは前よりもいよちゃんらしくなったよね」って言われたこと。ゆっくり綺麗な夕日を眺めながら、放課後みたいに天童を歩いたこと。

小さなことの積み重ねで、なにかが吹っ切れました。


少し前まで私は”カレー”に依存していた。

実は中学高校から自分を見失って生きる意味を失っていたのですが、ワクワクする”カレー”に出会って、”カレー”に没頭し、わたしは”カレーのいよちゃん”になっていました。

しかし、カレーを通して、たくさんの人に会い、たくさんの場所に行き、たくさんのことを経験して、たくさん悩んで衝突して、、”わたし”の心がまたひょっこり顔を出し始めたのです。


好奇心旺盛でいろいろな話題に飛ぶ。

海を見ると興奮する。

朝はごはん派。

おしゃべり早口だけど隔絶悪い。

若い子の団体に混じるのが苦手。

綺麗な空気が好き。

スパイスは1日1回は摂取したい。お酒も。

お腹がだれると萎える。

ラーメンは極太またはパツパツ細麺。

土は掘りたい。

文字、絵をかくのが好き。

人と話す時間がなによりも好き。



全部私、愛しい私。


カレーはわたしの一面になったんだ。

悩んでいたのは私がわかるようになったからなんだ。


そう思うと悩みすら愛おしくなってきました。

カレー、ありがとう。2回目ですね、あなたに人生救われたと思ったのは。

私は私で生きていくよ。


カレーのいよちゃん”は”いよちゃん”になった



近頃はSNS投稿は地位にため、知名度を上げるために使っていましたが、私の表現に使いたい。SNSのマウントの取り合いには疲れた。カレーアカウント以外のアカウントを作るか迷い中です。

就職は背伸びせずにちょくちょくやっていこうとは思いますが、地方が好きなので多拠点居住できる方法を探します。

私は信頼あってこその地位やお金だと思います。だからお金地位を得るために礼儀信頼を生み出す今の社会は疑問です。でもこれが今の一般常識だからこうやって社会不適合はできていくんだなあと自分でも失笑しております。


まだすべてに結論が出ていないのでフワフワした文ですが、思いを忘れないうちに言語化しました。また信頼と社会については思考しなおしまとめます。ここまで読んでくださってありがとうございました。




カレーのディープな世界への探検の支えとなります。インド探検したいなぁ、、もしよろしければサポートよろしくお願いしマサラ…!