見出し画像

自分のルーツを辿りたい!陸

※この記事は2021年8月noteで公開した記事を編集したものです。

これまでのまとめはマガジンから↓ぜーーーんぶ無料!!!!!



前の記事にも書きましたが、さすがに伊藤博文と直接関係ないと思います。よくわからないまま調べられるだけ調べてはいますが、頭に入りません。


・藤紋の基本は「下り藤」
・愛媛県西条市千町の伊藤一族の家紋は「下り藤」と「庵木瓜」が多い
・伊藤博文の家紋は「上がり藤」
・「下り藤」の後に「上がり藤」ができた。
・祖父らは、藤の花が好きだった。

・松山付近の大浜八幡にある伊藤博文像に尾崎行雄↓【三津ヶ浜のげんたろう (その2)さんのブログ記事をシェア】


・祖母の戸籍にある鳥取の尾崎家の人が都濃(山口県周南市)の金子家の人と結婚
その家族らが明石(兵庫)、名古屋(愛知)、宇品(広島)
・明石は淡路島に近い ※淡路島と伊藤博文

・明治元年(1868年)兵庫港(今の神戸港)ができた。伊藤博文が兵庫県知事になる。

・母は高校生の頃、いっとき兵庫県(宝塚市の近く)でバイトをしていた。
母いわく、兵庫県に知り合いがいたとのこと。その知り合いとは祖母の知り合いの社長さんらしいです。 ※知り合い=遠縁?

昔、祖父が忠海の話をしていたし、「鹿が海を泳いどっての〜^^」と話していました。
(宮島付近?たちまち瀬戸内海)
・広島県竹原市に河野通直の墓 
※河野通直の父は村上水軍(来島水軍)の大将、村上通康

・伊藤博文の先祖をずーーーっと辿ると、河野氏?
※河野氏は越智氏流

・小早川隆景と広島県竹原市


少し調べると、

一時的に河野家の兵力は、瀬戸内最大規模の水軍となり、河野水軍とも呼ばれた。これは、道後平野での稲作による豊富な食料確保が可能であったからであり[要出典]、島嶼部に拠点を置いた他の水軍との大きな相違点でもある。有名な村上水軍は、形式的には河野氏の配下であるが、独自での活動も活発であり必ずしも従属関係にあったわけではない[要出典]。伊予の水軍は大三島の大山祇神社を崇拝し、祀りを執り行うことが習いであった。

Wikipedia 河野氏

・広島県竹原市、忠海の大久野島(毒ガス製造や、うさぎの島)の近くの大三島(愛媛)、大山祇神社を初代総理大臣の伊藤博文が参拝した。

▼愛媛県松山市 畑寺の交差点

畑寺の交差点に、伊藤博文の新しい記念碑ができた。石碑には、伊藤博文の祖先
林氏が、桑原の淡路ヶ峠城主であったこと、秀吉の四国攻めで敗れ中国地方に逃れた
こと、博文が道後温泉に来たとき淡路が峠に向かい合掌し、「祖先の供養をしたい」
と言われたことが記されている。

松山の資料 知恵の輪より引用


・祖母の戸籍に桑原姓アリ

①現奈良県である大和国葛下郡桑原郷が起源(ルーツ)である、新羅帰化族。ほか中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる氏(藤原氏)。藤原南家。
②菅原氏。
③越智氏(物部氏の子孫)などにもみられる。
桑の広がる原野や広い地域が語源

名字由来netより引用


・・・よくわからないけど、そのうち何かわかってくる気がします。

私のルーツを辿る記事は、随時更新予定。
応援よろしくお願いします!

先祖調べの費用に充てます。私が調べたものは、ご先祖様や自分のルーツを調べている方とシェアします。