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Virtualとバーチャルと仮想と現実

今月下関での公開が終わったスピルバーグの映画「レディープレイヤーワン」見に行かれましたか?本作の舞台は二〇四五年のアメリカの真ん中にある都市コロンバスですが、物語はオアシスというバーチャル・リアリティー(VR)の世界で繰り広げられます。あらすじは置いておきますが、VRとはどういうものなのかイメージしやすい作品になっていました。
一方、今現在のVRを取り巻く状況はどうなっているでしょうか?
二〇一六年にOculus RiftやHTC Vive、それからPlayStationVRといったヘッドマウントディスプレイが立て続けに発売されVR元年と言われましたが実際のところ普及しているとは言い難い状況でした。
ところが今年になって、新たな動きが出てきました。Oculus GOやレノボのミラージュソロなど、スタンドアローン型と呼ばれるVRゴーグルが登場したのです。
自分も一台手に入れまして現在利用しているのですが、手軽にVRを楽しむことができています。いちいちパソコンの電源を入れたり接続する手間がかからないので、非常に楽です。
初めてスマートフォンに触ったとき以上のインパクトを感じました。これは数年後の社会を一新するだけの可能性を秘めているのではないかと思います。
virtualとバーチャルでは意味が全く違う
日本では「Virtual」には「仮想現実」という訳語が与えられています。しかし英語のvirtualという語感について考えたとき「仮想」という意味は弱く、英語圏の人は「実質上の」とか「事実上の」という意味合いで使用しています。例えば上のイラスト。
この英文を「トムの奥さんは会社の仮想のボスです。」と訳すのと「トムの奥さんは実質的な会社のボスです。」と訳したのでは意味が違ってくるのです。
もしあなたがセールスマンならば、この会社と売買契約を結ぼうと思ったとき交渉すべきは人物は誰になるでしょう?
日本人であれば、登記簿上の社長は奥さんでも、それは仮であって、実際の意思決定を行うのはトムだと判断します。トムと交渉すべきだと考えます。
しかし、英語圏のセールスマンは交渉すべきはトムの奥さんだと考えます。会社の登記上の社長はトムでも、その会社の実質上のボス(意思決定者)はトムの奥さんだからです。
つまり、日本人が「バーチャル」という言葉を使うときと、英語圏の人が「virtual」という言葉を使うときでは、行動が逆の方向に向かってしまうということです。
世界では「virtual」という言葉を使うときには、常に後者の概念で物事を考えていることになります。
しかし、日本国内のテレビや様々なメディアで「バーチャル」という言葉を使うときに共有されるイメージは「仮想の」「虚像の」というものになってしまうのです。
virtualには確かに虚像という意味もありますが、「虚像」や「仮想」と訳している限り日本ではVRについての戦略を誤ることになりそうです。「バーチャル」を「仮想」と捉えてる限り日本だけがその世界から置いていかれるリスクが高くなります。
東京オリンピックに間に合うのか?
コンピューターで使われる半導体メーカーのインテルは二〇二四年までの期間でオリンピック・パートナースポンサーシップ・プログラムに参加する契約を結んだことを発表しVR・5Gネットワーク・人工知能といった最新技術が投入されることが期待されています。しかし今のペースだと東京オリンピックに間に合うかどうか気になるところです。日本で高速通信網の5Gが実用化されるのは二〇二二年ごろの予定なので、確実に間に合いません。技術的な問題だけでなく権利的法的問題も山積みでしょう。それらを一つ一つ解消していくにはあまりに期間が短すぎる気がします。日本的な根回しや意思決定のスピードでは残り二年で実用化するのはムリそうです。東京オリンピックのVR中継にはあまり期待していませんが、鑑賞することで今後の課題もハッキリしていくと思います。
北京オリンピックまでには、その倍の四年の期間があります。しかも中国は勢いがありますし「権利とか法律とか、なんかよくわからんがやってしまえ!」というイケイケドンドンな雰囲気があります。例えばドローンメーカーとしては世界シェアの七割を占めていると言われるDJIは中国の会社です。日本が規制だ免許だ法律だと言って二の足を踏んでいる間に、彼らは一歩どころか一〇歩二〇歩と先を進んでいくのだと思います。
「ドローン」「VR」「ウェアラブル」この三つの交わるところに次世代メディアの鍵があるはずです。
メディアとはミディアムの複数形で「間」というのが元々の意味です。VRを通して世界との関わり方が大きく変化する未来がすぐそこまで来ています。
VRが普通になるのはいつなのでしょうか?
一つの答えとして「VRゴーグルを装着する前と後で、見える景色が区別できない画質」になったときに世界が劇的に変わるのだと言われています。
そして、今の二〇倍くらいの解像度があればそれは可能なのだそうです。
例えば二〇〇七年に登場した初代iPoneと現在のモデルのディスプレイの解像度(画素数)の差はどくらいだと思いますか?
初代は480✕320で 約15万画素。現在のモデルは2436✕1125で約274万画素となっています。その差約一八倍です。同じように二〇倍程度の性能アップがこれからの十年で起きてもおかしくないですし、実際、各メーカーはそれ以上の水準を目指し研究開発しています。VRゴーグルの大きさ・重さもポイントになるでしょう。腕時計と同程度の重量(100グラムから200グラム)のものが登場すれば間違いなく普及すると思います。
個人的には東京オリンピックになんとか間に合わせていただきたいと関係者各位には期待しております。
VRが建築業界に与えるインパクト
ある不動産関係のアプリは、建築物にスマホをかざすだけで不動産情報を検索できるようになっています。建築業界とVRはこれからどんどん関連性がつよくなっていくのだと思います。
VRは仕事のあり方を変え世界との係り方を変える
スマートフォンが社会に与えたインパクトと同様のいやそれ以上の変化が起きるに違いありません。働き方や生き方にも大きな変革が起きるでしょう。その世の中の変化を興す企業が鍵になるでしょう。
哲学的な話になりますが「メディア」すなわち自分と相手(対象)の「間にあるもの」として登場するストレスレスな道具が「我彼の境界の分け隔てそのもの」を変化させます。世の中に対する姿勢や、捉え方、関係性を変えてしまうのです。人が言葉や文字を使い始めたときと同じ改革が起こり、表現と思想そして現実の境界が曖昧になる未来がすぐそこまで来ています。
とりあえず「仮想現実」という言葉を「事実上の現実」「実質的な事実」「本質的な表現」と脳内変換して物事を考えるなおすことから始めるといいんじゃないかと思います。

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