2024年1月18日(木)

博士論文審査会を終えて

審査会を無事切り抜けて、博士号を貰えることが決まった(はず)。博士論文の修正作業が残っているから、早く終わらせたい。私の審査会は終始和やかな感じで進んだ。審査員の先生方からは建設的なコメントをたくさんいただいた。みなさん優しい方々でよかった…。

先日、廊下を歩いているときに久しぶりにS先生にお会いした。軽く雑談をしたのだが、相変わらず広い視野を持っている先生なので、物理の話をするのが楽しかった。S先生の幅広い話題に多少なりともついていけるようになった自分に成長を感じる。いつか時間があるときに私の最近の研究成果についても議論してもらいたいな。(その前に論文の形に仕上げてしまわないと。)雑談の中で、最近の物理研究全般についておしゃっていたことが印象的だった。S先生曰く、最近の研究は手を動かしたら楽しいものが多いが、もっと目的として楽しい研究をしてほしいとのこと。正確ではないかもしれないが、おおよそこのような趣旨のことをおっしゃっていた。中々、耳が痛い話である。私も、目の前の現象に気を取られて研究の全体像を見失ってしまうことはよくある。審査会のスライドを作るときにも、ボスからbig pictureを意識するようにと口酸っぱく言われた。客観的にワクワクするような目標に向かってのbig pictureを提示することは研究者にとって重要なのだろう。特にPIなどになるときには。私にとってはまだまだ先の話であるが、少しずつ考えていきたい。

欠乏の行動経済学

私は自己啓発本を読むのは、あまり好きではない。「~~~すればよい」といった風に理屈のない方針を与えられて、直感的に同意できるという以上の感想が出てこない。物理で例えると、理論によって説明されていない実験結果を見せられているような気分になる。一方で、事実や理論に基づいて生活を見直させてくれるという意味で、心理学や行動経済学の新書を読むのは好きだ。具体的な方針ではなくて抽象的な理論が提示されるので、自分の生活に適用しようとした際に、自分で考えて工夫する余地が生まれる。そういう、理論と実生活の関係を考えるのは、物理で言う解析計算と数値計算を比較するみたいで楽しい。

ここでは最近読んで面白かった行動経済学の本を紹介したい。

いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学
センディル・ムッライナタン&エルダー・シャフィール 著

タイトルに「時間がないあなたに」とあるが、この本が話題にしているのは忙しさ=時間の「欠乏」だけではなく、あらゆるタイプの「欠乏」を考えている。実際、最も言及されているのは、お金の「欠乏」=貧困についてであるし、原題は
SCARCITY: Why Having Too Little Means So Much
であり、時間については一切触れられていない。つまり、「時間がないあなたに」というのは、日本人に向けてこの本を売るために翻訳の際につけられたフレーズなのだ。まあ、私はそれにまんまと引っかかってしまったのだが。以下がこの本の概要である。

この本では、あらゆるタイプの欠乏が想定されている。貧困=お金の「欠乏」、忙しさ=時間の「欠乏」、寂しさ=コミュニケーションの「欠乏」などなど。現実的なものでなくとも、例えば、あるゲームにおけるブルーベリーの「欠乏」でも構わない。「欠乏」は「集中ボーナス」と呼ばれるメリットを生み出す。「欠乏」があるときに人間はその物事に集中して、または心が支配されて、高いパフォーマンスを発揮するのだ。(どこかの先生が、締め切りが近づくにつれて効率はlog的に発散すると言っている、という話は聞いたことがある。)一方で「欠乏」はデメリットとして「トンネリング」引き起こす。物事に集中するあまり他のことが頭から抜け落ちてしまったり、心が支配されているため処理能力が落ちてしまったりするのだ。(「貧すれば鈍する」とは言ったものだが、それを実験結果として見せられると衝撃的である。)金銭的な不安は、下手をするとひどい睡眠不足よりも処理能力に致命的な影響を与えるそうだ。「トンネリング」により近視眼的になってしまうと、さらなる「欠乏」が生まれる。やがて、筆者が「ジャグリング」と呼んでいる悪循環に陥っていく。貧困者と忙しい人が抱えている問題は本質的に同じ構造を持っているのだ。「ジャグリング」を解決するために、この本では「スラック」の重要性を説いている。何事にも最初から少し余裕を持たせておけば、「ジャグリング」を回避できるというのだ。貧困者にとっては流動性の貯蓄を持つこと、忙しい人にとっては何も予定を入れない時間を作ることに相当する。(「欠乏」を回避するために「欠乏」になるな、と言われているみたいで、実行するのは難しそうだと感じる。)

この本では、現実世界における例や実験結果が多岐にわたって提示されていて、筆者らが提唱する理論に説得力を持たせている。また、「ジャグリング」に対する具体的な対処法がいくつか紹介されている。興味のある人は読んでみてはいかがだろうか。本当に忙しい人は本を読む暇なんてないのかもしれないけど。

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