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飯坂温泉旅行記2

雨が弱くなったので、旧堀切邸へ

I'llです。お昼頃になって雨がほぼ上がったので、散策に行くことにしました。旅館を出る時にボーッとしてたせいで階段を踏み外して転んでしまいました。いい歳のおっさんが一人でコケるのは、かなり虚しいものです。私は考えごとをしているせいでよく躓きます。


旧堀切邸正門

旧堀切邸は、飯坂町の古い名家のお屋敷です。氾濫しやすい川を摺上川に分水させたり、地元に私財を投じて復興に充てたり、そういった名士を代々輩出してきたお家柄です。


旧堀切邸主屋

邸内は親しみ深い日本家屋で、習字教室が開かれていました。その他、様々な催しに活用されているようです。特に興味深かったのは蔵で、よく真っ黒に塗られている蔵がありますが、あれは空襲を避ける目的があったそうです。


旧堀切邸内の足湯

足湯に浸かりながら、さっきコケた部分を見てみましたが、軽く痛めた程度でした。左足首は二度靱帯を切ってるので、下手すると旅行先で歩けなくなる恐れがありました。何というか、疲れすぎなんだと思います。

自分自身であることに疲れる

飯坂温泉に来ているのに、大衆浴場の鯖湖湯と波来湯にまで行く元気がありませんでした。温泉に浸かりながら、よくこんな身体でやってきたと思います。旅館に仕事道具を持ってきていますし、スケジュールを思うと焦る気持ちはあるものの、今はできるだけ回復に専念した方が得策であると思います。じわじわと湧き立つ絵を描きたいという気持ち、進捗を進めたいと思う気持ちが強いのは言うまでもないのですが、今身体を休めておくことが最も優先すべきタスクだと自分に言い聞かせています。
私の疲れは、自分自身であることへの疲れなんだろうな、と思います。色々なクリエイターの作品を見て、分析したり勉強させてもらうことがあります。他の絵描きさんを見れば、なんか楽しそうにワイワイやっていますし、私がますます変わり者に思えてきます。楽しそうに活動されてる作家さんが、とても良い笑顔をさらっと描いているのを見ると、私は明るい顔を躊躇いもなく描ける自信がありません。その屈托のなさを引き出す感性は、私にはないかもしれません。
今まで自分のやり方に疑問を感じることなくやってきましたが、自分がどんどん隔世の道に進んでいるのかもしれません。自分の信条を貫くのは尊いかもしれませんが、人としての明るさや軽快さを失えば、誰にも理解されない場所で、理解され難い作品を作り続けることになりかねません。人に理解され難ければ、自己満足とさして変わらないはずです。
ただ、「他人はどうでも良い」と他者への興味を失うことが問題であったとしても、やはり興味がないのは仕方のないことです。他者に興味を抱けないとしても、他者の興味に興味を持つこと、世の中の現象やトレンドを知ることができれば、おそらく私は不自由なくやっていけると思います。
自分自身に疑いを持つことは多々あるとしても、最善のやり方を模索してここまで来たのですから、どれだけ自分自身でいることが疲れても、後戻りはしたくありません。

明るさを取り戻すために

私は、何も考えていなかった頃ほど、明るい性格だったような気がします。ノリで生きられたら、人間はそれに越したことはないのかもしれません。しかし、私は昔ほど悩みや迷いがありません。ただひたすら、疲れるだけです。いつ真剣で斬りかかられてもいいように気を張って生きるのは、本当にしんどいものです。

旅館の一室から虹を見る

たまたま空を見たら、雨が上がって虹が出ていました。なんか、今日はコケたり伏せっていたりパッとしない一日でしたが、まあ元気があれば何でもできるのかな、と気楽に考えるようにしたいと思います。

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