笑顔で、修羅場に立ち向かう
I'llです。
私は久しぶりに、肉体の限界を感じています。このままやってたら気絶するんじゃないか、と薄っすら思います。あまりのしんどさに、小手先の作業ノルマになりかけ、もう妥協しようか、と思うこともあったりなかったりします。
ついこの間、YouTubeの動画で、「笑うことで疲れを解消する」という内容を紹介していました。死にそうな顔で作品を作っても、良くなるような気もしないので、作り笑顔をしながら原稿に向かっています。
私の身体は、座っているだけで辛い状態です。気力だけでやっているのは確かで、どうせ気力だけでやっているんだから、気力をどこまで引き出せば自分を持っていけるのか、今考えています。気力をあり得ないレベルに持っていけば、肉体を凌駕し、新しい精神的境地が拓けるような気がしています。
幕末志士の伊庭八郎は、箱根山崎の戦いで左手をほぼ切り落とされながら、右手で刀を振い、政府軍兵士に切り返し倒しました。その後、腕を肘先から切断する必要があり、伊庭は麻酔無しで骨を削られながら、顔色一つ変えなかったと言います。
伊庭八郎が激痛を耐え抜き、隻腕になっても刀を持ち続けたのですから、同じ人間として、彼にできて私にできないはずはないと思います。
精神力と胆力で痛みを支配することができるならば、心頭滅却すれば肉体を凌駕する精神に到達できるのかもしれません。
幸い、私は身体は五体満足の状態で、特に悪いところはありません。左腕も足もついてる状態なのですから、まだまだとも言えます。
芸術とプロダクトの境目は、プロダクトは市場傾向とコストパフォーマンスが重要項目であり、芸術は感覚と技術の高みを表現するもので、両者は要素として共存するものの、必ずどちらかに比重がかかってしまいます。私はプロとして、当然効率と妥協ラインを考える必要がありますが、ちょっと無理すれば改善できるものなら、徹底的にやるべきだと思います。
座っているだけで、肩が痛い腕が痛い手が痛い腰が痛い目が痛いとありますが、まだ身体についているのだから、そんなに深刻になっても仕方がありません。切り落とされていないだけマシです。むしろこれを耐え抜いて見える光景が、楽しみでなりません。作り笑顔で、この修羅場を乗り切りたいと思います。
鬼が出るか蛇が出るか、賭けの結果が楽しみです。
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