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「暇」と言う名の贅沢

暇で暇で何もやることが無い、と言う1日は結構存在していて、大抵の場合は寝て丸一日が終わるなんて事はざらにあると思います。

寝るだけで1日が過ぎてしまったのか、あるいは1日を寝るためだけに使う事ができたのかはその人の価値観によるものでしょう。
この二つの間には違いが存在しているようにも感じます。前者は無駄な時間を過ごした、後者は有意義に使う事ができた、とかでしょうかね。

暇であることが苦痛な現代なのか?

皆さんは「暇」であることをどの様に捉えるでしょうか?私は暇であることは贅沢だと思っていて、何もする事がない=何でもできる、と考えています。予定が無いという事は何者にも縛られず自分の頭で何をやるのか(あるいは何もやらないのか)を考え、選択する時間が大いに存在することだと勝手に思ってます。
なぜ、このようなテーマを書こうと思ったのか。それは私が多くの人と関わって喋っていると、結構、「暇で退屈」と言って辛そうな顔をする人に遭遇する機会が多かったからです。私はその度に「暇で退屈なら、何でもできるんだよ」と言うのですが中々伝わらず…(そりゃそうか)
思うに現代に生きる人々は何かしらの予定に良くも悪くも動かされていないと気持ち悪く感じてしまうのかなあと思います。故に何もする事が無いと、辛い。無から有を創り出す力(暇を使いこなす力とでも言いましょうか)が育っていないようにも思います。(その原因は何故かとか、深く考えると大変なので、これからの研究ということで割愛!)
暇な時間をどう上手く使うのか、寝るもよし、本を読むもよし、勉強するも良し、散歩するも良し、複数の選択肢を考えて実行に移せると良いですよね。しかし、そういった複数の選択肢を考えられないのは、日々の生活、人生において何かを「体験する」「経験する」という事が大きく欠如してるのかもしれません。

暇な時間が存在する時、その時間を上手く使いこなす力と言うのはひょっとしたら暇を潰すだけではなく何かもっと大きなモノになるかもしれませんね。

ん?待てよ…?暇な時間を有効活用するって事はそれ即ち何かしらの予定に動かされてるってことになるのでは…?

なんて、「矛盾が生じてるのでは?」と自分の考えに問いを持ち、また再考する。これもまたひとつの時間の使い方かもしれませんね。

皆さまも「暇な時間」とは何かを考えてみるのも面白いかもしれません。

ではでは、ここで一旦筆を置かせてもらいます。✍

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