喉にポリープが見つかってから、今に至るまでの話

最近、よく聞かれる。
ポリープ見つかったのはいつなんですか、とか、今はどんな調子なんですか、とか、歌えるんですか?とか。
記録として残しておくためにも、ここに書き留めておこうと思う。

喉のポリープ。
そもそも、見つかったのは、去年の8月。
いつもだったらすぐに引くはずの声枯れが7月終盤頃から、ずーっと長引いて、思うように歌えない。
話すことすらままならない状態だったので、堪らず病院へ。
薬だけ処方してもらって、さっと帰ろうと思ったら、
「喉にポリープができており、手術しなきゃ治らない」と先生に言われた。

不甲斐なさと、情けなさで目の前が真っ暗になった。
けど、どこか「そりゃあ、なっちゃうよな」と諦めがついている自分もいた。

なぜか?
ポリープがあると判明するまで、俺は歌ってものを、あまりに軽く捉えていたからだ。
枯れてる喉も振り絞れば、声が出る。そしてそれは必ず治るもの。
そう信じて甘えきっていた。
6月頃から、アルバムの制作やライブが立て込んでおり、
声が枯れてきてるのに気づいていながら、まあ大丈夫だろと決め込み、歌い続けた。
歌についても、喉についても、それまで深く考えたこともなく、
声が出ていればオッケーくらいの認識で歌を歌っていた。
それは、ガタが出て当然なやり方だった。

これ以上喉に負担をかけたくない。納得いく歌を歌いたい。

ポリープと判明したばかりの頃、声枯れも酷く、精神的にも歌うことに前向きになれなかったんだけど、体幹を鍛え始め、ランニングを始め、発声も元から見直していく中で、歌は徐々に改善していった。

お陰で、まだまだ発展途上だけど、
今現在歌ってる歌は、バンドを組んでから最もいい状態だと胸張って言える。

バンドを組んだばかりの頃、俺は歌に全くといって自信がなく、
「歌わないこと」が自分の個性だと言い聞かせ、信じ込んでいた。
歌わなくていい曲ばかりを作り、「歌」というものをバカにしている節もあった。
けど、今は自分の「歌」を歌えているという感覚がある。
自分の素直な表現の一つとして、「歌」がある。
こんなこと、ポリープになるまで、気づけなかったことだ。


ポリープになって気づいたことがもう一つある。

それは、6年間バンドを走らせ続ける中で、
いつの間にやら、目の前のことばかりをこなして、
真ん中にあるはずの情熱や、衝動をなくしてしまっていたということだ。

情熱や、衝動があり、そこから、曲が生まれ、ライブがあり、日々の活動がある。
というのが、元々のバンドのあり方。

それがいつしか反転してしまっていた。
スケジュールや、ライブが先に決まり、そこに合わせて音源を作り、
悪く言えば「後付け」のように思いを乗せていく。

正直、その頃は、スタジオもライブもあまり楽しく感じられなかった。
解せることはあっても手応えはない。
「これしかない」という沸点を見失っている状態だった。
歌だけではなく、例えば、自分が出す音一つ一つや、
ライブで届ける一言一言が、「何となく」になっており、
それでいいとさえ思っていた。

そんな中でも、メンバーは、俺の中の熱いもの、確固たるものを待っていてくれていたが、
目の前のことばかりに囚われていた俺は、
メンバーの思いすら気づくことができていなかった。

とっても簡単だけど大切なことに、
歌に真剣に向き合うようになり、
初めてバンドを休止させるという選択をすることで、初めて気づくことができた。



今、
歌えなくなる直前だけど、それまで気づきもしなかった、歌の楽しさに気づきつつある。
休止する直前だけど、バンドで音を合わせることの煌めきや衝動が蘇りつつある。
ツアー対バン編を回りきり、年末3本ライブをする中で、
歌に演奏に言葉に、
一つ一つのことに血が通い、
それまででは生まれなかったエネルギーが生まれてる。

変にドラマチックにしたい訳でもなく、大げさに言ってるわけでもなく、
バンドとして今が一番、最高だと思う。

ポリープになってから、歌いたい歌を歌えるようになって、鳴らしたい音を鳴らせるようになってるから
不思議なもんだ。
だから、ほんと心配しないでほしい。

1/19(日)の恵比寿LIQUIDROOMワンマンを最後に、パノラマパナマタウンはライブ活動を休止します。

でも、必ず休止をプラスに変えて帰ってくる。
納得いく形で、逞しくなって戻ってくる。

それまで、忘れずに待っていて欲しいと思う。
そして、休止する前に一番最高の俺たちを観に来てもらえたらとても嬉しい。

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