パン屋やったらいいな

家の近くに内装工事中の建物がある。毎日ランニングする時に中を見るのだが、通りから向かって右側半分は厨房のような雰囲気。大きな机がどーんと置かれ、今は恐らく換気扇系統の工事をしている。左側半分には四方に三段ほどの棚があり、奥の方には冷蔵ショーケースのようなものも置いてある。中央には茶色のカウンターがあり、ウッディな雰囲気。通りと、建物の中を隔てるのは一枚の分厚いガラス。工事中の建物の全貌が見渡せるような造りになっている。

前に何があったかは、覚えていない。知らないお店か、オフィスか、はたまた住居か。ただ、次第に存在感を増してくるこの建物を見る度、私はこう思う。

この建物が、パン屋やったらいいな。

近所には、パン屋がない。スーパーのパンコーナーや、コンビニで冷たいパンを買うことはできるけど、パンだけを売ってるパン屋はどこにもない。今まで住んできた場所には必ず近くにパン屋があったから、疲れた帰り道、まだ晩飯までは時間がある時や、忙しい最中、次の日に食べる朝飯を前もって買っておくために、パン屋に寄っていたけど、そういう時どうすればいいか分からない。今の家に引っ越して1年が経つが、未だに「パン屋に寄っていたはずのタイミング」は替えが効かずに、がらんと空いた日々の隙間になっている。だから私はランニングで汗だくになった体を引きずりながら、直線的な思考の中で繰り返し思う。

ここが、パン屋やったらいいな。


何か希望を持って空きテナントや空き地を眺めるということを、私は東京に来て覚えた。

地元福岡北九州の商店街は、昔栄えていたけれど今は人通りがまるで少なく、シャッターを降ろしている店ばかりだ。八百屋だった建物は解体され駐車場になった。アーケードは屋根がなくなり、スーパーがあった所は取り壊されて大きなパチンコ屋になった。こういった経験を子どもの頃から続けていると、どんな空きテナントや空き地が工事中でも全くもって期待することがなくなる。

「どうせ、駐車場だろ」
「どうせ、パチンコ屋だろ」
「どうせ、チェーンの居酒屋だろ」

「どうせ」ベースで街を見ることに慣れていた私は、東京にきて驚いた。凄い速さで街は回る。空いた店には新しい店が、空き地には新しい建物が次々とできていく。トム・ブラウンの布川くんのように、私は東京の街を歩く。

「これは一体どうなっちゃうんだ〜?」


渋谷に初めて来た時、私はこの工事中の街はいつになったら完成するのだろうかと思った。だけど、上京して5年経って気付く。この街は完成しないことを目的としている。常に途上で、常に未完成で、意地でも完成して堪るかというエネルギーで持って、空虚に回転し続ける街、渋谷。沢山の人間の「こうやったらいいな」が溢れかえってパンクしそうだ。あの建物がパン屋になったとして、それはいつまで続くだろうか。

センター街の真ん中でハッとして、全てが虚しくなって、地元のあのささくれた街並みを愛おしく思った。消化試合のようなあの夕暮れの中を、粛々と歩きたくなった。


私は今日もランナー。無責任に街を走るビジター。あの建物、中央のカウンターにはレジスターが置かれていた。
息切れして、ヘトヘトになりながらこう思う。
ああ、あの建物がパン屋やったらいいな。

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