情熱とユーモアって何。

パノラマパナマタウン岩渕想太です。
さて、今回noteを作り自分の考えを発信していこうというわけなんだけど、何でまとまった文章を書こうと思ったかというと、あれ、あんまり自分の考えってみんなに届いてないんじゃないか、と考えるようになったのが大きい。すげえぶっちゃけた話、Twitterの9000人弱のフォロワーだって、Instagramの4000人弱のフォロワーだって、みんなが俺が思ってること理解してるとは思わないし、CD買って念入りに俺たちの音楽聴いてる人にも、伝わってないことは沢山あると思ってる。

今まで、こうやって腹を割って話す場があまりなかったからってのもあるし、俺が書く文章が長くて堅苦しいから伝わらなかったってのもあると思う。だから、この場では、映像やら音声やらあの手この手を使っていきたいと考えてる。長ったらしくて堅苦しい文章より、かっこいい顔の写真の方が勝ってしまうことは23年間生きてきた経験から分かる。だけど、ここには、かっこいい顔に勝る、面白いコンテンツを作りたいと考えている。

俺は自分のバンドのテーマ、そして人生のテーマとして「情熱とユーモア」って言葉を使う。ことあることに書いてあるから、ファンのみんなでも何言ってるか分からなかったと思う。ずばり、情熱とは俺が俺であるために燃やし続けるもの。誰も触れない、燃え上がる命の情熱。ユーモアとは自分だけが知ってる秘密の言葉。単調な毎日に色をつけるものだ。うーんと、これにはまだ説明が必要だなあ。

色んなことが便利になっていくと、失われていく人それぞれの輝きというものがある。コミュニケーションが便利になっていくにつれ、人の顔は見えなくなっていく。牛丼屋のシステムが向上するにつれ、作ってる人の顔は見えなくなっていく。ショッピングモールができるにつれ、八百屋のおばちゃんの声は聞こえなくなっていく。

形だけのコミュニケーション、毎日何となくで食べる外食、オススメ商品で埋め尽くされた部屋。どれも便利ではあるけど、何だか虚しい。同じことの繰り返しで、生きてる感じがしない。

でも、俺たちはこの虚しさに打ち勝つことができる。嫌われても言いたいことを言う、面倒でも食べたいものを作る、時間かかっても欲しいものを選ぶ。そういう時に、心から生きてるって感じられる。生きてるって実感することが何よりも大事だと思う。俺はこうだ!という情熱と、それを形にするユーモア。何だか虚しい毎日に、俺は情熱とユーモアが必要だと思う。

さて、分かるようで分からない話かもしれません。思ってることを伝えるのは、雲を掴んで手渡すほど難しい。これは序文みたいなもんなので、みんなはこれからのnoteを、「情熱とユーモア」とか「生きてるって感じ」とか「人間らしさ」って言葉を頭の片隅に置いて読んでもらえると分かりやすいかもしれない。次回は、企画も考えてるので。

余談だけど、こないだインスタのストーリーで「生きてるって感じる時はどんな時?」って聞いたら一番多かった回答が、「死」や「血」に近づいた瞬間だった。それはすげえ分かるし、俺もそう答えるかもしれないんだけど、死から逆算して「生きてる」って感じるのはとても悲しいなと思った。毎日、何らかの方法で「生きてる!」って感じ続けたいよなあ。

余談2、昨日の鍋の残りを雑炊にした。雑炊ってのはとても生きてる感じがするご飯の一つだと思ってる。



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