コロナウイルス

これが日比谷大音楽堂か、とメンバー全員で日比谷公園を歩いてから、
1ヶ月が経って思いもしなかった現実が訪れている。
伝説の日は訪れずに、鉄のゲートはついに開かなかった。
子どもみたいに喚けるなら、「やりたかった!!」といくらでも喚いていたい。

どう転んでもいいように、やれることをやってきた。
というか、人生ってのは大概、どう転んでもいいように、やれることをやってくもんなのかもしれない。
ひっくり返せない大きな力ってのは突然現れて、
そんな時に、やってきたって思えることが大事なのかもしれない。
人間が記憶を持っていて本当に良かった。

フィクションにしか見えないノンフィクションの中を生きている。
当たり前に立っていた地面がどれだけ脆いかを思い知らされる。
ウイルスが流行りだしてすぐに、バーでマスク会社の偉い人に偶然会った。
半端じゃなく忙しいけど、売り上げは凄くて、会社としては上向きになりそうだと言っていた。

色んな人が、色んな種類の幸せを、色んな種類の不幸を抱えている。
立場が違うだけで、良いも悪いも180度変わる。
想像して生きよう。
復帰のライブが中止になったバンドマンの気持ちをなんとなく想像できるように、
俺らには、身近な人の、遠い国の人の、生活を想像することができるはず。

今でも野音の夢を見る。
ある意味、俺にとって、子どもみたいに喚くために音楽はある。
こねられない駄々、踏めない地団駄。
万事快調なのに、未だに入院してるみたいだ。
エネルギーをエイっとやれる方法を探してる。

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