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俺が生まれてから地元を出るまで。【Who am I (三宅正一さん対談) part.2】

ロックバンドにもヒップホップで言うところのhood(地元)があっていいし、ガンガン主張しちゃっていいんじゃないかって前回の話を受けて、今回は、俺岩渕想太の生い立ちを掘り下げていきます。なんせ自分で喋って自分で編集してるので、過去未来あらゆるメディアの取材、全て合わせても一番踏み込んだ岩渕想太史になると思います。読んでるあなたが、小中高校生だった場合、自分にもあるあるって思えるところがあるかもしれないし、もう卒業してるあなたの場合でも、こういう奴いたなあって思えるかもしれない。自分の人生と照らし合わせながら、読んでほしいなって思う。俺も俺なりに沢山さらけ出してるので。

・地元北九州の商店街について

岩渕「僕、福岡の北九州出身で、シャッター街のようなところ生まれなんですけど。」

三宅「でもかつては、すごく商売が盛んだったわけでしょ?」

岩渕「盛んでしたね。八幡製鉄所の近くの商店街の出身なんですけど、商店街で実家が餅屋を営んでいて。自分が小学校の頃は、店の前で自転車の練習しようにも、人が多すぎて通行できないくらい人が凄かったですね。

三宅「そんな盛んだったんだ。十何年前まではすごく人が多くて、活況を呈していたのに、徐々にシャッターが降りるようになってったってこと?」

岩渕「そうですね。市場が閉まるぞ、とかアーケードの屋根が無くなるらしいぞとか、色んな事がありながらどんどん寂しくなっていきましたね。人も少なくなっていったのが、中学高校の時。

三宅「それってどういう雰囲気になるものなの?周りも含め、自分がそれをみてどういう感覚になるものなんですか?」

岩渕「子供だから、俯瞰することもできないし、冷静に分析できないから、寂しくなってるなーって感覚はあまりなかったですね。なんか人がいなくなってるけど、これって自分が大人になっていってるからじゃねくらいの(笑) やっぱりグラデーションがあるから、そんなに実感はなかったですね。」

三宅「そっか。一気にゴーストタウン化したとかそういうことじゃないもんね。」

岩渕「うん。それこそ5年、10年のスパンでゆったり減っていった話だと思うんで。けど、僕大学で神戸に出たんですけど、神戸に行ってから地元北九州のことを思い返す時に、昔もっと人いたなって思うようになったんですよね。ふと、昔のこと思い返したら、あの頃の活気あった自分の街ってすごく懐かしくて、あの街には出会えないんだって、すげえ悲しくなるんすよ。小学校から自分の家まで帰っていく途中が全部商店街だったんですけど、八百屋の人や本屋の人が「おかえり!」って言って声かけてくれてたんすよ。その日の肉とか野菜とか余ってたら持って帰らせてもらったりしてたんすけど、そういう人たちにはもう絶対会えないし、あの光景を見る事ができないんだって思ったら無性に悲しくなったっすね。」

三宅「でも、その感覚は曲で残せるもんね。」

岩渕「そうなんですよ。だから、一番最初に曲作ろうと思ったら、やっぱりシャッター街の光景が出てきましたね。最初の頃に作った「真夜中の虹」って曲も、シャッター街が好きですってそれだけの曲だし。」

・お調子もんだった中高の頃

岩渕「僕、中高の時クラスでお調子もんだったんすよね。一番笑いとりたい奴みたいな。お調子ものだけど、ずっとピエロ的な存在だったと思ってて。」

三宅「なんかキャラに徹してるなみたいな感じ?」

岩渕「徹してるところもありましたね。なんかこう「この笑いが欲しいんだろ?」みたいな擦れ方してました(笑) 」

三宅「めんどくさいね。でも、クラスの人気者みたいな存在ではなかったって事?」

岩渕「でも、人気者でしたね。人気者だったような気がします。自分で自分のこと考えるの難しいけど、文化系だけど人気者みたいな感じだったと思います。でも、全然モテるタイプじゃなくて、自分を貶めて笑いをとったりしてましたね。」

・小学校時代、そこでの表現たち

岩渕「僕なんか肌が弱くて。小学校5,6年とかはそれで結構いじめられたりして。いじめではないけど、ガキ大将的な存在にすげえ弄られてましたね。でも、中学校の時から、だんだんそういう人らと距離を置くようになって。」

三宅「じゃあコンプレックスもすごいあったんだ?」

岩渕「そうっすね。小学校の時は、永遠にそのガキ大将の下にいたというか、いいように使われてましたね。1,2限から学校抜け出そうぜ!って、みんなで悪い事するときも、ガキ大将の一個下っ端みたいな感じで動いてたから、俺はそんなに楽しいと思わなかったけど、まあいっかみたいな感じで出ていったりして。それのせいで、主犯格みたいな扱いされて、不当に怒られて校長室で授業受けさせられたりしてましたね。」

三宅「大変だったね。」

岩渕「そんなに悪い事やりたいわけじゃなかったのに、外から見たら悪い奴と絡んでる奴みたいな。でも、内実、すげえ弄られたりするし、自分のやりたいことはできてないっていうか。」

三宅「バランスがむずいよね。本当に自分がどうしたいって事がそこにないもんね。

岩渕「だから、隣の小学校に喧嘩しにいこうみたいな事があっても、俺全然喧嘩ができなくて、人が殴れないんで、ひたすら眺めてたらお前喧嘩しろよ、もっとやれよって言われて。それで、一方的に殴られ続けるみたいな。」

三宅「それしんどいねえ。自分の納得できない事とか、ルサンチマンが檻のように溜まっていくって感じなのかな?」

岩渕「そうだと思います。本当の自分はこうなのにって事が小学校の時すごく抑圧されてたから。」

三宅「じゃあ、能動的に自分を表現しようって思ったのって、バンドが初めてなの?」

岩渕「いや、小学校の頃に「ソウタ・タイムス」っていう自分の新聞を作ってたんすよ。」

三宅「へえ、それ配るの?」

岩渕「いや、親にひたすらあげるんです(笑) で、それを140号くらい、ほぼ毎日書いてましたね。で、毎日何があったか報告するんすよ。企画とかもやってて、抽選とかもあるんすけど、父か母かどっちかしか当たらないっていう(笑)」

三宅「いやでも、親からしたら嬉しいね。それは、親御さんにその日何があったか知ってもらいたかったのかね?」

岩渕「そうっすねー。てかなんか、発信したい、自分を出したいってのが強かったですね。その頃に、ひたすら絵書いたものとか、テープに自分の作った歌を永遠に録音してるやつとか、いっぱい残ってますね。あと、自分でテープレコーダー持って、勝手に「まいにちまいにち」ってラジオ番組やったりしてましたね(笑)

・仲良し4人組

岩渕「小学校の頃、発信したいはあるけど、なかなかできないってもどかしさがどっかにはあったのかもしれないですね。」

三宅「ましてや、いじめられてるみたいな感触があると、誰かに発信しても押し潰されるんじゃないかみたいな恐怖心があったんじゃない?」

岩渕「どうだろうな。学校行ったら自分をあんまり出さなかったですね。でも、めっちゃ仲良い友達が3人いて、そいつらには曝け出してましたね。僕、小学校の最後の方、結構学校休んでて、不登校くらいだったんすけど、そいつらは学校休んだ日も家に遊びに来てくれたりして。それこそ、『ストレンジャー・シングス』のあの4人に近いっすねー。あれ観た時すげえ懐かしかったっすもん(笑) チャリで移動して、めっちゃゲームが好きっていう。そいつらといる時は、自分のやりたい事ができてましたね。

三宅「じゃあ何でも話せるような友達だったんだ?」

岩渕「何でも話せる感じでしたね。あと、自分が住んでるマンションの、13階から1階まで全部ピンポンダッシュして降りようぜ!みたいなことやってましたね(笑)」

三宅「俺もやってたよ。俺もやってたけど、古くない?(笑) ピンポンダッシュはマジ昭和のガキの遊びだからね。やっぱオールドスクールな感じあるね。」

岩渕「なんか13階から1階まで毎日やってて、それが自分の住んでるマンションだったんすけど、ある日、いつもピンポンする家に待ち伏せされてて。ピンポンした途端に、ガチャって開けられて、メンバーの中で一番太ってて動きが鈍いやつが捕まえられて(笑) まーちゃんってやつなんすけど。そいつが、捕まって俺の家ゲロって。そしたら、その家の娘さんが最近ストーカーに遭ったばかりらしくて、その子の親がすげえ怒って、僕の家まで来て。「すごく怖かったんですよ」っていう話をされて。その夜に、生まれて初めて親父にめちゃめちゃ怒られました。「人に迷惑かけるな」っつって。」

・世界狭いな

三宅「でも、そのズッコケ友達たちは何やってるの今?」

岩渕「その捕まったまーちゃんって奴はライターになりたいって言って、、あ、そうだ!ここ繋がるんすよ!三宅さんに!

三宅「連絡してきた人か!あの子か!俺会ったよ!面接したよ。」

岩渕「そうです!びっくりした(笑) 三宅さんと話した話こないだ地元に帰って飲みながらしましたもん。三宅さんに、人を紹介してもらったとか言ってすげえ恩に来てました。」

三宅「いや、とんでもない!そん時も、パノラマの岩渕くんが幼馴染ですげえ刺激を受けたって話してて。あんなに小さい頃から知ってるやつが、音楽で頑張ってるの見て、自分もなんかやんなきゃいけないって思って、会社辞めてライターなりたいって思ったって言ってたよ、面接の時に。いやーそこ繋がるんだね。なんか怖いね(笑)

岩渕「八百屋なんすよ。そいつの親が。近いところの八百屋の息子で。すごい話し合うんすよね。」

三宅「えーでも、ピンポンダッシュで捕まった子が彼なんだ。うわーこわ!」

岩渕「あいつが逃げおおせてたらそんな怒られなかったんすけどね(笑)」

三宅「(笑) いやーでも元気ならよかったわ。」


はい。ということで、今回は今まであまり話してこなかった過去についてのお話になりました。最近、ようやく自分ってのものを外側から見れるようになってきたなーと思うんすけど、執拗に弄られたり、喧嘩や悪事が取り巻く小学校の経験を乗り越える一つの力が、ユーモアだったと思ってます。それは良い面も悪い面もあって、悪い面を話すと、自分を下げて笑いをとる術を身につけてしまったこと。

中学校も高校も、人を笑わせることに徹してきたし、それが好きだった。けどそうやって生きていく中で、クラスメイトを笑わせてる自分と、本当の自分が離れていく感覚ってのはずっとあった。俺って、小中高大、必ず仲良くなった友達に言われるセリフがあって。「想太ってみんなを笑わせてる時と、俺らといる時モードが違うよな」って言われる。言われるたびに複雑な気持ちになるんだけど、これを読んでるみんなにも経験あるんじゃないかな。みんなといる時の自分は、本当の自分じゃない!みたいな。俺も、人一倍そういう思いが強い小中高時代だったと思う。

小学校の経験はさすがに堪えたこともあったけど、小中高と友人にも恵まれて、辛いことはそこまでない人生だった。だけど、ピエロっぽくクラスメイトを笑わせ続けることに対する、虚しさや寂しさはずっとあった。弄られても気にならないんじゃなく、どこかに殺してた自分があった。そして、その虚しさや寂しさは今も消えてる訳じゃない。ファンの人に「岩渕さんは自分に自信あって憧れます」って言われることがある。すごく嬉しい言葉だ。俺は、そのファンの人が思うような人間じゃないかもしれない。けど、胸張って「自分らしく生きようぜ!」って心から叫ぶことはできる。自分らしく生きれないことへの虚しさを、とても分かってると思うから。

人を笑かすのが好きで、今も好きなんだけど、そんな中、誰かの生活の糧になれるバンドをやれてることがすげえ幸せだ。ピンポンダッシュしてた4人組と、同じくらい大事なメンバーに恵まれて。ライター志望のまーちゃんの今の夢は、「俺たちにインタビューすること」らしい。こないだ飲んだ時は、「そんなの夢にすんなよ」って笑いながら返したけど、そん時までに、俺たちにインタビューしたことを誇りに思えるようなロックバンドになっておこうと思う。


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