Iwatakeの社会人一人大学開学の経緯について

私iwatakeは新型コロナ渦の下におきましてまったく売れない作家の悲哀を感じつつ慎ましい生活を送っていました。
これからどうしよう、どう生活を建てて行こう、漠然とした悩みを抱えながら隅田川岸を散歩していました。
いつもと同じコース同じ風景の中、その日は何故か気になった物が目に入ってしまったんですよね。それが葛飾北斎のレプリカ画の作品なんですよね。
何かわかりませんがすごく気になりましてさっそく家にかえり評伝をしらべました。
詳しい人物評伝はそちらにおまかせして私がインスパアされた点のみ書かせていただきたいとおもいます。
死に間際のセリフも素敵です。
卒寿90歳間際の言葉です。江戸時代の人の中では長命ですよね。
死を目前にして、天が私に命を後10年伸ばしてくれたら、いや後5年保ってくれたら私は本当の絵描きになることができるだろう、とこんな言葉言える人今の時代にいますかね。
版画家でもある北斎は当時チーム北斎として江戸一番の売り上げがあり相当の収入が有りながら本人はお金と食事にもあまり頓着してなかったようです。
健脚ですね、87歳の頃後援者のいる長野まで歩いていってます。
酒、タバコは嗜まれなかったようです。
当時調べることができたあらゆる画法に挑戦したとかかれています、それも死の間際までしていたそうです。
まだまだ色々ありますが巨人北斎については凡人iwatakeには説明がおよびません。
私iwatakeにとって北斎の生きざまはこれからの私の生き方に大きな力を与えてくれました。
北斎の生き方
それはシンプルで力強い
そしてだれにも真似のできない深い生き方です。
それがあってのあの作品群なんだろうなと素人のこの私ですが素直にそう思った次第です。気になりました方は先ず評伝を調べてください。
生き方のヒントがあります。必ずあります。元気になります。
私iwatakeは北斎先生の足元におよびませんが、死ぬまで勉強、興味の赴くま
ま社会人一人大学開学という目標を与えていただいた葛飾北斎先生には感謝の言葉しかありません。





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