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一人箱根駅伝

何をやらかしたか

オジサンが2021年12月29日から30日にかけて、一人で箱根駅伝走ってみたらどうなるか試してみた。

やらかした結果

3区65km地点でDNF。オジサン悔しい。またやる。

ショボい結果

何でそんなんやったん

2021年11月後半から年末年始はどうするかを聞かれ始める。2020年末はコロナ禍真っ只中ということもあり、家族も帰省出来ずだったので、確かに何しようかリストを作り始める。
今年は何か達成感があることをしようと思い「一人箱根駅伝」という奇策を思いつき、周りに言い始める。大体の人に二度聞きされる。え?一人?え?
12月に入り、仕事を納めつつ、こちらの方のブログなどを読み始めて「うわこんなのマジでやる人いるんだ」とオジサン本人も若干引き始める。
ただ、12月12日にTokyo VR Racingという、トレッドミルで21.1km走るというイベントに参加して1:26程度で謎に優勝してしまい、これまた謎にインタビューを受けて、今後のレースの予定は?の問いかけに条件反射的に年末一人で箱根駅伝を走ると口走ってしまい、後に引けず、万事休す。

家族の理解

12月26日から28日まで、去年は連れて行けなかった雪山へ。自分自身も5年ぶりの雪山だったため、無事転倒祭り。初スキーの9歳、5歳は子鹿状態でこちらの対応でも無事足腰が終了。

オジサン雪山でイキる

逃れられない当日

12月29日午前中に家族を新横浜へ送り届けた後は、14時ごろつけ麺2玉をぶち込み、急速カーボロードを図る。既に気持ち悪い。
15時から18時ごろまで予定があり外出、その後帰宅して2時間半ほどの仮眠。
20:30に起床、21時過ぎに準備をして電車へ。ウェアは以下の通り。

  • 下:CW-Xタイツ+GORE-TEXのウィンドブレーカー

  • 上:長袖のランニングウェア+Columbiaのウィンドブレーカー+潰せるダウンジャケット

  • ランニング用手袋+バイク用手袋

  • ニットキャップ

  • ヘッドライト(色々と記事を読んだ結果、幹線道路で進むため、街灯はある程度あるものの、対向車線から見やすくするため)

  • 10Lザック+ウイダー6個+ソイジョイ5本

  • 予備バッテリー

22時過ぎに大手町に着き、C7出口より読売新聞社前に移動。
箱根駅伝が3日後ということもあり、現地歩道は色々と準備らしきものが。
警備員の方も1名いて、そこへ左手を掲げながらGPS掴めねぇなぁとウロウロしてる人間が入ってきたもんだから、GPSを掴むのが先か、警備されるのが先かのレースが先に開始される。めっちゃ見るやん。

オジサンのための看板
星のや東京宿泊したいオジサンです

1区

22:27にようやくGPSを掴み、警備を逃れる。元々予定していたキロ6を越えないように、ほぼジョグで進む。
が、やはり都内、300m-1000m程度に一度どうしても信号で止まる。年末の夜間に事故りたくはないのでキチンと遵守して、ストップ&ゴーでゆるゆると。スノボ持った若者が夜行バス待ちとかしてるのを見て、20年前を思い出す。そんな想いに耽ってる自分を感じてマジでオジサンなんだと愕然とする昭和生まれ。
途中、東京タワーや、今更ながら高輪ゲートウェイ駅舎の写真をとりながら、観光気分。

目線バグってる
とりあえず新しそうな駅舎、遠くてよく分からん

ところでこんな頭おかしいことやる時は大体早い段階で何でこんなことやってるのかと、自分の愚かさを嘆く事が多いのだけど、今回は割とそうはならず。珍しい、オジサン無我の境地に達してきたのかもしれん。
あとは一区は金融箱根駅伝で3回ほど走らせてもらっていることもあり、勝手が分かっていたのもプラスだったのかな。
ただ8キロ過ぎ八ツ山の分岐で、右のコースは車専用ということを忘れていて若干マゴつく。オジサンちょっとワタワタする。
その後は11キロ地点、いつも箱根駅伝本戦を観戦している立会川付近を通過。
こういった劇的に家に帰れる距離に来てしまうと、帰ってしまってストラバのデータ弄ればいいか、と悪巧みを企て始めそうになるオジサン。
何とか誘惑を振り切り、15キロ付近の京急の蒲田要塞を右手に見つつ、16キロ付近の六郷橋へ。
ここで六郷橋の始まりは車専用なので、多摩堤通りにぶち当たるまで側道で進み、階段で橋に上がる。
階段で走って足にダメージが来ても意味ないので、歩道橋系は全て歩くことにここで決意。オジサンは無理をしないのだ。
そして川崎市に入ったところでパシャリ。まだ観光気分は抜けず良い雰囲気。

垂れてくる鼻水との戦い
コストコ行きたい、チキン買いたい

橋を渡ってからは3キロほどゆるーりとジョグで繋ぐ。ここをキロ4で押していくのはいつも辛いんだよなぁと考えていたら、鶴見中継所の銅像へ。

オジサンも渡す相手が欲しいでごわす
散歩ペース

2区

1:15発着。1時予定だったのでここまでは順調。ただ、ここからいきなり走ったことがないのでコース的には未知の世界。
25キロ地点あたりで一度座って休憩+補給。ここでミスってしまったのは、上着をキチンと着なかったこと。体が一気に冷えてしまい、この後1キロぐらいは凍えながら走った。でもザックからダウン出して、走り始めたらまた脱いで、ってめんどくさいのよねぇ。。。

その後30キロ付近で横浜駅前。この辺りまでの5キロぐらいは夜中に走るのはちょっと怖いイメージだった。上に無数に走る高速道路が圧迫感があって余り写真とかも撮るメンタルには到底なれず。
国道15号が終点となるところで待ちに待った国道1号へ合流。そこ辺りから標識に小田原の文字が。

なんで二国と一国って国道1号と国道15号なのか解せぬ
小田原の文字が見えてちょっとワクワク

ただ保土ヶ谷あたりになると一気に街灯も心許無くなったため、ヘッドライトを出し始める。
36キロ付近で、2区の鬼門、権太坂に遭遇。ただ正直ジョグペース以下+上りは足に負担がかからないので、何も問題なく終了。恐らくレースペースで走ったら見え方は違っただろうと思う。

ニットキャップをめくるオジサンスタイル

本格的な問題となったのは丁度40キロ付近。後日の箱根駅伝本戦の映像を見ると、具体的には2区19.25キロ地点、斜め右が本来のコース、斜め左が戸塚駅方面という箇所。本来のコースは実は自動車専用道路となっていたようで、ここだけは本来のコースとは外れて戸塚駅を通過することとなった。

右が車と車ぐらいのスピードで走る変な人用、左が一般人用

この戸塚駅の線路を抜けるのが、大きめの歩道橋を渡る必要性を生んでしまい、ここでまた足へのダメージが溜まる(歩いてはいるが、エレベーター使おうと思っていたところ休止の文字を見てメンタルに来た)。
また携帯で地図を見ながら元のコースに戻るルートを凍えながら探す羽目にもなり、ここで色々と消耗した(電池も)。
トドメは43キロから44キロにかけて60m上げさせられ、地獄を見る。ここが噂に聞く「戸塚の壁」。
ただ結局戸塚中継所はスルーしてしまったので、登り切ったところで勝手に2区終了とした。

もう5時間

3区

4:24発着。本来はここで朝3時半発着の予定だったので、1時間ほどのビハインドとなる。しかも空腹と喉の乾きが激しく、途中のコンビニでジャスミン茶1Lを買う。そもそもここで補給食の代わりとなるような飲み物を買っていない時点でダメなのだが、夜通し走って脳も相当終わっていたので、携帯の電池が切れていることを忘れていながらクイックペイ決済出来なくてアワアワする。明け方にオジサン何やってんのか。

小田原の看板よりすき家の看板を狙い始める

そして46キロ付近、絶対にやってはいけない(と、当時は思っていない、むしろ狂喜乱舞)痛恨の「すき家」の看板に吸い込まれる。。。対向車線なのにわざわざ渡りに行くオジサン。
ただオジサンそこで謎の判断能力が発揮される。看板を発見した時間は4:56で5:00からの朝食を狙うために付近で4分ほど徘徊。
そして5:00に着席の上、天下の「まぜのっけ定食」をノールック注文。至福の時。ゆうに30分以上の長期滞在。死亡フラグ点灯。

ごはんおいすぃ、豚汁おいすぃ

5:30頃、トイレ休憩も挟み外へ。気持ちはリフレッシュ、体は既にフィニッシュ。
ただこれでは距離的にもフルマラソンとちょっとやって、ご飯食べて帰るだけで、何も新しい達成していないことになるので、動かない体に鞭を打ってコースに戻る。
直後に国道1号から県道30号へと入り、初めて遊行寺の坂を下ってみる経験をする。これ8区だと15キロ付近に逆の上りがあると考えるとかなりエグいコースだなぁと、眠い頭で思いながら下る。

稲川淳二
サザン聴きたい

50キロ過ぎに茅ヶ崎市に入り、夜があけてきた。もうこの辺りに入ってくるとキロ8という最早走ってんのか歩いてるのか不明な速度に。
この辺りでまた着席し、やっぱりダウンを着ずに(これもダメ)夜明けの海岸ほどエモい時間はないよなぁと思いながら最後のソイジョイを口に含む。
ただオジサンもう脳が終わっているので、ソイジョイの封を開けておらず、ギザギザの切り口を食べる。その頭の終わり具合に笑う。ここで朝6時。徘徊老人でしかない。

オジサンからオジイサンへ

52キロで浜須賀の交差点へ。この辺りで太陽が登り始めて、早朝ランを楽しむランナーの人々が増えてきたように思える。
そんな中オジサンは浜須賀の交差点を越える大きめの歩道橋の上にある、これまた大きめなベンチで完全に寝る。不審者。

この後ここで寝る

10分ほどの休憩の後、行く方向を見て決意する。これは3区で終了です、と。だって明らかに遠くまで景色変わんねーんだもん。
この時点で両足の爪は全滅、右足の外側は着地の度に鈍痛。まずは60キロ地点まで、キロ8から9程度で、1キロ毎に休みながら牛歩する。
爽やかなサーファーを横目に、満身創痍のオジサン、悶えながら1キロ1キロ走る、蠢く。本当に「うぅ、うぅ」と唸りながら歩いててゴメンナサイ。8割ほど魂吐いてた。

60キロまで来て、最後に地図を確認。65キロが最後と分かり、61、62と数え始める。

なんかデブに見える

62キロあたりで湘南大橋へ。ここで7:40ごろ、ただ気温が既に10度と判明。直射日光も相まって汗が止まらず、体力が異常に削がれる。
が、正直後3キロと分かっていたので、63、64と進み、平塚中継所っぽい場所が見えて来てオジサンちょっと泣く。
ベソかきながら、平塚中継所到着。ここで8:15。

いい景色なのにオジサンで台無し
ほぼ8時間 寝たい

幻の4区

20分ほど平塚中継所の周りを見て感動しながら、みんなに応援ありがとう、3区までしか行けなかった、ヒヨりました、と連絡を送りながら、ふと帰りどうしたら良いか考えて、Google mapsで最寄駅が最寄ってなくて泣く。
大磯まで2キロ以上。。。平塚まで2キロ以上。。。

これ4区で良くね

泣いていても仕方ないのでとりあえずトボトボ大磯方面へ歩く。その間に大磯行きのバス停を発見。勝ったと思ったが、30分に一本、5分前に既に出てしまっていて放心状態。

8:35に撮った写真 8:30にバス出てた

オジサン諦めて、筋肉ほぐすためだと脳を騙しながら何とか2キロ散歩して大磯駅へ。
その後は藤沢で小田急に乗り換え、自宅へ。帰った時は既に10時半。

感想と反省

思いつきで行ける範囲ではないことは分かったが、足腰にダメージがあった状態でも65キロまで行けたことは収穫。

  • 気象条件:開始時は6度無風だったのでこちらは完璧。ただ休憩時に体温調節を全くしなかったことは反省点。朝になって10度を早めに超えてしまったことは想定外、恐らく帽子かサングラスがあった方が良い。

  • 補給食:おおよそ10キロに対して1000kcalほどは消費しているので、持っていった補給食では到底足りず。ウイダー200 * 6 + ソイジョイ 133 * 5 + まぜのっけ定食 662 = 2500 kcalぐらいしか摂っていない。恐らくpower gel系をメインにすべきだと思う。また腸腰筋あたりの痺れは恐らくミネラル系が相当足りていなかった(一歩間違うと脱水)と思うので、スポーツ羊羹などが必須かと思われる。

  • スピード:最終的にはキロ8以上かかっていた割に心拍数は160を超えていた。これは栄養が足りてない理由の方が大きい気がするが、キロ6ぐらいで安定して進められるようにしないと、区間毎に3時間以上かかって、フィジカルもメンタルもやられる。

  • 電池系:予備バッテリーは必須なのは間違いないが、Garmin forerunner 935が賞味10時間程度の使用で27%まで落ちてしまったのは想定外。945買うしかないのか、オジサンお金ない。それか早く走ればいいのか。

  • リカバリー:帰ってきてまず寒いからといって熱い風呂に長く浸かるのは脱水症状ウェルカムになるので、まずはスポドリでも何でもいいから補給してから。あと栄養が足りないのは分かるが、帰ってきて直後につけ麺3玉食べたらダメです。その後どうなったかはご想像にお任せします。

でもやっぱおいすぃ

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