平グモちゃん ~2015バレンタインsp~

多聞山城──

「智恵子は東京に空はないという! 智恵子抄より!
 チョコは戦国にありはしないという! 平グモ抄より!
 ……なんでよ! なんでチョコのひとつもないのよ!!」

 普段であれば松永久秀も愛妻平グモちゃん得意の唐突な雄叫びに耳も貸すが、三好三人衆に攻められ本城信貴山城を失い、今いる多聞山城も防衛で手一杯という状況での軍議中だけに、なだめもすかしもしている余裕はない。

 平グモちゃんは何の反応もしない久秀に腹を立て、後ろから近づくと久秀の頭頂部を瓜の中身を確かめんばかりに叩いた。

「あーあー! 聞こえますかー! マクフラーイっ!!」

「聞こえてるよ」

 いくら愛してやまない妻とはいえ、さすがに忌々しげな語気となり、噛んで含めて飲み込ませるように答えた。

「今、どういう状況か、分かるよね」

「今日がバレンタインデーってことだよね! ちゃんと分かってるよ!
 だから逆チョコちょーだい!」

 意味の分からない言葉を並べ立てられた久秀が苛立ちのあまり俯いてしまうのに対し、軍議に参列していた高山右近は満面の笑みで声をあげた。

「平グモ様も耶蘇教の聖人バレンタイン殿のご命日をご存じでしたか!
 これぞまさに神の御意思! ハレルヤ! ハレルヤーっ!!」

「逆チョコもらえたらもっとハレルヤ~♪」

「二人とも、少し静かにしてくれ。 三好と筒井、
 合わせて何万という兵に囲まれてハレルヤどころではないんだ」

「いや久秀殿」

 と身を乗り出したのは右近の父高山友照である。

「これはハレルヤかも知れませぬぞ?」

「親子揃って……やめてくれないか」

「三好勢には切支丹も多いゆえ、
 バレンタイン殿の命日を弔うために休戦しようと申し入れれば
 松永家の命脈も延びましょう」

「一日二日休戦したところで我が方の劣勢は覆らない。
 休戦を破って不意打ちするにしても
 相手の大将は三人衆と筒井で合わせて四つ。
 一撃で四人を葬るのは到底かなわぬ」

「じゃあバレンタインはなしなの!? ってことはチョコもなし!?」

 平グモちゃんが涙目で食ってかかると、久秀も無碍にあしらえない。

「その千代子だか智恵子だかとは……いったい何なんだよ」

「黒というか焦げ茶というか、まあそんな色で
 食べるとおいしいお菓子だよ♪」

 これを聞いた柳生石舟斎が膝を叩いた。

「松永様、拙者、心当たりがある由」

「用意できるんですか?」

「御意」

 中座した石舟斎は四半刻と立たずに戻ってきた。
 平グモちゃんは茄子たんを久秀に預けると石舟斎へ駆け寄る。  

「柳生! チョコ持って来た!?」

 石舟斎は務めて冷静な表情で、

「これでございましょう」

 懐から笹の葉にくるまれた塊を取り出し、平グモちゃんに手渡す。

「どれどれ~♪」

 嬉々として笹の葉をめくる平グモちゃん。中が見えた途端、

「ばっかじゃないのーー!!」

 一転して鬼の形相となる。

「これ! おはぎだよね! お! は! ぎ!
 チョコっていわないよね!!」

「黒くて甘いお菓子にて」

「だーかーらー! 黒くて甘けりゃなんでもいーわけじゃないでしょ!
 まさかあれ!? 馬糞に黒砂糖まぶしたらチョコになるっつーの!?」

「馬糞は菓子にあらず。よって──」

「いいわけはいらない!」

 平グモちゃんは二つのおはぎを頬張りながら、

「ったく! 柳生はつかえねーなー!」

 捨て台詞を残して茄子たんのところへ戻る。

 妻のあまりの言い様を見かねた久秀が石舟斎に声を掛けた。

「柳生殿、気にすることはない。おそらく羊羹のことだったんだ」

「なるほど」

「羊羹でもないし! なるほどでもなーい!!」

 怒鳴り散らす平グモちゃん。

 しかし茄子たんは我関せずとばかりに、

「きゃっきゃ♪」

 愛らしい声をあげて床に広げられた地図の上を転がり始める。そして四つん這いになると、手で地図を叩き始めた。

「なーなー♪」

「マリア様、あまり乱暴なされると地図が破れてしまいますぞ♪」

 起ち上がりかけた友照を止めたのは久秀。そして平グモちゃん。

『なるほどっ! その手があったかーっ!』

 茄子たんは両親の反応に気をよくしてか、しきりに地図の“堺”と記された場所を叩くのであった。


堺──

 堺は海路における京の出入り口として当代随一の商業都市規模を誇り、三好三人衆にとっては領内における最大の経済基盤である。

 久秀は三好家とバレンタイン休戦を結ぶと大和盆地南部を制する敵の目を盗み、兵の半数を北回りで堺に移動させ休戦が失効すると共に進軍を開始。
 そもそも堺は商業に聡い久秀に協力的で、また三人衆も大半の兵を多聞山城攻めに投入していたために難なく制圧に成功した。

 友照が周囲の偵察から戻る頃には右近も堺の巡視を終え、揃って久秀の許へ向かう。

 久秀は顕本寺に陣取り、堺の商人を取り仕切る会合衆と面談をしていた。

「辺り一帯、三好の兵は影も形も見えませんぞ」

「堺の町も同様、壕の内に敵はおりませんでした。今の内に──」

 いいかけた右近を手で制した久秀は会合衆へ、

「堺に陣を布いて三人衆を迎え撃つ気はないので安心していただきたい」

 と頷いてみせた。すると友照が問う。

「では、いかがします」

 三人衆は久秀による堺制圧を知れば南周りで戻って来るであろう。これに対して北周りで多聞山城へ戻るか、堺の壕を利用して迎え撃つか、あるいは南周りで三好軍と激突するか。

 北回りで戻るのが最も危険の少ない手段であるが、いずれ多勢の三好軍と決戦にいたる以上、あえて南周りで大和入りして移動を急ぐ三好軍の混乱を突くのも手である。

 友照からみれば、堺で敵に一撃を加えたのちに北回りで戻るのが最善と思われたが、久秀は堺に戦禍が及ぶのを嫌っているらしい。

 多聞山城に残っているのは岡国高、楠正虎、土岐頼次、奥田忠高と実直な戦ぶりの者たちで早々に落城はしないはずである。だからといって多聞山城から南周りで移動しているであろう三好軍の背後を突くような働きは期待できない。三好軍の背後は大和国の豪族である筒井軍が守るからだ。

 どうしたものかと考えている余裕もない。行動が遅れればそれだけ三好の先鋒に不意を突かれる可能性が高まる。

「よし。では──」

 久秀がいいかけたときである。

 ドカドカと踏み込んできた平グモちゃんが久秀の首根っこを捕まえて外へ引きずり出した。

「な、なに!? いま軍議──」

「久ちゃん! 準備完了だよ!」

「準備? なんの?」

「来ればわかるよ!!」

「や、だから軍議がね?」

「来ればわかるさ! 迷わず来いよ! いち! にー! さ──」

「はいはい。行くよ。行きますよ」

 久秀はこのまま話し合っていても解決しないと気づき大人しく付き合うことにしたが、なぜか平グモちゃんは急に不満顔になり、久秀が「どうしたの? ねえ?」といくら声を掛けてもそっぽを向いたまま船着き場までやってくる。

 久秀は艀に立たされ、背を押されとされるがままに南蛮船の甲板に立つ。迎えたのは石舟斎であった。

「準備は整っておりますゆえ、いつでも」

「いつでも……なに!? 何するの!?」

 答える平グモちゃんはすでに笑顔に変わっている。

「決まってるでしょ! ニューヨークへ……行きたいかーーっ!」

「え!? 入浴っ!?」

 とまどう久秀を無視して、『おーっ!』と応えたのは女の声。

「來栖殿? ……と誰?」

 南蛮人宣教師の來栖が右の拳を高々と掲げている。他にもケバケバしい衣服の女もいる。

 さらに、桟橋からは聞き慣れた声。

「久秀さーーん! お姉ちゃーーーん!! 元気でねーーー!!」

「楽ちゃん!?」

 久秀は縁に駆けつけると、手を振る楽ちゃんが見えた。

 平グモちゃんも久秀の隣に来て楽ちゃんへ手を振る。

「お土産たのしみにしててねーーっ!」

「うーーんっ!!」

 やっと久秀にも状況が飲み込めてきた。

「……どこかへ行く気なんだね」

「チョコがないならカカオを取りに行けばいいじゃない♪
                    by ヒラー・グモントワネット
 ってことでアメリカいくよ!」

「あめりあ? どこ?」

「金銀財宝が山ほどあるトコらしいわよ♪」

 答えたのはケバケバしい女。さらに來栖が続ける。

「アメリカ ハ 未開 デス。布教 モ 刈リ取リ放題 デス」

「まさか……南蛮人も行ったことのないところに
 行こうとしてるんじゃないよね」

 久秀がいぶかしげに平グモちゃんを見ると、満面の笑顔で人差し指を突きつけられる。

「正解! そのまさかだよ! ついでに……海賊王に、あたしはなる!」

 すると傍らにあった大きな木樽がドンドンとけたたましい音を立て始めた。

「今度は何!?」

「あー。忘れてた。チョーケー君の娘さん、押し込んでたんだった」

「なんでそんなことすんの!! お曜殿! 大丈夫ですか!?」

 慌てて樽をこじ開ける久秀の背に平グモちゃんは平然と答える。

「だってー。
 海賊とか向こうの原住民と取引するときさー、
 取引材料が色々あったほうがいいじゃーん」

 チラチラとケバケバしい女を見る平グモちゃんだが、女は女で平グモちゃんの真意には気づかず、

「そうよねぇ。やっぱりどこででも通用する取引材料は必要よねえ」

 と、うそぶいている。

 お曜様は樽から助け出されると自身の状況も忘れ、

「いま誰か、王になるぞと申したな? ならば私も力を貸すぞ」

 埃を払いながらほくそ笑む。

「よし! みんな納得してくれたみたいだからアメリカへ向けて……
 しゅっぱーーつ!!」

「いやいやいや! 茄子たん、顕本寺においてきたままだし!」

「あ……」

 さすが平グモちゃんも愛娘のことだけに顔が険しくなった。ところがすぐに立ち直るのがいいところである。

「楽ちゃーーん!
 あたしたちが帰ってくるまで茄子たんよろしくねーーっ!」

「はーーいっ! 任せてーーーっ!!」

「これで、よし! じゃあ久ちゃん、行くよ!」

「よくないし! 行かないし!」

 久秀は縁に片足を掛け、勢いよく海へと飛び出した。しかし宙に浮いた身体はすぐ平グモちゃんに襟首を掴まれ船へと引き戻される。

「久ちゃん……茄子たんを信じてあげよ?
 あたしと久ちゃんの子供だよ?
 きっと……きっと大丈夫」

 寂しげに微笑まれるとほんの一瞬、むしろ瞬きをするよりはるかに短い間だけ「茄子たんなら……」と考えてしまう久秀。

 しかし当然、

「って、信じるも何も茄子たんのところへ戻ればいいだけだっ!」

 我に返って船から飛び降りようとする久秀であったが、取り押さえられ荒縄でグルグル巻にされ樽に押し込められてしまう。

 平グモちゃんは潮風を浴びながら、

「いざ行かん! 大海原へ!」

 東の空を指差すのであった。



 ──来年へ続く!

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