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東北の表現「ガソリンを詰める」は間違いなのか!?

 現在僕が暮らす山形県では、ガソリンスタンドで車にガソリンを入れることを、「ガソリンを詰める」と表現します。これは東北全般でだいたいそうですし、北海道でもそうらしいです。でもこれは、関東以西では言わないですよね。標準語的には、ガソリンは「入れる」です。

 昨日、Facebookのタイムラインで山形県人のこんな投稿を見ました。「(山形県内のテレビかラジオで)アナウンサーの方が『ガソリンを詰める」という表現を山形で初めて聞いた』と話していて、『そうか、ガソリンは詰めるじゃないんだ。詰める、なんてもう恥ずかしくて言えないな』という内容です。

これに関してはラジオでも何度か話したことなのですが、よく言われることなので文章にまとめてみました。その方のコメント欄に入れようと思って書き始めたのですが、長くなってしまったので自分のNOTEに投稿にします。言語を問わず、「動詞の使い方」には共通点があり、当たり前ですがそれは「動作を表現している(動作が先にある)んだなぁ」というお話です。

 標準語では「ガソリンを入れる」と表現しますが、動詞の使い方としては、「ガソリンを詰める」が正しいのです。「入れる」は、英語ではput into〜という風に表現しますが、これは「○○の中に、何かを入れる」というニュアンスですね。例えば、「その箱に、ガラスの玉を入れる」を英語で表現すると、「Put a glass ball in the box」となります。これは、その箱の空間の中で「ガラスの玉がカランコロンと転がっている」ようなイメージですね。「入れもの」と「中に入るもの」の間に空間があるイメージです。では、「その箱の中が、ガラスの玉でビッシリと満たされているように」するにはどうすれば良いでしょうか?

 まず英語で表現すると、「Fill the box with a glass ball」になります。この状態を作るための動作を英語で表現すると、「Fill the box with a glass ball」となり、日本語に訳すと「その箱の中に、ガラスの玉をビッシリと詰める」となります。ここで「詰める」が登場するわけです。fill=詰める、というニュアンスですね。なので、「ガソリンを入れる」というと、「液体であるガソリンで、タンクが満たされてる」というニュアンスが表現出来ていないことになります。明治時代に学者が机の上で作った「標準語」には、「動作感」が乏しいのです。

 同じようなニュアンスに、東北〜北海道で使われる「車を引っ張る」があります。これは英語でもそうだったのです。ヘンリーフォードが自動車を発明するまでは、「車」というものは、馬車や荷車など「引っ張る」ものだったからです。フォード以前の人は、「自動車」というと、「動く馬や人」を作るろうとしていたのですね。「車を引っ張る機械」を作ろうとしていたわけです。ヘンリーフォードが画期的だったのは、「だったら、車輪そのものを動かしてしまえばいいじゃないか!」と発想したからなのですね。なので、英語には車の運転や操作に関して「Pull(引っ張る)」を使った表現が山ほどあるのです。

例:We pulled off for a gas stop.(給油のために止まった)
I got pulled over for speeding.(スピード違反で止められた)
I got pull my car to the side of the road (道のわきへ車を寄せた)

 現在の標準語は、明治政府が、全国で通じる「共通語」を、当時の東京言葉をベースにして、学者たちに作らせたものが元になっていると言われています。ですので、野良仕事などの「体を使った動作の表現」に乏しいのですね。町言葉をベースに、「馬車を引っ張った」ことなどない学者が机の上で構成しているからです。

 一方で、英語も時代ともに変化しているとはいえ、明治維新のような劇的な変化はないので、農作業などの動作に基づいた古い表現が残っているのです。「車を引っ張る」「ガソリンを詰める」に関して、現在東京で、自家用車を所有している世帯はなんと「36.9%」(2019年)です。一方山形県は、自家用車の所有台数は一世帯あたり平均、「2.23台」(2019年)です。東京では、ほとんどがエアコンで、灯油を使っている世帯はごくわずかでしょうから(東京では、ほとんどのアパート、マンションで石油ストーブ類は禁止されていますしね)、日常的に「車を運転する」「ガソリンや灯油を扱う」ことがないので、「ガソリンを入れる」よりも「ガソリンを詰める(充填する)」という感覚を感じることはないのですね。

 以上のことから、「ガソリンを詰める」が間違いでもないし、恥ずかしい使い方でもないのです。「ガソリンを詰める」も「車を引っ張る」も、東北全域〜北海道で広く使われている表現です。明治以降の「標準語政策」は、今盛んに言われている「ダイバーシティ(多様性)」とは逆行するものです。「共通語(標準語)こそが、正しいのだ」というような風潮には、そろそろオラだも自信と誇りを持って、抵抗して★んがんなねな★んねがいっ!?(抵抗していかなければならないんじゃね?!?)


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