クロスドミナンス

私はよく自分の利き手について聞かれることがある。
授業中にノートを取っている時や職場でメモを取る時、友達や新人さんからは「左利きなの?」。
同僚の人とご飯を食べている時は「あれ?左利きじゃなかったの?」。

というのも、ペンを持つ方は左手で、箸を持つ方は右手。トリッキーな利き手なのである。

両利きかと問われれば、そこまで器用な訳ではなく。
左利きかと問われれば、全部が全部左手という訳でもない。
右利きかと問われたら、それだけは断然に違うと言い切れる。

このような利き手のことをクロスドミナンスと呼ぶそうだ。日本語で言うと交互利き。どちらも聞き慣れない言葉である。

思いつく限り、こういう時はこの手の方を使うなぁというのを挙げてみる。
使おうと思えば使えるというのは省いて、でも同じ頻度で使っていて決めかねるものは両手でできることに当てはめてみよう。

両手でできること
・スマホの操作
・マウスの操作
・ラケットを使う(卓球限定)
・歯ブラシを使う
・包丁を使う
・習字で筆を使う時

右手でできること
・箸やスプーンを使う
・はさみを使う
・消しゴムを使う
・ドライヤーを持つ
・財布からお金を出す時
・改札通る時にICカードをかざす
・急須でお茶を淹れる

左手でできること
・ペンを使う
・絵の具の筆を使う時
・ラケットを使う(卓球以外)
・ボールを投げる
・ペットボトルを持つ
・鍵を開け閉めする時
・傘を持つ
・コンタクトを付け外しする時

卓球のラケットについては、昔お遊びでやっていたら右手の方も使い熟せるようになった感じだ。でもバドミントンとかの場合は右手では遠くまで飛ばせないので、あくまでも卓球限定になる。
スポーツはサウスポー有利と言われるが、私に優れた運動神経が備わっていればきっと将来は変わっていたのだろう。

習字の筆に関しては、厳密に言うとどちらの手で書いても下手なので利き手の問題ではない。
最初に小学校で習字を教えられた時は矯正させるという面もあり、当時の先生に右手で書かされた。普段文字を書いているのは左のため、筆圧やバランスをとるのが難しくて、止め・跳ね・はらうなんて何一つ綺麗にできなかった。学年が上がって先生が変わり、今度は左手で書いてもいいと言われたが、基本を右で教えられたため、いざ左で書いてもチグハグな文字が出来上がるだけである。
また、左下に自分の名前を書く時、画数が多いが故に、線と線が滲んで潰れてしまい、せっかく綺麗に書けた作品が台無しになったことも数知れない。その度に自分の名前が嫌いになったし、今でも筆ペンや毛筆は苦手どころか大嫌いである。

思えば、この習字以外については特に何も矯正されたことはなかった。
親も祖父母も兄弟もいい加減というか、そういうことには放任的で、左を使うことには一切何も言わなかった。時代が違えば直させられたのかもしれないが、ゴーイングマイウェイを地でいく家族なので、例え何十年前に生まれたとしても変わらずに左を使い続けられたのかもしれない。

日常を送る上では別段不自由もなく問題もないクロスドミナンス。だけど、時々「あれ?これってどっちの手だっけ?」とわからなくなることもある。
最近ではワクチンを打つ時、打った方の腕が痛みで動かし辛いと聞いて、どちらの腕を犠牲にするかすごく悩んだ。日常生活を取るなら右手を残すし、比較的使う頻度が高いのは左手の方だし…利き手が決まっていれば、こんなことで悩んでお医者さんに相談することもなかっただろう。
正直、中途半端だなぁって思う。

それでも、私はクロスドミナンスで良かった。
言葉の格好良い響きは勿論、今の時代では1つの個性として捉えることもできる。
それに右利き用の器具だって使い熟せるのだ。左利き専用の物も増えてきたが、まだまだ右利き用に考えられた物は多い。襖のような引き戸も、駅の改札も、自販機の硬貨投入口も、会社備え付けのパソコンも、右手優位なものはまだ残っている。左利きだったら不自由だったかもしれないことをストレスなく使えるのである。
ポジティブに考えれば、鍛えようによっては両利きになれる可能性もあるのだ。中途半端なものを完全にすることだって、やり方次第では実現できる。

あまり知られていないクロスドミナンス。
響きが格好良いクロスドミナンス。
無限の可能性を秘めたクロスドミナンス。

もっとクロスドミナンスという言葉が周知されますように。

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