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【独立リーグ】来季のNPB入りへ 元琉球・二宮衣沙貴投手が沖縄で得たもの

11月9日。ルートインBCリーグはドラフト会議を行い、指名選手並びに特別合格選手を発表。そこには今年、沖縄の地でNPB入りを目指し、自らを磨いていた選手たちの、見慣れた名前があった。

茨城アストロプラネッツの特別合格を受けた二宮衣沙貴投手もその一人だ。名城大学出身の23歳。昨年のドラフト候補にも名前が上がっていた右腕だった。

「大学のリーグ戦で注目をしていただいたのですが、10月に肘を痛めてしまって。無理をして投げていたらパンクしてしまったんです」

当時をそう振り返る二宮。NPBスカウトの視界に入り、ようやくアピールできる場を得られた矢先に襲った肘痛。悔しさも大きかっただろう。しかし、治療の甲斐あって、現在は投げられる段階まで回復。再度NPB入りを目指すべく、新たに選んだ場所が沖縄だった。チーム選びのきっかけは、大学時代に指導を受けていた山内壮馬氏と、琉球・勝崎耕世コーチの中日時代からのつながりが大きかった。

今年4月にチームへ合流したものの、自身の状態とチームスケジュールの関係で、なかなかしっかりと実戦で長いイニングを投げる機会はなかった。ようやく実現したのが8月の九州遠征。9日の九州アジアリーグ・大分戦で、初先発を任されるとストレートの最速は147キロを計測。しかし6回に捕まり5失点で降板と、二宮自身にとって、納得のいく内容ではなかった。

2戦目の登板は15日に行われた沖縄での主催試合。同じ大分を相手に、球速は140前半だったが、マスクをかぶった佐久田が「ベース盤上で力強さを感じる」と評したストレートで、6回を4安打無失点。力の違いを感じさせる投球内容だった。

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その後、チーム内でのコロナ感染拡大もあって、この試合を最後にチーム活動は休止になった。

「本当に何もしなかったですね。トレーニング施設も使えない状態でしたし、チームメートもコロナにかかってしまったので。室内でインナーマッスルを鍛えるとか、それくらいしかできなかったですね」

休止期間中は、必然的に考える時間も多くなった。

「逆に言えば、いい経験ができたかな。この歳でこんなことを味わうことはないと思う。いろいろと思うことはありましたが、言ったところで変わらない。逆にプラスに捉えて、本当にポジティブに。前向きに考えるようになりました」

昨年も琉球の選手たちは、厳しい環境に見舞われた。今年も厳しい状況が続く中ではあったが、遠征試合を増やし、選手たちのアピールの場を広げていた。その最中での活動休止に、いろんな思いが交錯しただろう。しかし、持ち前のポジティブ思考で気持ちを切り替えた。そこへBCリーグ・茨城アストロプラネッツへの派遣が決まった。

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「去年はケガをして無理でしたが、今年は勝負を掛けたかったので、試合ができる環境があったのはよかったです。ただ、試合を作ることはできたが、上のレベルでやるためには、まだまだ力不足だと感じました」

2試合で先発ではいずれも好投。それでも感じた力不足とは、なんだったのか。

「やはり、一番わかりやすいのは球速表示だと思います。球質も大事だと思いますが、球速表示は誰もがひと目でわかるもの。ストレートのアベレージ(平均)が去年より出ていないので、そこは準備段階の時間が足りなかったのかなと、つくづく思いました」

武器は150キロに迫るストレート。しかし、先発4試合の平均球速は140キロ前半に止まった。思うような成長曲線を描けない歯痒さが残ったシーズン。NPB入りを目指して選んだ沖縄の地で、得られたものはあったのだろうか。

「元NPB選手の方と一緒に野球ができた。教えていただくことはあっても、一緒にプレーするということはなかったので、それは大きかったですね。亀澤(恭平)さん、杉山(翔大)さん、(松尾)大河選手。やはり1回プロ(NPB)の世界を味わっているのでだけあって、考え方は僕たちと違うなと思いました。プレーをしていろいろなことを教えてもらったり、わからないことはすぐに聞いて試したり、そういうことができたので、やはりいい経験ができました」

特に捕手として、ボールを受けてもらった杉山からは多くのことを学んだという。

「配球面に関して、なんでここで変化球を投げたのかという意図を明確に持っていました。『この場面で、本当はまっすぐで押せるんだけれども、このカウントでカーブを投げられるか確認したかった』とか、このバッターは絶対にまっすぐで抑えられると思ったところで、カーブだったり。そういう意図の配球は今まで出会ってこなかったです。先を見据えてではないですが、そういうところはすごいなと思いましたし、とても勉強になりました」

琉球球団でコーチデビューとなった寺原隼人(現・福岡北九州フェニックス投手コーチ)からは、投手としての心得を説かれた。

「『2ストライクから打たれることほど、投手にとってもったいないものはない』と、強く言われました。誰もが思うことだと思いますが、2ストライクをとってからは、ストライクからボールになる変化球。そこを意識して投げるようになりました」

さらに球速アップについても指導を受けた。

「寺原さんには、結構まっすぐのことを聞きました。体幹の使い方が大事だということで、身振り手振りで教えていただいたり、トレーニングメニューの内容を聞いて、一緒にトレーニングさせてもらいました。その内容はだいぶキツかったですし、ダンベルの重さも全然違う。それをこなせる体にしないと150キロを超えないんだなということを、強く感じました」

NPBという目指す舞台の高さを、見て、聞いて、体で感じることができた1年間。すべてが思い通りというわけではなかったと思うが、二宮の今後の野球人生にとって、きっと大きな財産になってくることだろう。

「時間がない中ではありましたが、この短期間で試合で勝負できるところまで、戻すことができたのは自信になったかなと思います。ただ、僕が目指しているものはNPBなので、そのレベルで勝つ投手になるのは、今のままでは厳しいと思う。そのためには、もっとレベルと上げていきたい」

今年は届かなかったNPBという頂。その高みを目指すための新たな場所は決まった。この1年の経験を財産に、来季の今頃、茨城から大きく羽ばたく姿が見られることを願わずにいられない。

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