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【FM店主日記Day29】アジア人男性とモテないスパイラル、そして変わりゆくアメリカ社会

アジア系の男性はモテない、というのが一昔前のアメリカでは定説だった。

ロマンティックな関係性の対象となるかどうか、というのは出会った瞬間に決まる、みたいな話はよく聞くけれど、つまりこれはロマンティックな関係性の対象ではない、と判断される場合も出会った瞬間に決まるわけであり、その判断が覆ることはなかなかない、というのも肌感覚として多くの人が知っていることだろうと思う。

出会った瞬間に決まるのであれば、出会う瞬間を先送りにできるマッチングアプリの場合ならそうではないのかと思いきや、そもそも対象だと思っていない人とはマッチしないわけであり、出会う瞬間は永久に訪れないことの方が多い。そして、マッチングアプリのアルゴリズムはそのユーザーの傾向を読み取り、マッチしない相手の提案をやめるように遅かれ早かれ指示を出すため、そもそも候補に上がることすらなくなってしまう。

そういう意味ではマッチングアプリで起きていることとリアルで起きていることを比較すると、むしろマッチングアプリ上で起きていることの方が傾向を数倍強くしたような極端な結果が出てしまうかもしれない。こうしてアジア人男性は長い間、この最悪なモテないスパイラルから抜け出せないでいた。

問題は、モテない、というだけではない。もしもあなたがアジア系の男性で、30年前のアメリカで俳優を目指したのであれば、もらえる役はかなり限定的だったことだろう。中華料理屋の店員やらアジアマーケットで働く人、工場で働く移民の役、その他一般的なアメリカ人から見た偏見的なアジア人の姿を演じる以外の仕事にはなかなかありつけなかったはずだ。

それが最近は少しずつ変化してきているらしい、というニューヨークタイムズの記事を読んだ。これは、アジア人のコミュニティが着実にアメリカの国の一部として認められてきた、という意味もあれば、イチロー選手や大谷翔平選手などのアジア系スター選手の存在、韓国ドラマや韓国映画、BTSなどのアジア系エンターテイメントの世界進出などによりアジア系男性に向けられる視点そのものが変化してきた、という意味もあるように思う。

たしかに最近になって、NetflixやAmazon Prime Videoなどでもアジア人を主人公とした作品が増え始めた。何も知らずにアメリカの映画を再生してみるとアジア人コミュニティを舞台とした作品だった、ということなんてかつてはなかったし、アジア人男性が白人女性と恋に落ちるようなラブストーリーなんて全くなかったし、アジア人のコメディアンでテレビに出ているような人もかつてはいなかった。アジア人が主人公の映画といえば、ブルース・リーとかジャッキー・チェンとかで、この場合の男性キャラは恋愛対象とは疎遠なタッチで描かれることが多かったし、日常とかけ離れたシチュエーションのストーリーになっていることが常だった。そういう意味では、当時のアジア人男性は、アメリカ国内に自分の具体的な目標となるような人物像を見つけるのは難しかったのではないだろうか。

そんな中で、ジミー・O・ヤンのスタンドアップショーが注目されたり、ラブハードのような恋愛映画に出演したというのはかなりのブレイクスルーだった印象があるし、アメリカ生まれではない彼が活躍しているのを陰ながら実は結構応援していたりする。(彼は香港生まれで13歳でアメリカに移住。)

あと、ニューヨークタイムズの記事のリンクを開くと、Listen to this articleというボタンが最近は出現していて、英語の記事は長いので途中で読むのがたいていは面倒になるし、英語の記事は密度が逆三角形になっていて、最初の四分の一くらい読めば記事の大まかな話はわかり、後半以降はより詳しい話、というかマイナーな補足のことが多いので、離脱してしまうことが多いのだけれど、音声で勝手に流れてくれるのであれば散歩中や運転中にも聞けるので結構便利なことに最近気がついたのでそれもついでここに書いておこうかと。文章を確認することもできるので英語学習にもかなり良い機能。

ま、そんなわけで、10代でアメリカに引っ越した経験があり、当時の状況を知るアジア人男性の一人として、ジミー・O・ヤンの今後の活躍を期待している。あと、アリ・ウォンとかも好きだな。キアヌ・リーブスの無駄遣いが印象的だったアリ・ウォン主演の「いつかはマイ・ベイビー」っていうアジア人コミュニティで育った幼馴染の二人の関係性を描いた映画とか、ヒジョウニザンネンナオトコっていう非常に残念な邦題が付けられている「Shortcomings」って映画もオススメです。

フェルマータ店主 KAORU



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