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【FM店主日記Day40】「死なないこと」と「生きていること」は同じではない

わざわざカミングアウトするようなことではないけれど自分はとてもお金持ちと呼べるような身分の人間ではない。

お金持ちだったこともないし、これからお金持ちになる予定も特に今のところない。そもそもその野望がない。なぜ人はお金持ちになりたいと思うのかもあまりうまく理解できないし、高級な車をしかも新車で買ったとか、貴重な腕時計を手に入れたとか、はたまたタワーマンションで暮らしているとか、本当にどうでもいいし、一ミリも羨ましいと思わない。

車や腕時計なら割と簡単に換金できるので、もらってもそんなに嫌ではないけど、高い車に乗ってぶつけたりぶつけられたり盗まれたりするような可能性を常に感じながら生きることとか、高速のサービスエリアのトイレにうっかり置き忘れたり、なんなら中米あたりでは腕ごと切り落とされるリスクがある高級腕時計を欲しいと思わないし、そもそも腕時計が好きではないのであんな重たいものを腕につけて一日中過ごすなんてお金もらってもイヤである。

タワーマンションに至っては、あんな生物の本能に反した住居環境で暮らすなんて脳みそが湧いてるとしか思えないなぁ、と常日頃から思っている。大学の頃に寮の十七階だか十四階だかかなり高い所で暮らしたことがあったのだけど「なかなかエレベーターが来ない」というストレスは耐え難いものがあったし、一階まで降りて忘れ物に気付いたり、雨が降っていたりしたときのイライラ感は今思い出しても理不尽なものがある。高層階と雪が積もるところでは今後暮らしたくない。

人がなぜお金持ちになりたいのか?について考えてみると、人よりすごいと思われたい、みたいな気持ちがあると思うのだけど、自分はこう見えてそんなに人の上に立ちたいとか、チヤホヤされたいとか、人より自分の方が優れていることをできるだけ多くの人に認められたいとか思っていないし、目立つことは得することよりも損することの方が特に日本社会では多いように思うし、特にいわきではそれが他の場所よりも顕著な気がするので、できるだけ目立つことなんかしたくないと思って生きているし、初めて会う人には見下されるくらいがちょうどいいと思っているので、吾輩はお金持ちである、みたいな名刺を持ったりするのもイヤだし、お金目当てで寄ってくるであろう人たちと関わるのもまっぴらごめんだし、基本は短パンにビーサンでいつまでも暮らしていたいので権力もお金も要らないけれど、その代わり理不尽な人間関係とか無駄でしかない作業とか効率の悪い話し合いとか言いがかりでしかない議論とかそういう類のストレス要因ともできるだけ距離を置いて、それなりに価値観が合う人たちと一緒に笑って暮らしたいと思っている。しがらみにがんじがらめになってしまうのは息をしていないのも同じだ。「死なないこと」と「生きていること」は同じではない。LIVE FREE OR DIE。自由に生きる、さもなくば死を。思春期の頃に意味も分からずに眺めていたニューハンプシャー州のナンバープレートに書かれた言葉が今頃になって妙に胸に沁みる。

ニューハンプシャー州のナンバープレート | nhpr

フェルマータ店主 KAORU

what goes around comes around.

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