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患者中心の医療の方法

原著第3版を読んでのメモ、感想まとめです。(引用にページ数のみ記載のものは第3版からの引用です。)

家庭医療や総合診療の勉強を始めると、おそらくかなり初期に触れるキーワードの一つが「患者中心の医療」だと思います。

言葉を聞いただけだと、「患者のことを第一に考える」「患者の希望を聞くこと」などの診療に対する姿勢や主義のように捉えられがちなように思いますが、「患者中心の医療の方法(Patient-Centered Clinical Method; 以下 PCCM)」は英題の”Transforming the Clinical Method”でも表現されているように科学的な手法として研究されているものです。

「かきかえ」(か:感情、き:期待、か:解釈、え:影響)を確認する、といったところからわからないなりにスタートして、今改めて改訂された図を見渡してみると「診療の道標」として本当によく考えられた内容だなと思います。

学び始めた頃は「大事なもの」として受け止めてはいたものの、なぜPCCMが誕生したのか、そういったところまでは考えずに過ごしていましたが、今回第3版を読んで非常に納得しました。

”身体は神経、筋肉、血管、血液、そして皮膚で構成され作られている機械なので、その中に精神が全くなくても、身体は同じ機能をもつことを止めようとしない(ルネ・デカルト, 人間論)” に代表されるようなデカルト の身体機械論をベースに現在の高度な、そして細分化された医学・生物学知識は発展してきました。様々な症状や訴えは疾患というカテゴリーに分類され、それぞれの分類毎に専門家が対応していくようになりました。

”疾患というカテゴリーは抽象化であり、一般化のために、患者の主観的な経験を含めた病気の多くの特徴を除外しました(p33)”

本当に、臓器を並べただけでそれは特定の個人たり得るのか?という問いには多くの人が「No」と答えてくれるのではないかと思います。私たち、それぞれは複雑なシステムを持つ有機体であり、その複雑性を扱うことを可能にしようとしているのがPCCMなのです。BPSモデル(Engel, 1977)も近代医療の方法に対する批判から生み出されました。

もちろん抽象化を全て否定するものではなく、”私たちに必要なことは、抽象化を進めることではなく、むしろ必要な抽象化が具体的な経験によって均衡が得られる教育(p43)”であるとの記載があります。

PCCMの構成要素を見ていただくとわかると思いますが、患者自身の個別的な経験、背景を探り(構成要素①:健康、疾患、病気の経験を探る、構成要素②:全人的に理解する)ながら医療専門職としてある程度の抽象化・ラベリングを行うことで統合された理解を得て、医師・患者間で共通の理解基盤(構成要素③)を見出す、この過程が描かれています。

抽象化と複雑性を行きつもどりつできる柔軟性が現在の診療には求められているのではないかと思います。

個人的に理解不十分であったなと思ったのは、構成要素③の「共通の理解基盤を見出す」において、問題を定義し、ゴールを設定し、そして「患者と臨床家の役割を定義する」という部分です。慢性疾患の患者さんに向き合う時は、お互いが設定したゴールに向けてどんな役割を果たすのかまでを話し合うことを意識していきたいと思います。

共通の理解基盤を見出すことは良好な患者アウトカムと関連していることも研究報告されています(Stewart, 2000. Tudiver, 2001)。一方で、医者が「患者がマネジメント計画を遵守しない」という時は、”治療のゴール設定に対する患者の不一致の表現であるかもしれ(p139)”ないことは心に留める必要があるでしょう。

そして、これらの共通基盤を見出すに至るプロセスを経ることで患者医師関係が強化されケアの継続性に至るという点、患者との関係を気づいて行く上では臨床家自身も転移・逆転移をはじめとした「自分自身に対する洞察・省察」をして行く必要があることも本書には記載されています。

このPCCMを実践して行くために、BPSモデル、長期的な全人的関係に基づくケア、統合されたケア、家族志向性ケア、地域アプローチ、動機づけ面接、プロフェッショナリズム 、EBMといったおよそ総合診療・家庭医にとってのコアな領域に習熟して行くことが必要なのだなと改めて認識しました。

かなりのページを割いて、PCCMを応用した「学習者中心の教育」「保健医療のコンテクストにおけるチーム医療」についても記載あり、「医者・患者」を「指導者・学習者」「リーダー・チームメンバー」などに置き換えても応用の効く手法でもあるようです。

最後に、少し話はズレてしまいますが、先日有志で行った家庭医同士の振り返りの中で「医師が仮面を脱ぐ時」というようなテーマで話をしました。身近な人が病気になった時に、純粋に家族としてではなく、メタ視点で状況を分析してしまう自分がいいのかどうか・・・、仮面は脱げるのか?といった話だったと思いますが、本書の中の「医学教育における発達理論」の中で以下のような記述を見つけました。

”医療の専門職になるということは複雑で多面的な過程である。戻ることができない変容であり、なかったことにはできないものである。医師になる過程で自分自身をどう感じるか、そして自分を取り巻く世界とどう相互作用するかは、「医師」であることのアイデンティティをどう考えるかに永遠に影響される(p203)”

医師になる、というのが「変容」であるのならば、最初は「仮面」だったかもしれないものの素顔になっているのではないかという友人の捉え方はもっともな解釈なのかなと思った次第です。




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