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地元が育むべきものと、ソトモノがやれること

地方を生きる(小松理虔)、まちづくり幻想(木下斉)を読んでの感想雑記です。

今回で一周年になる読書会で取り上げる「まちづくり幻想」。

読書会1回目で扱った「新復興論」の小松さんの著書と、今回の課題本をあわせて読んでみました。

「まちづくり幻想」は長年、地域の商店街の運営に関わられてきた木下さんのコンサルト視点から、いわゆる「まちづくり」が何故失敗するのか考察されています。

その地域にすむ人が自分達で考えず、安易に「まちづくり」を外注する(多くは首都圏の会社)ことによる弊害は大きく、補助金や助成金に頼らなくても、地域の人たちが自分たちで回せる規模でのアクションを行なっていくことが遠回りに見えても魅力的な地域を作ることにつながっていく、という主旨と捉えました。

岩手県紫波町の事例のように、まちづくりに関わるWSを「外注」するのではなく、町職員が研修を受けて自分たちでWSをやれるようにしたというのは、時間はかかっても地域の地力を上げる取り組みだったのだろうなと思います。

いわゆる、地域を変えるには「ヨソモノ、ワカモノ、バカモノ」が必要という言葉がありますが、木下さんは本書の中でこれに否定的な立場をとられています。それは、そういう「外部」の人が来たとしてもうまく連携したり、協力していく準備がそもそもその地域に出来ていなければ結局は変わらない、という意味だと思います。

そういった意味で、木下さんの本は、どちらかというと「まちづくり」を考えている行政側、商店街側の方たち向けの本であるように思いました。

一方で、「地方を生きる」は、「ソトモノ」として自分の住む地域にどう関わっていくかについてのヒントを提供してくれています。

小松さんの、金銭面も含めたリアルな「地域事情」は非常に納得できる部分が多く、「晴耕雨読2.0」スタイル(ある程度の収入のある仕事を8時17時でしながら、好きなことは”趣味”としてそれ以外の時間を使って小さく実践を始める)はかなり実情に近いのではないかなと思います。いきなり好きなことだけで食べていくのは難しい、でも、生きるための仕事以外の”2枚目の名刺”を持つことで、地域での文脈が広がり、結果的に生活できるようになる可能性もある。

良い意味で地域の文脈に「巻き込まれすぎない」、そんなソトモノ同士がつながって「面白がり」ながら活動していくことで、結果として地域に良い影響が起こっていくそんな可能性を感じさせてくれる本でした。

また、地方のことを語る際に「魅力」と「課題」がセットになりやすい、というのも非常に面白い視点だなと思います。風光明美な景色、おいしい食事の裏には、人口減少や一次産業の課題が見え隠れします。きれいな部分だけでなく、その地域固有の課題に面白がりながら一歩踏み込めることで、より深い部分で関わることができるのかもしれないし、「自分が関わってもしかしたら何か起こるかもしれない」と思うきっかけになるのかもしれないなと思いました。

地域に関わる人の関わり方、元々の立ち位置はそれぞれですが、私は今の地域にとっては「ソトモノ」側なので、木下さんの本を読みつつ「この地域もこうなっていったらいいな!」と願いつつ、小松さんの本を読んで「私も頑張ろう!」とやる気をもらいました。

自分の立ち位置を考えつつ、これからどうしていくかを考えるのにこの2冊を読むことで改めて整理することができたように思います。


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