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ぜんぶ愛になったらいいのに

連日、SNSでたくさん流れてくるアメリカのニュースや動画、スピーチをみている。英語は得意じゃないので、字幕のついたものや誰かが訳してくれたものを読んでいる。

このことについて日本人のわたしが日本語で、どんな言葉で表現すればいいか、まだ答えは見つからない。でもこの間、友達のシャミーナ(以下、いつも呼んでる呼び方なので“しゃみ”と表記します)がInstagramに載せていた投稿をみて、わたしの気持ちもここに表明しておかなくちゃいけないと思った。傷ついたのが自分の友達だったら。家族だったら。そう考えると海の向こうで起きているこの酷いニュースは、私にだって無関係ではないはずだ。人によっては関係ないこと、関係ないと思うことは簡単かもしれないけど、そんなふうに片付けて見過ごせるように思えなかった。差別はおかしい。お願いだからこんなこともう終わりにしてほしい。

黒人系アメリカ人の父と日本人の母を持つしゃみ。彼女の投稿は「黒人としてこの世界を生きるとは、どういうことなのか」意識させられながら生きています、という一文からはじまった。もちろん片時も離れず悲観しているわけじゃないけど、いつも頭の片隅にはあって、この一連の事件が(いつも起きてるけど)浮き彫りになってその気持ちは膨れ上がる...というようなことが書かれていた。肌の色で、人格を否定されるというのはどういうことなのか。

そして日本でも、人種差別は起きています。
決して人ごとだとは思わないでほしい。
いまも起きているこの問題に、目を向けてほしい。理解を深めてほしい。そしてどんなに小さくても、自分にできることを探してみてほしい。
(しゃみのInstagramの投稿から一部引用しました)

その文章からしゃみの強い思いと覚悟を感じて、思わず連絡した。わたしもこの数日、このことについて考えさせられていたときにたまたまタイムラインで見つけた投稿だった。

友達の正直な言葉をきいてわたしが感じたことをあくまで個人的な気持ちで、書いてみようと思います。アメリカには住んでいない白人でも黒人でもないわたしの、個人的な気持ちです。


わたしが小学校に入って初めて出来た友達は黒人系ミックスの女の子だった。その友達の家で、彼女とその兄と一緒にサウスパークを見せてもらったり(7歳に衝撃のアニメ)お母さんが豆の料理を出してくれてそれも美味しかった。リビングにはおしゃれな模様の布がたくさん飾ってあって、その部屋を素敵だと思ったことはわたしの異国情緒の原体験になっている気がする。

彼女のお父さんが亡くなったとき、わたしも母と一緒に葬式に参列した。お父さんにはときどきしか会えなかったけど、家に遊びに行くといつも笑顔で迎えてくれた。お父さんの故郷では、死者は神様になるらしい。親族の人たちは歌や踊り、太鼓や笛で楽しい宴をひらいて見送っていた。彼女とお母さんに挨拶すると、笑って見送ってあげて、といわれた。小学3年生、人生で初めて参列したお葬式だった。

少し遠くに引っ越してしまったけど、新しい家にも何度か遊びに行った。彼女に会いたくて、初めて1人でバスに乗ったことを覚えている。ウォークマンで19とか聴きながら。もう昔のことだけど、いまでもよく思い出す友達のひとり。

そのあとも同級生とかプライベートで出会った友達とか仕事で出会った共演者とかスタッフとか、もちろんしゃみもだし、小6から加入した天てれにも 色んな人がいたし(テレビ番組ではハーフって表現がポピュラーに使われていた気がする。今もかな。ハーフ、ダブル、ミックス..どういう言葉が適切なのかは人によって感覚が違うとおもうんだけどそれはまた別の話になっちゃいそうなのでひとまず置いておいて)
わりと昔から身近にブラック(だけじゃないけど)ルーツの人やその家族もいて、それはふつうのことで、誰かがそれを特別な目で見たりする現場に居合わせたことがあまりなかったとおもう。

それでも今思うと気づいていないところで複雑な思いをさせられたり、ときどきは理不尽で許せないこともあったかもしれない。今考えてみると。

人対人の人間関係、ただそこに人がいるだけ。それぞれのルーツがどうあろうと人種が混ざり合って暮らしているのは当たり前だとおもっていた。いや当たり前!!!

当たり前のはずなのに。あの一連のニュースやスピーチ、やりとりの動画を見る。たくさんの人が心から叫んでいる。その怒りの理由を想像する。このことについてわたしも考えてみる。情報や歴史を知ろうとしたりすることも勿論そうなんだけど、やっぱり身近な人達へ想いを寄せていくことになる。

簡単に変えられることではないけど
わたしが、わたしたちが、友達を思いやることはすぐできる。目の前の人を普通に思いやりたい。つらいことも聞かせてほしい。知らなかったことも教えてほしい。おかしいことはおかしいって言いたい。そんな当たり前のことを忘れない。いつだって愛してます!って思ってる!
ぜんぶ愛になったらいいのに!

だからしゃみがかんがえてかんがえて、自分の言葉で喋ってる姿をみて、涙とまらなかったけど、なんというか少しうれしくもなった。こんなアンサーじゃちっぽけすぎるけど、ちゃんと伝わってる。勇敢でかっこよかった。声をあげてくれてありがとう!ということを、本人にも伝えてるけどここにも書きます。

ラブ!!!

しゃみとわたし。ポケモンもラブ。



むかし出演した『あいのこころ』という映画のなかに出てくる台詞をときどき思い出す。

わたしに関係ないことなんて、
この宇宙には、
ひとつも存在しないんです!

高校生だった私が映画のなかで叫んだこの言葉は、大げさのようで、案外そうだとも思わされるときがある。いつも愛の心をもって生きていたいよ。また会いたい人がたくさんいる。できるだけみんなハッピーでいて欲しいし、わたしもなるべく機嫌良くいたい。

どう解決できるのか、答えの見つからないことは多い。でも見て見ぬふりで放っておくよりずっといいとおもう。もっと想像力をもちたい。誰かと話してみて気づけることもある。まちがえるかもしれないけど、いろんな話をしたいとおもった。

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