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このさみしさ、宝物にする

2021年7月7日
私の大好きな祖母
ばばちゃんが亡くなりました。

日付が変わって、七夕の朝でした。
七の日ということで昔から私が大事にしている、この日なのがまた。大丈夫よばばちゃん、ここまでしなくても忘れないのに。

91歳。70頃から明日死ぬだとか言い続けてきたばばちゃんが、大往生でした。本人はホッとしてるはず。「ばばちゃんしんでも悲しまないで、良かったねばばちゃん、って言って欲しい」とよく言っていた。そんなこといわれたってかなしいんだけど!

「天寿を全うする」という言葉の意味は
“天から授かった寿命を生き尽くした”ということらしい。生き尽くしたと思う。天国で家族にあえたかなぁ。

小さい身体と大きな声で
名古屋弁ぶりぶり使いこなす
おもしろくてかわいいばばちゃん。

プライベートのことは報告しなくていいと大人は言うけれど、友達の間ではちょっとした有名人だったし、ブログやインスタにもよく載せていたので、ちょっとご報告も兼ねてnoteに書くことにしました。

身体は小さくても、声は私より大きかった。
ばばちゃんという人は100歳まで生きるに違いないと家族の誰もが思っていたので、私はまだちょっと受け止めきれないまま時間が過ぎて。
今日は92回目のお誕生日でした。


生まれた時からずっと一緒で
並々ならぬ おばあちゃん子とは私のこと。

コロナ禍でなかなか会えなくなってしまい、
耳が遠くなって電話もできなかったから、喋る機会がうんと減ってしまっていた。それでも会えるときは会いに行ったし、誕生日は毎年お祝いできたし、大事なことはぜんぶ話せたから後悔1ミリもなし。

これから、ばばちゃんのいない人生。
去年の七夕から私の人生は第二章になったような気がする。明確に次の段階へ、勝手にページがめくれた感じ。

去年は稽古の合間に休みをいただき
岐阜の田舎へ納骨に行って、家族そろってばばちゃんを見送った。岩井家の先祖は岐阜県の武士で、関ヶ原の戦いとかにもいたらしい。岐阜は見渡す限り山、昔ばなしのような朝靄。心のふるさとはここ。

毎日素直に楽しんで、不意にばばちゃんのことが思い浮かんで急に泣いて、ケロッと取り戻してはお芝居やって、また泣きながら暮らして、矢野顕子さんの「変わるし」をたくさん聴いた。大人になって実感していくものごとは、まだまだ多くありそうだ。

亡くなってちょうど半年。
初めてばばちゃんの夢をみた。

夢のなかでもばばちゃんのことを思い浮かべながら実家の寝室に立っていた。もともとばばちゃんがここに寝ていたわけじゃないし、いないのはわかってるけど、なんとなく存在を感じて話しかけていた。

すると誰もいないはずの空の布団が
ふわっとめくれて、中からばばちゃんが顔を出して、私の声に答えた。

幽霊って感じでもなく、普通に寝転がって他愛もない話をしていた。めちゃめちゃに喋っていた。
そうそう、ばばちゃんはよく喋る人だった。

夢のなかでもばばちゃんがもう死んだことはよくわかっていたけど、なんでもない会話をした。特別に会わせてもらえた気がして嬉しかった。

一緒に寝転んで、小さな手をとって
「ばばちゃん大好きよ。大切。いつも忘れない。」と伝えると「なぁにぃー?きもちわるい。」と言われた。なぁにぃ?の聞き慣れたイントネーション。ばばちゃんがいなくなるともうこの方言も喋れなくなりそう。

声もしっかり聞こえたし、本当に触っている感覚だった。ぎゅーっと強く握り返されて、ばばちゃん、力強いねぇ、とか言ってたら夢から覚めてしまった。ばばに握られた手は布団の中でしびれていた。

生前、よく死について話していた。
うんざりするほど。

「死んでも会いにいくでね。化けてでも出てきて、ばばちゃん見とるよ〜って合図送るでね!」

と、とんでもないことを唐突に言っていた。
やだこわい!しなないで!って笑ったけど、この夢は合図だったと思うことにする。

あんなに言ったのに半年経っても
夢にも出てきてくれないの?
と寂しく思っていたので、やっぱり嬉しかった。

私の頑固でわがままなところと、人に優しくあろうとするところは、ばばちゃん譲りだと思う。

あたたかい人になりたい。ばばちゃんのように、大胆でチャーミングでユーモラスで、家族からこんなに想われる人になりたい。

いつかの誕生日にあげたスカーフ。
私があげたけど、もらったよ。
初舞台を観に来てくれたばばちゃん。
(白い服にオレンジの口紅、私も好みが全く同じ)

下北沢・駅前劇場にて。
いつも活動を楽しみにしてくれていた。

いつも見守ってくれてありがとう。
ずーっと心のなかにいるから大丈夫。

私が私なのは、ばばちゃんのおかげです。

サポートくださると、とてもうれしいです。 メッセージもしっかり読んで個別にお返事させていただきます。 いつもありがとう。