ないものねだり宣言

メルカリに頼んだ荷物が届いた。

注文したのは、KANA-BOONのCD一式。
全部ではないけど、なかなか揃っている。
お目当は初回特典のDVD。とにかくライブが見たかった。
もちろんライブDVDも単独でリリースされているけど、いろんなライブが見たかった。

送られてきたダンボールを開けて吃驚、CDケースの1枚1枚は、完璧なサイズ感のプチプチに包まれ、ダンボールにいささかの隙もなく綺麗に整頓されて収められていた。こちらも敬意を込めて、緊張気味に恐る恐るプチプチのセロテープをはがしていく。プチプチを優しく取り去ると、さらに可愛い柄のついたビニール袋がケースを守っていた。その下に販売時の包装フィルムがそのまま残っているものもたくさんあった。欠けているのは、包装フィルムをピーっと剥がして、最初に引き離される、10分の1のあれだけだ。あれね、あの、ピーっとした時取れるやつ(語彙力)。

ほとんど新品じゃないか。新品同様ってこういうことを言うんだ。前の持ち主さんが相当大切に扱っていたことがうかがえる。それだけに、その方がどのような経緯でこの子たちを手放すことになったのか、音楽制作を少しだけかじっている身としては、すこし切なかったけれど、しっかりと大切に継承させていただきたいと思う。
ありがとうございます。

さて、どうしてこんなにKANA-BOONを好きになっちゃったんだろう。
その経緯をたどることが、自分史はもちろんだけど、大げさに言えば、このコロナの頃がなんだったのかをアーカイブする貴重な資料の一旦を担えるのではないかと考えている。そんなわけはないけれど、まあ気分だけはせめてそんな感じで。

それは、2020年10月19日に遡る。

その頃僕は『デス・ストランディング』というTVゲームにはまっていて、来る日も来る日も、家族が寝静まってから、夜中までサムを操り荷物を届ける毎日を送っていた。当然、仕事に支障はあるわけで、日中は目を開けたまま眠っているか、ボーッとTwitterなんかを眺めるとかしていた。

そんな折、だ。Twitterのおすすめ欄に、「赤い公園」とか「津野米咲」とかが並んでいて、その先のツイートを見て、えっ?ってなった。三浦春馬さんとか竹内結子さんとか、よく見ていたドラマに出ていた人が相次いで亡くなっていた頃で、今度はミュージシャン?

僕も音楽を作る楽しみ(もちろん苦しみもあるけれど)を知っているし、何よりも音楽にたくさん助けられてきた。そんな、音楽を作れる=音楽の力を持っているはずの人が、どうして死ななければならなかったのか。と思った。衝撃だった。

フランス・ギャルやデビッド・ボウイ、クランベリーズのドロレスが亡くなった時もだいぶショックだったけれど、その何倍もの衝撃波に完全に目が覚めた。

そして、「赤い公園」や「津野米咲」という名前は聞いたことがあった。でも、思い出せない。いや、思い出せ、思い出せ。記憶の扉を叩き続けながら、必死にググった。あ、Charaがつぶやいてる。

「悲しすぎる」

「私にはやりたい事が沢山あるから
 楽しい事を想像していく

 自分に足りないものもあるから
 自分のペースを作るいい時間と思って
 少しだけ、新しいバランスで挑戦したりしています
 食欲がなくてもね
 食べたらちょっと元気出るよ!
 泣きながらモリモリ食べる時だってあるよ!
 カレーを3回お代わりした」

このツイートでドッと感情が溢れた。でも、悲しさは少し引っ込んだ。
泣きながらカレーを3回お代わりするって、すごいよ、Chara姐さん!

うーん、Charaと絡みがあった方?だから名前に既視感があるのかな。
ググり続ける、検索語彙をあれこれ変えながら。職能が少し活かされる。

そして、ようやくたどり着く。「円都空間 in 犬島」
Salyu 高桑 圭(Curly Giraffe) Chara 津野米咲(赤い公園)...

あ。あった。そうだ、当時調べたよ。誰だろうって?
そのときは赤い公園に引っかかることができなかったんだ。
円都空間もWOWOWでみたけど、Charaばっかり見ていて、Chara以外の(なんてこった)バックで演奏していた津野さんのこと覚えてないな(泣)

それから、Spotifyで赤い公園を聴き漁り、YouTubeでMVや関連動画を探す日々。特典のDVD見たさにベスト盤を頑張って探して2枚とも買った。情熱公園の入っているものはプレミア価格になっていて、残念ながら手を出せなかった。再販してほしいな。

僕と同じような人もたくさんいるよな。亡くなってから評価されたって本望じゃないよな、と思いながらも、いいものはよくて。そうして僕は赤い公園の虜になった。そして、津野さんのことももっと知りたくなった。

津野さんがパーソナリティを務めるラジオ番組を、YouTubeに上がっているものは全部聞いた。200近くあったけど全部聞いた。真夜中に仮想空間で荷物を運びながら、通勤時にも仕事中でも、聞けるときはずっと聞いた。優しい声、優しい人。

その番組にはゲストもよく来ていて、音楽的に深い話になっていくのも楽しかった。ゲストとのトークをまとめて、作曲のアプローチ方法の本として出版してほしいくらいだ。
特に印象に残っているのは、KANA-BOONの谷口鮪さんがゲストの回。

鮪さんはとても繊細な人だなと思った。
引くくらい泣きながら舞台袖からアジカンを見ていた話は、こちらも、泣いた。
トークの間から溢れ出す、津野さんとの相思相愛感もよかった。
鮪さんが生真面目に津野さんから作曲方法を聞き出そうとするところもよかった。
そして何より、津野さんがKANA-BOONの好きな曲としてピックアップしてくれた『結晶星』がよすぎた。
すぐにググって、MVを見た。せつね。第2の衝撃波が僕を襲った。
そうして僕はKANA-BOONの虜になった。

タイミングよく『スノーグローブ』のMVが公開され、ライブ映像アーカイブはリアルタイムで見ることができた。MVは総じてすごく良い(再び、語彙力)。
公式チャンネルのMV動画リストを上から辿っていったので、時系列的には逆だけど、それがよかったのかもしれない。スノーグローブ(きれい)→マーブル(切ない)→眠れぬ森の君のため(超絶切ない)。『眠れぬ森の君のため』は初期の曲だけど、一連のMVシリーズの中では最終回にあたるようなもので、最初に見てしまったが故に逆に想像力を発揮する余地のようなものがあった。MV中にフラッシュバックする場面を、他のシリーズで順番に回収していった。これは新参者ならでは楽しみ方だったかもしれないな。

バンドやミュージシャンにのめり込む時って、曲がいいとかルックスが好みとかももちろん大事だけど、やっぱりそこにある背景が重要だと思う。人格とか辿ってきた道のりとか。
それを知ることで、相当深く好きになっていく。

今度は、鮪さんの人となりを知りたくなって、ツイートを遡り(全部は行けてない)、インスタを遡り(これは達成w)、ブログやnoteは好きな作家と文体が似ていて、嬉しかった。ベスト盤の初回生産限定盤に付いている「谷口鮪による“タイムストリップ”ライナーノーツ」は僕のような新規ファンにとっては、時空を取り戻せる、それこそタイムスリップな代物だ。

やっぱり鮪さんは繊細な人だと思った。そして、楽しい人だった。
文章にも、MVのエピローグ的な映像にも、ユーモアが溢れて出ていた。
でもその向こう側に見え隠れする繊細さがあった。光と影のマーブル模様。

鮪さんが復活すると聞いて、とても嬉しかった。
それは、僕にとってひとつの大きな希望だったから。
鮪さんが休養すると知ったのも、Twitterのおすすめからだったか。

10月22日、【谷口鮪(Vo/Gt)休養のお知らせ】。
その時にはwasabi経由で鮪さんにたどり着いていたと思う。
やっぱりショックだった。

津野さんのことが影響していないことはないだろうし、どうか負の連鎖だけは避けてほしいと思った。だから僕は応援したいと思った。ファンの皆さんのコメントに涙が止まらなかった。みんなに愛されてる人なんだと思った。僕は中二病を引きずった四十路の中年オヤジだけど、そんな人間からでも淡い青春の記憶を引っ張り出してくれる純粋さが僕は好きだ。

僕は曲を作ってそれを自分で歌う。曲の完成度もまだまだだし、とてもアレンジするところまでは行きつかない。曲のテーマは多感な頃に書いた歌詞や詩を膨らませることが多い。自分自身がグッとくる曲ができることだってある。でも、歌がうまく歌えない。うまい下手というか、グッとくる歌い方ができない。曲ができて歌を入れるたびに、がっかりする。いろんな歌い方を試しては、やっぱこっちがいい、やっぱ前の歌い方に戻そう、不毛な永遠の堂々巡りだ。もうやめようかなとも思う。ただの趣味だからやめればいいじゃんと思うけど、音楽の力を信じているからなのか、やっぱりまた戻ってくる。

今は鮪さんの歌声に、KANA-BOONの曲たちに救われています。
ベスト盤を延々とリピートしています。シャッフルで。
そして、『眠れぬ森の君のため』の順番が来ると一緒に歌っています。
同じように歌いたいと思って。『ないものねだり』はファルセットのところが出ない。

齢44歳、挑戦します。
『ないものねだり』のボーカルを完コピすることを誓います。
令和3年4月12日、noteにて宣言します。
ないものをあるものにしたい「ないものねだり宣言」を。

ギターもドラムも、ある一定の壁を超えられなかった。
超える努力をしなかった。超えられなくてしょうがないと思っていた。
でも、歌だけはその壁を超えたい。
超えた先にきっと光がある。
自分を救うための挑戦。
それから、他の誰かもちょっとだけ救えるかもしれない。

鮪さんやKANA-BOONの名前を借りて申し訳ないけれど、背中を押してくれてありがとうございます。

これから音楽をどのように取り戻せていくのか、今はまだ遠い道のりのように感じられますが、微力ながら応援しています。
そして僕も陰ながら曲を作って歌っていきたいと思います。

それから、津野さん、素敵な出会いをありがとう。
感謝しています。


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