溺死

『溺死ジャーナルNEXT』リリース記念ミーティング

dommuneで放送される溺ジャミーティングに参加します。司会というかタイムキーパーのような役割で進行役を全うしたいと思います。10/3の19時〜。冒頭から溺ジャの歴史を振り返っていくので、なるべく時間通りの視聴をおすすめします。松本亀吉×キングジョーコンビがメディアに出る機会は滅多にないので、アホで理知的なおっさん達が何を語るのかとても楽しみです。必見!!


1987年、松本亀吉さんが大学2年で発行された『溺死ジャーナル』は、『フールズメイト』の読者ハガキコーナーが発祥のルーツのようだ。当時、読者同士が交流する手段は文通しかなく、それがただのハガキの交流ではなく”メールアート”として郵便物そのものが表現物として異形の進化を遂げていった文化がある。

『溺死ジャーナル』はコラージュアートとゲストのエッセイ、編集長松本さんによるインタビュー記事(創刊号は極北の狂乱ノイズバンド”バキュームセックス”のインタビューが掲載されている※全然知らないバンド)で構成されている。この基本構成は最新号のNEXTまで引き継いでおり、創刊号から既にスタイルは完成されている。

で、松本さんは大学卒業後に一般職に就職するが、90年代に大阪インディーズシーンの「スカムムーブメント」のただ中で自身もバンド活動を開始し、さらに『溺死ジャーナル』もコンスタントにリリースをしていた。読者であったメルツバウ秋田昌美の自宅で当時『クイックジャパン』の編集長の赤田祐一が『溺死ジャーナル』を読み、衝撃を受け、96年辺りから『クイックジャパン』への寄稿がはじまり、特殊会社員としてライター業も積極的に行い、2011年にライター業を休止している。

めちゃくちゃ簡素な紹介になってしまったが、そういった流れをdommuneでは細かく解説してもらえたらなと思っています。互いの秘密を共有し合いながら個人間で核爆発を起こした”メールアート”の魅力も聞きたいし、山塚アイ〜ボアダムズ〜ベアーズ〜パラダイスガラージといった関西スカムの流れをどう感じていたのか宇川さんの所見も交えつつ知りたいところです。


自分が『溺死ジャーナル』と出会ったのは中学生の頃に読んだ『クイックジャパン』で、編集長の赤田祐一にケンカ売ってるようなエッセイがとにかく衝撃的だった。ランチについて書かれているのだけれど、文章の最後で「おいコラ赤田、こんな文章なにがおもろいねん」だったかな。

それで時間は流れ、2009年くらいに『溺死ジャーナル』に当時の彼女(今の嫁さん)との最初のセックスについてのエッセイを書かせてもらった。何かを書きたいという衝動と、秘密を漏らす快感のマスターベーションでしかない文章であったが、そういった表現を松本さんは歓迎してくれた。表現の肥溜めとしていつまでも美しい孤高のジャンクマガジン『溺死ジャーナル』。とても楽しみな夜になりそうです。

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