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【第4弾】どついたるねん 『WILD&CRAZY大全』 坂本治之(元キーマカリーズ)インタビュー

ーはじめまして。自己紹介をしていただいてよろしいでしょうか?




「坂本治之です」




ー何者でしょうか?




「いま専門学校で働いていて、音楽好きな30代でございます」




ーそんな坂本さんは、どついたるねんとご縁があると。どんなご縁でしょうか?




「ボーカルの相川さんの、ラグビー部の後輩です」




ーほお




「相川さんは当時から音楽がすごい好きで、僕はビジュアル系だとラルクがめちゃくちゃ好きで、相川さんはLUNA SEAが好きだったんです。その話をしたら『このライブ見たことある?』って後日渡されたのが97年のラルクが活動復帰した時の東京ドームのライブで、その映像って市場に出回ってないんですよ!WOWOWで放送されたのを相川さんがビデオに録ってて、それを貸してくれて」




ーVHSですか?




「そうです。そんなの持ってるなんて、この人すげーなと思って。僕は中3の時にハイスタとかゴイステに出会って、パンクにどハマりしたんですけど、相川さんもパンクが大好きで、陳さんってわかります?」




ーTHINK AGAINの陳さんですね



※ワトソンの高校時代のラグビー部の同級生には、陳祐一(THINK AGAIN)、IGAXX(元どついたるねん)がいる


「井川さん(IGAXX)もそうですけど、みんなパンク好きで、音楽を深く掘り下げるようになったきっかけを作ってくれたのがラグビー部の先輩たちだったんですね」




ーそもそも最初に知り合ったのはラグビー部に入ってからですか?




「いえ、初めて会ったのは中学の時です」


ー学校は幼稚園からエスカレーター式でしたっけ?




「そうです。大学まで」




ー中学の一個上に相川がいたんですね?




「そうですね。僕は中学の時に野球をやってて、先輩たちはラグビー部だったんで、部活が違うんですけど、廊下ですれ違った時に僕がプロレスのTシャツを着てたのかな?それに対して、たぶん陳さんが反応して、お前プロレス好きなの?って声掛けられたのが知り合ったきっかけだったと思います」




ーほお




「2000年の4月7日に橋本真也が小川直也に負けて、プロレスラーを引退したんです。でも、その年の10月9日に復活する試合が東京ドームで会って、偶然、一個上の相川さんの同級生に藤波辰爾の娘がいたんです」




ーえー!




「そしたらチケットをタダでくれるって言うので、陳さんからお前も一緒に行こうぜって言われて。先輩達とプロレスを見に行きました」

坂本3



ーでは中学時代から交流があり、高校ではなぜ野球部からラグビー部に移ったんですか?




「中学から高校に上がると軟式から硬式になったり、外部から上手い奴も入ってくるから、野球って結構人気スポーツじゃないですか。それで、ここじゃレギュラーになれないかもなって思って、ラグビーをやっていた友達に誘われて競技人数が15人なので、これならレギュラーになれるかなと思ってラグビーをやることにしたんです」




ーなるほど。それでワトソンは高校卒業後に玉川大学に進学して、先輩(どついたるねん)と出会うんですね




「そうですね、高校時代の相川さんってめちゃめちゃ見た目がかっこよかったんですよ。短髪で襟足だけ伸ばしてて、結構モテてたんですよね。それが大学に入ったら峯田のボンバーヘッドみたいになってて(笑)」




ーそれは峯田の影響ですね?





「完全にそうですね」




ー坂本さんがキーマカリーズに入ったきっかけは?




「大学入った時に、たぶん相川さんは『アイデン&ティティ』を見て大学辞めてバンドはじめたんだと思うですけど、先輩と一緒に。それでメンバーがいなかったみたいで、僕はベースやってたのに、相川さんから『お前はドラムやれ』って言われて」




ーいきなり叩けないですよね(笑)




「そうですね。ゴイステの『もしも君が泣くならば』のカバーをしても俺が全然ドラム叩けなくて。それでベースを少しやらせてもらいました。キーマカリーズの初期の『杏露酒(しんるちゅう)』とか」




ー『杏露酒』?




「井川さんの作った曲かな、あと『君が好き』とかでちょっと演奏させてもらいました」




ーキーマカリーズでライブはしたんですか?




「町田のSDRとか、新宿でもやりましたね。坂本移動どうぶつ園と一緒にやったような…。片手で数えられるくらいしか一緒にやってないんで記憶が曖昧なんですが。その時に相川さんが坂本移動どうぶつ園がめちゃめちゃかっこいいんだって言ってて、あとフジロック(仮)の話もしてましたね」




ーその後、坂本さんはキーマカリーズを辞めたんですか?




「あんま覚えてないんですけど、辞めるって言ったと思うんですよね。クビになったって印象ではないんで」




ーその時のメンバーは、ワトソン、先輩、IGAXXと?




「あと玉川の高校の先輩がいたような気がする」




ーゴリさんですね(笑)

坂本1

※坂本さんの実家の壁にはキーマカリーズのパスが貼ってあるそうです






ーキーマカリーズを辞めてからの坂本さんは?




「僕も大学がクソつまんなかったんですけど、その中で旅が好きになったので、キーマカリーズを辞めた後、19歳くらいの時に貯金が30万くらいあって、初めて自分のお金で海外に行ったんです。それがベトナムだったんですけど、海外行くのが楽しいなと思うようになって、その後ベタですけどカンボジアとかインドとか、日本国内を18切符で回ったりしてたんです。そうしていく中で22歳の時に教師になりたいと思ったんですよ」




ーほお




「リーマンショックで就活も上手くいかなくて、世の中が不況の時代で、何をしたいのかわからない。遅れてきた中二病みたいな感じだったんですけど、大学4年の時にカンボジアに行こうと思った時に、うちの母親が「あんたがもし教師になりたいんだったら、この人に会ってきたら」って紹介された人が、母親が高校生の時に教師をやってた漆原先生って人で、『いまカンボジアで日本語を教えてるから』って言われて、それでその人に会いに行ったら、カンボジアの子供達に無料で日本語教えていて、子供たちがうまく発音出来た時、顔しわくちゃにして笑うんですよ。それまで尊敬できる教師に出会ったことなかったんですけど、その時はラモーンズ聴いた時のような衝撃でした。電流走って『かっこいいな』って。『やっぱり教師になりたい』と思って」




ーうん




「それで玉川大学卒業後、昼は障害者福祉施設で働いて、夜は大学からやってた飲食店で働きながら、通信で教員免許を取ったんですよ。4年かかったと思います。それが26歳かな」




ーそれから教師になったんですか?




「臨時的任用職員って枠があるんですけど、教員免許は持っていて、公務員試験に受かっていない人が教えられる枠です。準公務員みたいな感じです。中学校で社会を教えてました」




ー非常勤とは違うんですか?




「違うんです。臨時的任用職員は担任も持てるし、ボーナスも出るんで、給与体系はあんま変わらないんですよ。ただ一年毎の更新なんですね。僕は神奈川県の藤沢出身なので、藤沢で中学1年の担任をやってました。その1年は楽しかったんですけど、最終的には契約を更新できなかったんですよ。新しい社会の先生が来るからってことで」




ーそれからどうしたんですか?




「1年子供と関ったのはすごい楽しかったし、もう一回やりたいなと思って公務員試験を目指してたんですけど、一次試験不合格。それで『もういいや』と思って、貯まってたお金で世界一周しました。28の時ですね」




ーいくらくらいかかるんですか?




「150万くらい貯金あったけど、結局全部使わなかったですね。貧乏旅行だったんで。行ってたのは半年ですね。中東のトルコからイスラエル行って、ケニアから南アフリカまでバスで行って、その後、南米のペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、ブラジルをバスで周りました。北米とヨーロッパは行かなかったですね。それでリオのカーニバルを見て、日本に帰ってきたって感じですかね」




ー帰ってきてからはどうしたんですか?




「また臨時的任用職員で応募したんですけど引っかからなかったんですよ。それから建物の管理会社に就職して働いてたんですけど、あんまり面白くもないし、29の時に今の職場の専門学校に転職しました」




ー塾ではないんですか?




「塾も幾つか内定もらってたんですけど、最後に出てきたのが今の専門学校で、日本人と外国人が同じ建物で勉強している学校で、日本人は国家資格取得を目指していて、留学生は大学進学や就職を目指すって感じです。留学生って日本語学校に最初は行くんですけど、そのまま日本に滞在するためには学生ビザか労働ビザがないといけなくて、大学に行く学力がない子はどこかに所属しなきゃいけないので、結構ニッチな産業なんですけど、学生もビザが発行されるから日本にいることが出来る。それで勉強して大学に行ったり、就職したりするんです」




ーうんうん




「僕はその専門学校で社会を教えてたんですけど、世界一周や日本を旅した時の写真を見せながら日本や世界の地形や歴史を教えたり、すごい充実感がありましたね」




ー全部つながってますね




「今は教える仕事はしてなくて、日本人学生の事務がメインなんですけどね。何年か前に結婚もしました」




ー奥さんは日本人ですか?




「そうです。奥さんと知り合ったのが、19の時に行ったベトナムで「地球の歩き方」の学生ボランティアのツアーで行ったんですけど、そのツアーで知り合った子です」




ーじゃあ10年くらい付き合ったんですか?




「いや、そん時は付き合ってなくて、facebookとかでつながってて、僕が海外に行った時に写真を結構あげてて、帰ってきてからご飯食べに行ったりして。その後に付き合うようになりましたね」




ーいつ結婚されたんですか?




「30か31ですね。妻は相川さんと同じ年なんで1個上ですね。子供はまだいないです」



坂本5

※キーマカリーズで恐山に行った時の写真




ーどつのことはどのくらい見てたんですか?




「割とずっと見てますよ。YouTubeでライブの時にうんこしてる動画とか、山から降りてきてライブするとか、すげーな!ぶっ飛んでるな!って。僕はやっぱり続ける勇気がなかったし、僕も19の時は何がしたいのか悩んでたし、その選択肢の中で僕は旅がバチッときて、相川さんはバンドがバチッときて、今でもそれ続けている。僕にもやろうぜって声かけてくれたけど、当時の僕はそこにピントが合わなかった。音楽は好きなんですけど」




ー聴くのとやるのとでは全然違いますからね。もし続けていたらとか考えることありますか?




「もし続けてたら…、あの時にやってたバンドが今こうなってるんだっていうのは見てて誇らしかった。何も関わってないですけど、でもwikipedia見たら俺の名前載ってたし(笑)、そういうのもあってずっと見てたのかもしれないです。それこそ峯田と一緒にやったりとか感慨深かったです」




ーうん




「音楽が好きで色んなことあっても続けて、まさか憧れた人と会ってるなんてすごい。陳さんのTHINK AGAINが幕張メッセのサタニックフェスに出たのを見に行った時も感激しました」




ーそれは感慨深いですね




「教えてた子供たちや留学生にも、自分が好きなことを続けるのは売れるとか売れないとかじゃなくて、すごい大事なことで、それを続けることのエネルギーはもっともっと大変だけど、大人になっていくにつれて諦めなきゃいけないことも当然増えていく中で、その人達は若い時にピントが合った事を、ずっと続けていて、もしかしたらバイトしてるかもしれないし、それって他の人から見たらかっこ悪いことかもしれないけど、僕からしたら『すごいかっこいいから』って。君達も無理してサラリーマンややりたくない仕事をやらなくていいし、好きなものがあるなら、それを続けていった方がいいよって言ってるんです。それは相川さんとか陳さん達を通して伝えられた言葉です。僕は何年も会ってないけど、ものすごく感謝してます」




ーめちゃめちゃいい話じゃないですか。ちなみにアルバムで好きな曲は?




「サックスがすごくいいですね。またすごいプレイヤーが入ったんですね!VOODOO GLOW SKULLSみたい!『パーティーが足りてない』とか『ボサ猫』が印象的ですね」


2021年5月24日 浅草橋にて

坂本2

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どついたるねん
『WILD&CRAZY大全』
発売:2021年6月8日(火)
品番:TTR-07
価格:¥2,200(税抜価格¥2,000)
収録曲
1、INTRO:ゴリ草物語
2、宇宙 椎名町 おばあちゃん
3、IQ7
4、MASK
5、セニョリータ
6、太陽のチョモランマトマト麺
7、パーティーが足りてない
8、SKIT:松井のツボ
9、ボサ猫
10、チーズケーキ
11、ラブパワー
12、グラッチェ〜心のマッチョマン〜
13、温故知新
14、星によろしく!
15、塾
16、OUTRO:おしっここぼしたのダレ〜?

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