これから先の未来は知らない
今日はある意味歴史的な日で、祖父が死んで一年経つ。
去年の今頃、同じように課題に苦しめられていて、動悸がして、視界が狭まって1人のたうち回っていた頃に祖父は死んだ。
死んだ時ふっと気持ちが軽くなって、ああ、解放されたんだと最初に思ったことを覚えている。晩年の彼や彼が築いた家庭も何もかも尊敬できなかったし、嫌いだった。特段寂しさはなく、やっとこの家は一区切りついたんだなという安堵感しかなかった。孫として、色々お世話になったし可愛がられたと思うが、やはり彼は前時代的な象徴であり、何か特別な思い出を思い出すことができない。
私にとって1番の功績は、その身を持ってして一度立ち止まる時間をくれたということだった。とりあえず大きな理由ができて、課題をやらなくてもいいやと思えたのが救いだった。
教授の前で事情を話す時のことは恥ずかしすぎて記憶から消したけど、本当に生き急いでいたというか、誰彼構わず寄りかかっていたというか、とにかく膨大な不安と毒素が私を蝕んでいた。私も、私の周りも幸せにしなかった。今はだいぶ俯瞰して見ることができるようになって、あの頃の私を憐れみながらも遠くから見つめている。
半年休学して、様々な経験をして、4月からまた同じ課題をやり出した。今日までは私はすでに経験していて、まるでタイムリープのように学業と生活をやり直している。でも明日以降は知らない。もしかしたら課題が終わらないかもしれないし、また全部見失うかもしれない。現にまたよろしくない精神状態になっているので、永遠に学ばないんだろうと思う。
でも前と違うのは思考の整理の仕方を知っていることと、何が不安のトリガーかわかっていること。前よりもだいぶマシな未来を目指して、泥臭く生きていくしかない。
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