「マンガ批評/研究の転換期 『マンガの読み方』の成立過程とその時代」
11月25日に学習院大学で開催されたシンポジウム「マンガ研究フォーラム マンガ批評/研究の転換期 『マンガの読み方』の成立過程とその時代」について、自分なりに感想をまとめておこうと思う。
文中敬称は略す。また、メモと記憶に基づくものなので、個々の発言について正確さを欠く部分があるかもしれず、その点についてはご寛恕いただきたい。
このシンポジウムは1990年代中頃にあいついで出版された「マンガ表現論」関連書のなかでもとりわけ重要な一冊として評価される(そして現在では入手困難な)『マンガの読み方』をめぐるもので、当時の制作・執筆陣が登壇した。名前を列挙すると小形克宏・近藤隆史・斎藤宣彦・竹熊健太郎・夏目房之介(50音順)となる。小形、近藤の両氏は編集者、竹熊も編集業こそが本職と言えるし、斎藤もこの本をきっかけにその道を歩むことになるわけで、こうしてみると編集者が多い。おそらく、そのことがこの本を成功させる上で重要な意味を持ったのだろうと思わされる。また、斎藤を世に出した(あるいは道を誤らせた?)こともこの本の大きな功績であることは強調しておく必要があると、こうして登壇者の名前を並べてみると思う。
当時の執筆・制作陣以外の登壇者としては三輪健太朗・野田謙介の2名。第一部として両名による基調報告、第二部では第一部をうけてのディスカッション、その後、第三部として質疑応答が行われた。
第一部の基調報告は、それぞれの「読み方」との出会いを振り返った上で、夏目の所蔵する制作当時の資料(これがごっそり残っているのがすごい)を調査した上での問題提起という形で行われた。この問題提起あるいは問いかけは、一方では研究者向けのもの、つまりマンガ批評史・研究史上の同書の位置づけをめぐるものであり、もう一方では登壇者向け、つまり同書の成立の経緯、もっとくだけた言い方をすれば舞台裏の具体的な事情についての、制作・執筆陣への質問でもあって、異なる方向性のものが同時にたたみ込まれていたように思う。
前者については主に三輪の報告、後者については主に野田の報告とゆるやかな役割分担がなされていたが、もしかすると、ここはもう少しはっきりさせておいた方が良かったのかもしれない。「読み方」の研究・批評史上の位置づけや評価については、それが聴衆にある程度共有されていることを期待した形での報告になっていたと思うし、なるほど聴衆に関してはそうだったかもしれない。
しかし、第二部でのディスカッションを見るに、マンガの学術研究と接点のある夏目や斎藤を別にすれば、実は制作・執筆に関わった面々には、そうした同書の位置づけは必ずしも共有されていなかったように感じられた。もちろん、それは当然のことでもある。そもそも『マンガの読み方』は『デザインの読み方』『絵画の読み方』といった別冊宝島EXの「○○の読み方」本の流れの中で刊行されたムック本であり、実際の内容はともかく、そもそも学術書でも研究書でもなかったのだから。「画期的な本である」という自負はあるにしても、まるで専門的な学術書のように取り扱うマンガ研究者の態度を意外におぼえるのは良く考えれば当たり前にも思える。
『マンガの読み方』を「マンガ研究の重要基礎文献」と捉える研究者側の意識と登壇者との間には、そうした点で齟齬があったように思う。当然、ここでの「研究者側」には自分自身も含まれているわけで、別にここで三輪・野田の両氏を批判しているわけではない。むしろ、その齟齬自体が興味深かったわけだから、基調報告が「読み方」の研究史上の位置づけをきっちりと共有するという方向性で進んでいたら、おそらくディスカッションの進み方は別のものになっていたと思うけれども、果たしてそれが良かったかといえば、また別の話である。
素朴にとらえれば一般向けのカジュアルな解説書であるはずの「○○な読み方」が、研究書として評価され、基礎文献のひとつとしての立場を獲得していることのおもしろさ(それはマンガ研究という領域のおもしろさや自由さや未成熟さでもあるかもしれない)をあらためて感じさせられた次第である。実際、個人史的に記憶をたどってみると、『マンガの読み方』を参照することに対して「え、だってそれ一般向けの解説ムック本でしょ?」という向かい風を、今はすっかり弱くなったけれど、これまででまったく感じなかったわけではない。
この、いってしまえば数奇な運命をたどった「読み方」の立場に根差すだろう齟齬は、第二部の冒頭から明らかだった。小形が、やや挑発的なスタンスで、とにもかくにも目の前にある材料をやりくりして一冊の本をこしらえるという編集者としての現場感覚から、研究者目線による問いかけ自体をいなしてみせて、これがその後のディスカッション全体の方向付けになったのだと思う。正確には、小形の発言を受けて、司会の夏目が「ここがまさに歴史の作られる場になるのだ」「ここでの登壇者の発言が言説として残っていくことになるのだ」といったことを言い、それによって『マンガの読み方』の位置づけを検証、分析する場というよりも、当事者による同時代な証言を引きだす場として、シンポジウムの基本的な性格が定まったのだと感じる。つまり、研究者目線のことばより編集者目線、現場目線のことばが優位な場になったということになるのだろうが、夏目の司会としての判断は、基本的に正解だったと感じる。
第二部のシンポジウムで出てきた発言のもろもろについて詳しく記していくとキリがないのではしょらざるを得ないのだが、やはり、そもそも「研究書」「学術書」ではなく「売れる本」として作ろうとしていたことが伝わる発言がいくつもあり、それはとても興味深かった。そもそも予定された部数が、当時のマンガ批評本が期待できるものよりもはるかに多かったこと、だから「いわゆるマンガ批評の本」に見えないようにすること、そうした本でやっていそうな内容はあえて外した部分があったこと、などなど。(フリーランスである小形と宝島社の編集である近藤の役割分担などについてもいろいろ興味かったが、これについては小形自身の記事に詳しい https://www.mavo.co.jp/yomikata_symposium/ )
第一部の基調報告での質問であがっていた、当初の台割にあった「マンガ表現史」部分がなくなったことへの疑問や、理論的な土台として重要であろう斎藤の記事「マンガの構造モデル」がなぜ「附録」として「あとがき」よりも後ろに置かれているのかといった点についても、こうした事情から説明されていた。
この最終的な目次からは消えた「表現史」項目については、研究会でまず真っ先につくられた年表があったということで、これは資料として会場でもスクリーンに投影されていた。ただし、これは参加者(研究会自体には執筆者以外にもさまざまな人物が参加していたそうだ)が認識を共有するための土台として作成したもので、夏目ははじめから「読み方」へ収録するつもりはなかったという。一方で、年表掲載に最後までこだわったのは自分であると竹熊は発言していた。
竹熊は、第一部で三輪が、夏目の一連の著作について、制作時期の重なりから見て『手塚治虫の冒険』と『マンガの読み方』をセットとして捉える見方を示していたことに同意し、夏目は歴史については「冒険」でやっていたから「読み方」では必要ないと考えていたのだろうとし、二つの本はいわば姉妹編にあたると(「姉妹編」ということばをそのまま使っていたわけではない)認識しているとも話していた。
いずれにしろ、マーケティング的な判断も含め、いくつかの理由から年表は「読み方」におさめられなかったわけだが、結果的にそこで共有されたマンガ史の見取り図は、のちに宝島社から刊行される『日本一のマンガをさがせ!』などのブックガイド系のムック本に活かされることになったのだと思う。またも個人史的な記憶をたどれば、自分が「戦後マンガの表現史」を概略的に把握するのに一番役立ったのは、実はあの一連のブックガイドだったように思う。これらのブックガイド本刊行の背景には「読み方」刊行後に「もっと分かりやすいものを作れ」と言われたことがあるという近藤の発言もあった。
その他、図版の許諾についてなど、かなり細かな舞台裏の話も出ていて、夏目が著作権については「読み方」の制作過程で学び、その経験がその後にいかされたと語っていた。「読み方」も当初は図版については引用扱いでいくつもりだったようだが、これも上から言われて許諾をとれということになったそうである。また、よくよく考えると引用に当たらずまずい例もあったと挙げられた例は、なるほどというものだった。
だいぶ長くなったので、第三部の質疑応答については、自分がした質問についてのみ書いておくことにする。私がした質問は、第二部で夏目が『手塚治虫はどこにいる』『手塚治虫の冒険』『マンガの読み方』といった仕事が、自分自身で知識不足や粗があることを自覚していたにもかかわらず、思ったよりも批判が出なかったと語っていたことを受けての「夏目だけでなく竹熊も実作者としての実績をもっているが、実作者だから批判されなかったという部分はあると思うか」というもの。こうして書くと、なにか随分失礼なことをきいた気がして申し訳なくなるが、両氏とも、そういう面はあったと思うとのことだった。直前の話の流れもあって、図版の許諾などに関して実作者、つまり同業者であることが有利に働いたという話に傾いたのだが、「読み方」がマンガファンやマンガ家から「お前はわかってない」式の批判を受けなかったのは、内容が優れていたからだけでなく、それが実作者によるものだった点も大きかったのだろうと思う。四方田『漫画原論』は既存の手法でマンガを分析しているわけだが、「読み方」はそうではなかったわけで、いかに内容が客観的で充実していても、実作者が一人も関わっていなかったら、果たしてこうした本が出せたのか。そして評価され得たのか。そういう意味でも、実作者だから切り拓けた状況というのはあるのだろう。
そして、私も含めて後の論者は、「読み方」を参照することで、実作者かどうかを問われることなしに、表現について語ることができるようになったわけだ。それは実はかなり大きいことだなと思う。 (了)
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?